MLB Photo Gallary
★1990年 日米野球展(於 野球体育博物館)
MLBチーム、第一戦の完敗(1対4:初回の1点のみ)を払拭しようとして望んだ第二戦。
ところが打線が再び沈黙。メンバー中、最高年俸(約2億6000万円)の5番グレン・デービス一人が大活躍するが(4打数2安打、1本塁打3打点)チーム全体でわずか4安打3打点に抑えられ、連敗を喫す。この第二戦の後、MLBチームは全く投打が噛み合わず、日米野球史上最悪の4連敗で、初めてシリーズの負け越しが決定。
さすがに応えたみたいで、残りの4戦を3勝1分で終えるが、トータル3勝4敗1分の結果が米マスコミ界に少なからず波紋を起こした。これが転機となって、以後、来日するメンバーの間にも心構えが出来たのか、92年、96年、98年、00年の4シリーズでは32戦して21勝7敗4分、勝率.656とすっかり勢いを取り戻した。
それにしても勝ち越しに湧くのは一時的で、わずか2年後に再び訪れる日米野球で更なる地獄を見せつけてミッポンプロ野球の強さを大いにアピールすれば良いものを、92年のシリーズでは1勝6敗1分という白日夢のような結果しか残せなかったふがいなさには改めて呆れる。
もっとも、たかが日米野球といった風潮があるのは確か。でも、結果が「良し」と出れば鬼の首でも取ったかのように「日米の差は縮まった」というのも短絡的で情けない。このスーパーメジャー・シリーズ最終戦で、フィンリーとR.ジョンソンのリレーで19年ぶりのノーヒッターを食らった事は恐らく誰も覚えてないだろう。「既に勝ち越しという結果が出てるので真剣勝負はムダ」とミッポン側は考え、一方、MLB側は「本来の力を発揮すればノーヒッターなぞ、屁でもない」になるのだろうか?
↑先発のチャック・フィンリー(当時エンジェルス)。
メジャー投手陣は4人のリレーで驚異的な14三振を奪うも勝てなかった。眠れる獅子は、この後も沈黙し、残念ながら4連敗を喫す。
↑フィルダーの他に注目を浴びたバッターは、アストロズのグレン・デービスだった。当時西武の秋山と若かりし頃、教育リーグでお互い熱い汗を流した仲良しだそうで、2人の交流が話題になった。
↑2001年、長谷川投手の在籍するアナハイム・エンジェルスの監督として知られているマイク・ソーシャは、当時はドジャースの正捕手。この時、7番キャッチャーとして先発し、2打数1安打。
 
↑3番手で登板した、ラモン・マルチネス(当時ドジャース)は2回を1安打4奪三振で無難に仕事をしたが、このゲームの後、肩に異常を訴え帰国。
↑S.ダンストン遊撃手。外野手ならまだしもショートというポジションなのに強肩で有名になる。何しろ、ゴロを捕球した後の一塁への送球がものすごい。矢のような球を投げるため、みんなは「ホォー」と溜め息を良くついたものだ。
↑なんとなくではあるが、注目していたレッズのクリス・セイボー三塁手。デビューの年である88年は新人王を取った事もあって、将来の殿堂入りも時間の問題と期待を抱かせたが、意外にも早くMLB界から消えたのは残念。

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