My Memorial Goods

【両リーグ・オールスターズ編】
1978年のシンシナティ・レッズ来日、そして1979年のアメリカン、ナショナル両リーグのオールスターが来日した時に集めたサインです。
ジョニー・ベンチ ピート・ローズ ロッド・カルー スティーブ・ガービー
78年、ビッグ・レッド・マシンの一員として来日した時、ニュー・オータニのロビーでゲット。王さんと一緒に現れたのだが、なぜかベンチだけにサインをおねだりし、王さんには頼まなかった。貰っておけばよかったなぁ〜と、後で後悔。 通算安打数4256本はメジャートップ。数々の栄光を残したが、現役引退後、賭博疑惑から永久追放処分を受ける。復権の申請が何度か出されるが、未だに認められず、殿堂入りもまだ果たしていない。 安打製造機、打撃の神様。パナマ運河地帯を走る列車の中で生まれ、その時取り上げてくれた医師の名にあやかって「ジェームズ・ロドニー」カルーと名付けられた。ツインズとエンジェルスの2チームで「29」が永久欠番になっている。 元ドジャースの大スター。ロサンゼルスの人気者もラソーダ監督との不仲のため、引退後はドジャースのスタッフに加わることナシ。ベッピンの奥様(元モデル)とも折り合い悪く、その後、離婚。今、どこで何をしてるんでしょか?
デーブ・キングマン チャック・タナーNL監督 アール・ウイーバーAL監督 ラリー・ボーワ
マスコミとの折り合いの悪いキングマン(ひどい時などはバケツの水をぶっかけた)。よって、おそるおそるサインをねだったが、とても愛想が良くて心配なかった。2m超えの巨体はさすがにでかかった。 この年(79年)Wシリーズ優勝の同監督に片言の英語で「優勝おめでとうございます」と言ったら、とても嬉しそうに「サンキュー」と返事が返ってきた。私も会話できたのがとても嬉しかった。 通算103回のメジャー最多退場記録を持つ同氏。よっぽど普段からカリカリしてる印象を持たれがちだが、ファンと接する時は、実に感じのイイ人だった。 2001年からフィリーズの監督として古巣復帰。アッと驚く快進撃にボーワの株、あるいは、このサインの価値も上昇?
デニス・マルチネス フィル・ニークロ ルー・ブロック リック・デンプシー
来日時、まだ23歳の彼。メンバーの中では少しネームバリューも劣り、注目度もそれほどでなかったが、以後の活躍は言うまでもなくMLBのトップ・クラス。91年、完全試合。 来日時はニークロ投手の晩年だった。日本のマスコミも当時、伝説化しつつあったナックルボールを投げる彼に注目し、日米野球でも人気が高かった。 所沢のゲームでは雨が降り、その時、頭に被ったコンパクトな傘で愛嬌を振りまいたのには笑わされた。リッキー・ヘンダーソンにのちに更新されたが、立派な盗塁王でした。 現役時代、目の悪い投手にもよく見える特製ミット(蛍光塗料を塗った皮をフチに貼り付け:元ドジャース副会長キャンパニス氏考案)を始めて使用した。
ビル・マドロック ジョン・スターンズ オーレリオ・ロペス スティーブ・ケンプ

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