Noguchi Cafe

 ニューヨーク編
 1 ニューヨークへ向けて出発

 6月9日(土)、17時50分発のアメリカン航空にて、出発。同日の同時刻(現地時間)にニューヨークにオンタイムで到着。ペンシルヴァニア駅のすぐ近くのホテルで一服して直ちに夕食に出かけます。

 7番街を30分ほどぶらぶらと北上、目指すはセントラルパークの南、59番通りに面するスポーツバー“Mickey Mantle's”。ヤンキースのスターだったミッキー・マントルのレストランです。金曜の夜なので混雑していると思いのほか適度に席があります。店内には数十台のテレビが備えられ、野球のみならず、各地のスポーツが中継されています。そういえば今日のデーゲームで、ヤンキースは鳴り物入りで加入したロジャー・クレメンスが初先発しているはず。「どうだった?」と係のおねーちゃんに聞いてみたけど、彼女、野球には興味がないみたい。

 「パック旅行と違って、自分たちの好きなところで好きな食事ができるのがいいねえ。」とK。
 満腹・満足して、明日の天気を心配しながら夜の5番街をホテルへと戻りました。

2 ホテルの治安は

 私たちは朝まで熟睡しましたが、S氏の部屋で鍵のトラブルが起きていました。

 S氏の話。
 「鍵の具合がおかしい。フロントに依頼すると修理に来た男はハンマーで取り付け部分をぶち抜いてしまう。こんなことはよくあるのだと言う。修理はしないのでフロントに部屋の交換を頼むと明日手配すると言う。今晩をどう過ごせばいいんだ、と押し問答の結果、しぶしぶ交換に応じた。新しい部屋は新築部分らしく良かったが、時間はかかるし対応は悪いわで、睡眠どころじゃなかった。今日は皆さんと一緒に行動できるか心配でしたよ。」

 S.さん、たいへんでしたね。しかしハンマーで簡単にとれてしまうような鍵では安心できません。それに夜中とはいえ日本では考えられない対応の悪さ。このホテル、高級とは言えませんが、アムトラックの駅へ歩いて行けるのが魅力だったのです。

3 ヤンキースタディアムへ

 翌6月10日、起床するとかなりの雨。過去2回、雨に降り込められたことはなかったのに、いよいよダメか、という空模様でしたが、次第に明るくなってきました。

 まず5番街37丁目にあるヤンキース・クラブハウスに駆けつけ、11時の開店を待ってそれぞれに土産を調達、そのまま42丁目のグランドセントラル駅から地下鉄でヤンキースタディアムへ。

 私たちの確保した席は「メインリザーブドMVP」と称するエリアで、ネット裏一階席の中段中央部分です。相手がピッツバーグ・パイレーツという人気度がトップのチームではありませんが、それにしても、この価格でよくまあこれだけの席が取れたものです。

 しかしこれにはそれなりの苦労もありました。ヤンキースタディアムの座席名称を頭に入れた上でインターネットアクセス開始ですが、初め、4人まとめて席を取ろうとすると全く座席がありません。2人でも同様、で1人にして“best available” と指定すると、この席があったのです。直ちに1枚を確定し、続いて残り3枚。同じ作業を4回繰り返し、やっとの思いで合計4枚が確保できました。この間約3時間。というのは入力項目がクレディットカード番号や住所氏名などは当然として、宿泊するホテルの住所名称まで入力する必要があるのです。私はタイピングのスピードがそう速くはありませんので、入力し終わると「タイムアウト」。また一からやり直しです。そんな作業を繰り返しながらも、最後の1枚をゲットしたときはほっとしました。したがって、座席は同じレベルですが場所は4人バラバラです。この作業は4月17日に行いましたが、もう少し遅かったら、この場所は取れなかったでしょう。

 当初はアメリカのチケット業者とも折衝しましたが、返信に時間がかかっていつになるかわからない上に、価格は最低でも140ドル(外野席との境界に近い3階席)。ちなみに私たちの価格は諸経費を加えて77.10ドル。

4 ニューヨーク・ヤンキース 13対6 ピッツバーグ・パイレーツ

 6月10日13時5分、定刻にプレイボール。今日はインターリーグ、このカード三連戦の第二戦。昨日は話題のクレメンスが初登板してヤンキースが9対3で勝っています。

 さて今日のゲーム、我々にとってのハイライトは松井の2安打でもA-Rod の2ホーマーでもなく、パイレーツ桑田の初登板です。2対5とリードされたパイレーツが4回表に集中打でヤンキースの先発クリッパードをノックアウトし逆転しますが、その裏A-Rod のスリーランで再逆転を許し、ヤンキース8対6のリードで迎えた5回の表です。シーソーゲームの打撃戦の中盤、ここで起用される中継ぎには重大な責任が課せられます。3Aから引き上げたばかりの桑田をここで投入したのには、チーム事情もあったでしょうが、ベテランへの信頼も期待されたのでしょう。

 さてこの回、桑田はカブレラ、カイロ、ニエヴェスを打ち取ります。続く6回表も一、二番のデーモン、ジータを仕留めたまでは完璧でした。しかしここで三番アブリューに四球のあとA-Rodにこの日二本目の2ランを右翼席に持っていかれ、6対10とリードを広げられてしまいました。そのあと松井にも四球を与えましたが次のカノーを抑え、今日の桑田のデビューは終わりました。

