Noguchi Cafe |
総集編 |
ニューヨーク(ニューヨーク)、フィラデルフィア(ペンシルバニア)、セントピータースバーグ(フロリダ)、ヒューストン(テキサス)、アーリントン(テキサス) 2007年の6月、いずれも70歳を超える友人3人と2週間かけて巡ったアメリカの都市ですが、その目的はお分かりになりますか。そうです。アメリカメジャーリーグベースボール(MLB)観戦の旅です。 1980年代末、日本の野球に飽きてきた私は、MLBに関心を持つようになりました。当時の日本にはMLBの情報は少なく、雑音にしか聞こえないFENの実況中継をときに聴いたりしておりましたが、そうこうするうちに野茂のドジャーズ入りが決まり、日本中がMLBで沸き立つ時代がやってきました。 1998年秋のニューヨーク、シーズンも終了間近でペナントの帰趨も決まっていましたが、ヤンキース(対インデアンズ戦)、メッツ(対マーリンズ戦)を観戦する機会を得、伊良部と吉井が堂々と勝利するのをまのあたりにして、本場野球の隆盛と、3年前たった一人でこのアメリカに降り立った野茂の偉業に改めて感じ入ったものでした。 そのような経緯から、翌1999年、メジャーリーグを観戦しながら各地の都市を観光して回るツアーを考え、友人に相談しました。こんな酔狂な試みに誰が乗ってくれるかと思いきや、案外簡単に同行者が見つかり、かくて4人のパーティーによる「MLB観戦と地方都市観光の旅」がスタートしました。時期は1999年6月。クリーブランド、セントルイス、カンサスシティ、アトランタにて4ゲームの観戦です。 インターネットの利用環境が今ほど整っていなかった当時、野球のチケットを安価に入手するため、不馴れな英語で現地の代理店と折衝するなどの苦労もありました。一方、当時まだ命脈を保っていたパソコン通信のMLBフォーラムの仲間たちから応援と情報を得て、野球も観光も大成功裏に2週間の旅は終わりました。多々ある思い出の中でも、前年70本塁打でフィーバーしたカージナルスのマグワイアの21号ホームランが印象に残ります。 それから5年後の2004年6月、同一メンバーによる「第2回MLB観戦と地方都市観光の旅」を企画、シアトル、ニューヨーク、サンディエゴ、ロスアンゼルスにて5試合を観戦しました。印象に残るのはロスアンゼルスにおけるヤンキース対ドジャース戦で、野茂の(おそらくは)最後の勇姿に立ち会えたことです。初回、野茂は松井にフェンスギリギリのホームランを喫しますが、そのあとは完璧なピッチング、そして自ら松井のよりも大きなホームランを放ったあの試合です。テレビでご覧になった方も多いでしょう。 そして2007年、年齢から見てもこれが最後、との思いで、新メンバーを加えた4人による「第3回MLB観戦と地方都市観光の旅」を実施する運びとなりました。 ぜひとも行ってみたかったボストンが松坂人気も手伝ってかチケットが入手できず、代わりに入れたのが歴史の街フィラデルフィア。あとはめったに行けそうもないセントピータースバーグ、NASAで有名なヒューストン、ケネディ暗殺のダラスと西部劇の雰囲気の残るアーリントンなどを観光しながらMLBを観戦しようというわけです(アーリントンはダラスとフォートワースの間に位置し、テキサスレインジャーズの本拠地です)。 計画段階から感じていたことですが、フロリダやテキサスの諸都市はニューヨークなどに比べて大分様相が違います。まず個人旅行者が少ないせいか、大手の旅行代理店を経由しても観光やホテルに関する情報が得られない。 現地に行くとまず地域の広大さに目を奪われます。たとえばアーリントン。町とはいってもホテルの周辺には空地以外何もありません。そうしたなかで個人旅行者を悩ますのが交通事情。