2004年 日米野球展

11/14 野球体育博物館(東京ドーム内)
 日米野球期間に合わせて毎回行われる「日米野球展」に行ってきました。日米野球最終戦のあとに入ったため、たくさんの人でにぎわい大盛況でした。入館料は大人で400円。展示物の質や量で比較すると、非常にお安いと思います。
↑2004年アテネオリンピックで使われた長嶋ジャパンを前面に押し出した国旗。病院から選手達にエールを送るために書いたとされる「3」が印象的です。
↑日本シリーズ優勝トロフィー(総理大臣杯)。意外に小さいなぁ〜と感じたの私だけだろうか?
↑現役日本人大リーガーのコーナー。松井稼頭央(メッツ)のユニフォームやイチロー(マリナーズ)の黒バットとサインボールなどなど。
↑2004年、日本でのヤンキース対デビルレイズ戦開幕戦で松井秀喜着用のユニフォームと、ジュリアーニ前ニューヨーク市長が始球式で投げたボール。
↑アテネ五輪、日本代表選手着用のユニフォームの数々。
↑同じくアテネ五輪、日本代表選手達の記念サインボール。
↑松坂投手(西武)のサイン入りユニフォーム。近い将来、メジャーのマウンドに立っている事、間違いナシ。
↑同じく上原投手(巨人)のユニフォーム。クレメンスからの個人レッスンは超刺激的。彼もメジャー間違いナシ。
↑過去に使われたリーグ優勝トロフィー。
↑案内プレートの通り、キャッチャーミットの内側です。 ↑同じくバットの工程見本。右側にあるのはバットの素材になるアオダモの種子。 ↑1934年、オールスターチームが来日した時のサイン。上からベーブ・ルース、コニー・マック監督、フランク・オドゥールら錚々たるメンバーの署名が並ぶ。
↑1934年(昭和9年)の日米野球入場券。ネット裏で4円。内野で1円50銭。 ↑プレートの通り、ルースのサインボールだそうですが、どう目を凝らしても見えましぇん。ルースの呪いか? ↑過去の日米野球で来日した選手が残した、寄せ書きサインボール。とても貴重である。
↑左のポスターから49年サンフランシスコ・シールズ(7勝0敗)、51年大リーグ選抜(13勝1敗2分)、53年ニューヨーク・ジャイアンツ(12勝1敗1分)。 ↑左のポスターは62年デトロイト・タイガース(12勝4敗2分)。右のユニフォームはウイリー・メイズ(ジャイアンツ)のモノ。 ↑左から66年ロサンゼルス・ドジャース(9勝8敗1分)、68年セントルイス・カージナルス(13勝5敗)、70年サンフランシスコ・ジャイアンツ(3勝6敗)。
↑エリ付き、半ズボンと非常に奇抜なデザインで注目を浴びたホワイトソックスのユニフォーム。選手の評判が芳しくなく、長続きしなかった。79年、ボブ・ウインクルズ(コーチ)が日米野球で着用。
↑92年、初来日時にクレメンスが使用したスパイクとキャップ。当時はボストン・レッドソックスのエースでした。
↑ルーベン・シエラが92年の来日時に使用していたスパイク。
↑92年、当時シアトル・マリナーズの若き4番だったケン・グリフィー・ジュニアが日米野球で使用したキャップ。
↑阪神でプレイした翌年、タイガースに復帰したら大ブレイクし、みんながビックリしたセシル・フィルダーのヘルメット。
↑シカゴ・カブスの名一塁手、マーク・グレースの使用したファーストミット。
↑オズの魔法使いこと、オジー・スミス遊撃手のキャップとグラブ。当時のショートは多少打てなくても、守備がうまくさえあればイイというのが通説だったが、近年はすっかりショート像が変わってしまった。
↑ずんぐりむっくりな体形がとっても人気だったカービー・パケットの使用グラブ。早い引退が今でも悔やまれる。
↑シンシナチ・レッズの名捕手、ジョニー・ベンチのユニフォーム(78年)。 ↑ミルウォーキー・ブリュワーズのポール・モリターのユニフォーム(79年)。 ↑ボルチモア・オリオールズのエディー・マレーのユニフォームとキャップ(84年)。
↑バット・コーナー。これがまたすんごい選手のバットがズラリ。 ↑奥から初の黒人メジャーリーガー、ジャッキー・ロビンソン、ウイリー・メイズ、フランク・ロビンソン、ディー・マレーのサインバット。 ↑上からカル・リプケン・ジュニア、イバン・ロドリゲス、バリー・ボンズの3本。
↑このポスター辺りから、私のメジャー歴が始まった。とても懐かしい気分になった。左から78年シンシナチ・レッズ(14勝2敗1分)、79年大リーグ選抜(1勝1敗)、81年KCロイヤルズ(9勝7敗1分)。 ↑過去の日米野球のチケット。こうやって見ると、昔のチケットは味があって良かったなぁ〜とつくづく思う。手に取ると、当時の光景が思い起こされる。それに比べて、今のは全然つまらない。料金は右肩上がりに高騰するクセにチケットのデザイン品質はどんどん落ちる一方。
↑巨人在籍時“ジョン損”と酷評されたデービー・ジョンソンのユニフォーム(86年)。メッツで世界一監督になって来日したら手のひらを返すように彼をもてはやしたのは誰?
↑ドクターオーこと、オーレル・ハーシュハイザーのユニフォーム(88年)。
↑サミー・ソーサのユニフォーム(98年)。
↑左から92年大リーグ選抜(6勝1敗1分)、96年大リーグ選抜(4勝2敗1分)。
↑左から98年大リーグ選抜(5勝2敗)、2000年大リーグ選抜(5勝2敗1分)、02年大リーグ選抜(4勝3敗)。
↑2000年、ランディー・ジョンソンのサインボール。
↑96年、ホアン・ゴンザレスの着用ヘルメット。 ↑98年、ビニー・カスティーヤが着用したバッティング・グローブ。 ↑96年、マイク・ピアッツァが着用したプロテクターとキャッチャー・マスク。
↑96年、マーキス・グリッソムが使用したシューズ。 ↑2000年、サンディー・アロマー・ジュニアが使用したシューズ。一目見て、発した言葉が「でけぇ〜」だった。35センチ近くに見えた。 ↑02年、トリー・ハンターが使用したスパイク。これもまた、でかくて、ひょっとしたら左のアロマーより大きいのではないかと思った。

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