 試合が緊迫していたのはここまで。7回に登板したパイレーツのベイリスが乱調、一方ヤンキースはヘン、ビスカイーノ、プロクター、マイヤーズとつないで、結局13対6でヤンキースの地力の勝利となりました。

 「桑田の怪我回復後の3Aインディアナポリスでの実績は、3試合4回2/3無失点。今回のヤンキース戦の直前に、クローザーのトーレスの故障者リスト入りに伴い、その枠で登録。パイレーツ121年の歴史における最初の日系選手」とUSA TODAY のSports Weeklyは紹介しています。

 「過去の栄光はともかく、昨年日本で全く実績のなかった選手が大リーグで通用するはずがない。それがともかくこうした舞台に出られたのだから、本人は満足だろうし、経歴にも箔がついた。今後再び登板する機会はないかもしれない。」

 帰路、地下鉄内での私たちの雑談の最大公約数です。桑田ファンには失礼な表現があるかもしれませんが、個人の考えですからそこはご容赦を。結果からすると当った部分もあるしそうでないところもありますが、ともかく「メジャーの選手としては戦力外」との結論は出ました。今後の同選手の活躍を期待するのみです。

5 メディアの評価は?

 松井も今日は職責を果たしました。昨年の同僚チャコンから初回、走者二人を一掃する左中間二塁打、三回にもセンター左への単打をつなぎ、追加点の因を作りました。十分な活躍です。

 しかし気になるところもあります。「トーリ監督の信任が厚い」等々、日本のマスコミはこの手の話題をしきりと流します。それに間違いはないでしょう。何しろ入団以来ヤンキースの中軸を任されてきたのですから。では現地のメディアはどうか。残念ながら私たちの滞在中、USA TODAYは松井については一行も触れていません。球場で売っている「ヤンキースマガジン」7月号が、「2000本安打の達成でHall of Fame に相当する名球界入りした」と伝えているのみ。松井は旬の話題ではないようです。この時点で打率2割8分、本塁打6本、このあと私たちは8チームを見ましたが、この程度の選手は大リーグにはザラにいる、という印象を否めませんでした。

写真は松井の勇姿 観戦席から K氏提供

 桑田・松井と日本人ならではの感想をつづりましたが、客観的に見ればこのゲームの主役はA-Rod ことアレックス・ロドリゲスです。ホームラン2本に2四球で4得点5打点ですから、言うことはありません。帰国後M氏から寄せられた感想「ヤンキースタディアムで最も印象に残ったのは、レフトスタンドとライトスタンドへ2本のホームランを放ったロドリゲス。年間ホームラン王、打点王を獲得し、MLB最高年俸を更新した男の強打振りをタイミング良く見られたこと。」まさにこのゲームの真髄はこれに尽きるといっていいでしょう。

 もう一つ、USA TODAY Sports Weekly の6月13〜19日号におもしろいアンケートが載っていましたので、その一部をご紹介しましょう。

 「君(がオーナー)ならヤンキースをどうてこ入れする?」と題して、「ヤンキースは序盤の泥沼から這い上がり、勝率をやっと5割近くまで戻してきたが、もう一度スランプに陥ったら、? GM(キャッシュマン)、監督(トーリ)を馘首するか? ?A-Rodはチームを去るべきか? ?選手のトレードは?」 などと4人の同社の記者に尋ねています。

 ?、?の答えはおおむね“NO!”ですが、?がおもしろい。34,5歳以上のベテランを放出せよ、というのが共通の論調で、具体的に3人以上がアブリュー、デーモン、ジオンビの放出を主張し、ポサーダ、リベラすらもFA前に何とかすべし論が2名、といった按配。
 松井の名を上げたのは一人だけだったのにはほっとしました。あと、投手陣の放出候補では、ムッシーナ、リベラ、ファーンズワースと並んで井川の名があったのは名誉かご愛嬌か。

 以上でヤンキース観戦の長い一日は終わりますが、おまけを一つ。

 3回を終わったところで弁当を買いに売店に行きました。売り子はカラードの若者。つり銭を用意しながら尋ねてきました。
 「どこから来たの?」
 「Japan」
 「どこのチームが贔屓?」
 ここはヤンキースと答えざるを得ないでしょう。すると
 「そうじゃなくて、日本ではどのチーム?」
 どうせ知らないだろうと思って
 「ソフトバンク」
 と答えたところ、
 「Oh, MATUNAKA!」
 これにはびっくり。王監督のことも知っていました。
 後ろに列ができたので、握手をして別れました。松中が米国でどれほど知られているのかわかりませんが、マニアだかおたくだか、妙なところに詳しい人もいるものです。「城島も井口もソフトバンクの出身だよ。」ぐらいのことを話してくればよかったとあとで思いましたが、そのときは浮かびませんでした。

 ついでにおまけをもう一つ。

 帰りの地下鉄のチケットカウンターの混雑を避けるため、帰りのチケットは往きの駅到着時に求めておくのが常識ですが、チケットの有効時間2時間という制度が導入されたとのことで、帰りの自動改札でストップを食ってしまいました。後ろに大勢並んでいるのでやむなくバーの下を潜り抜けましたが見事に見つかってしまい、買い直し。ただ、日本の水道橋のように人で埋まるほどの混雑はなく、ここでもアメリカのマイカー社会の一端を見た思いでした。2004年まではこんなことはありませんでした。今後地下鉄ご利用の方はご留意を!(To Be Continued)

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