アメリカは車社会と言いますが、その意味はマイカー社会。タクシーは街中やホテルにいるものではなく、電話で呼ぶもの(自分の居場所を正確に伝えることが必須)。レンタカーは場所によっては安全でない。しかも野球場を含めた観光施設へのアクセスは非常に悪く、帰りの足を心配しながらの観戦や観光に幾分のスリルを味わいながらも、事前の計画は概ね完遂できました。 野球で特記すべきことは二つ。ひとつは対ヤンキース戦に登板したパイレーツの桑田。前日にマイナーから引き上げられたばかり。リードされた4回に登場し三人で抑えましたが、、5回にA・ロッドに2ランを喫して降板。これまた彼にとって憧れのヤンキースタディアムにおけるおそらくは最後の晴れ姿でしょう。もう一つはマリナーズのイチローのいわゆる「レーザービーム」。ヒューストンにおける対アストロズ戦で捕手城島とのコンビよろしく、3回のうち2回まで外野からの好返球で走者を刺す美技を見せてくれました。もうひとつおまけをするなら、東京六大学でエースでありながら、なぜか日本のプロ野球のドラフトにかからなかった多田野数人投手が、インデアンズの中継ぎとしてデビューしたことでしょうか。 3回にわたるMLB観戦の中で、記録にも記憶にも残る、歴史の節目に当たるゲームにも立ち会うことができました。MLB30球団、30球場のち、これで13球場を訪れたことになりますが、残りの人生であといくつ行けるか、そんなことを考えながらの帰国でした。 そして翌2008年、同じメンバーによる「第4回MLB観戦と地方都市観光の旅」。今まで入手不可能であったボストンのチケットが、今年に限ってネット上に残っているのです。 ボストンでは岡島投手がリードしていた7回に登板しましたが、二つの四球に二塁打二本と滅多打ちされ、一人で試合を壊してしまいました。シカゴカブスのリグレイフィールドに行きますと、球場の周辺は今季新人の福留外野手の人気で満ち満ちています。試合でも初回にスリーランホームランを放って勝利に貢献、その後のオールスターにも選出されましたが、彼の大リーグでの輝きがここまでだったのが残念です。日系の選手では、アスレティックスのカート・スズキ捕手の打棒が光りました。 その後しばらく、私の多忙のためこの旅行は中断しておりましたが、4年を経て2012年、前2回に同行したM.K.氏が鬼籍に入ったことなどもあって、それこそこれが最後との思いで「第5回」を計画しました。そんなわけで今度は3人旅。 まず訪れたのは陽気で喧騒の港町ボルチモア。ベーブルースの生家が博物館になっていたり、楽しい街ですが、後で聞いたところによると、犯罪の発生率も全米有数だとか。ワシントンまで市電とアムトラックで往復し、ナショナルズのボールパークツアーに参加。 次がデトロイト。その荒廃ぶりを聞いていたのでこれまで敬遠してきました。そろそろ自動車景気も復活したかと訪ねましたが、GMのルネッサンスセンタービルが威容を誇るのみで、人間が生活できる場ではありません。この後間もなく、破産が宣言されました。 アメリカの建国の歴史はフィラデルフィアにベースがあるかと思いますが、次の訪問地ピッツバーグは今や鉄の町の痕跡すらありません。博物館があって建国前のアメリカ史の一部が学べます。そして最後の訪問地シンシナチは、オハイオ川の対岸のケンタッキー州から逃れてくる人たちを人道的に保護した歴史が、街の誇りとなっていることなど。 MLBもさりながら、今回は「観光」の面でいろいろと得ることの多い旅でした。 さて今回を以ってMLB 30球場のうち、26まで見てきました。残るはトロント(カナダ)、マイアミ、アリゾナ、アナハイム、の4球場。ニューヨークやアトランタなど、衣替えするボールパークも次々と出てきます。さて齢80を超え、この先はどうなることでしょう。 |