あすぱむ徒然草

日 時
8/16
 岩木山制覇 感動記
 遠目に眺めては「奇麗な山だなぁ〜」とつぶやくことはあったものの、登ってみようとはずっとずっと長い間、考えたことがなかった。エベレストの登頂を伝える番組なんかを見ると、実に辛そうだ。釣り場に荷物を背負って少し歩くだけでもゼーゼー息が切れる自分である。山は見るもので、登るものじゃないのだ。そもそも、高校入学時の同級生の痛ましい事故(※1)がトラウマとなり、登ろうとする意識を持つこと自体考えられなかった。

 ※1 高校入学の1973年4月、新入生は受験勉強から解放され、どんな部活に入ろうかと品定めをしていた。当時、県内の高校でも数少なかった山岳部に興味を示したA君は入部を果たし、その歓迎パーティーがゴールデンウィークに岩木山で行なわれる事になった。標高1625mの山は決して高いとはいえないが、事故は起こった。一行は山頂目指して、すこぶる順調に進んでいたが、体調に異変をきたしたA君は、突然、バタッと倒れ、先輩部員の必死の介抱もむなしく短い生涯を閉じてしまった。

 山をあなどってはいけない。その後も岩木山では季節を問わず、遭難騒ぎがあり、やはり登るものではないと思っていた。

 だが今回は、あまりにも地上が暑く、涼しさを欲したのと、元来、高いところ好きの虫が騒ぎ、急に思い立つ格好で車を走らせた。途中、宮城県沖を震源とする大地震が青森の地も揺らし、大騒ぎしていたらしいが、全くそれには気づかず、岩木山のふもとを目指した。
 計画では、まず「津軽岩木スカイライン」に乗って八合目まで上がり、次はリフトの手を借りて更に上昇し、最後は自力で頂上を目指すというものだった。事前にネットで調べてみると“簡単に登れる山”と印象付けるモノが多く、やや油断が出来てしまった。ただ、装備だけはしっかり整え万全と胸張って言えるものだった。リュック(中にはドリンク、食料、着替え、タオル、双眼鏡、デジカメ等)、スニーカーに帽子。ただ、降りてくる人とスレ違った際に気が付いたのだが、ステッキを用意したほうがス・テ・キだったように思う…(ダジャレを言ってどうする?)

 実際、リフト乗り場に行ってみると、小学生のガキンチョや、70歳代と思われる年配の方々が待機しており、益々、油断が生じてしまった。15分ほどリフトに乗って、ようやく、上に到着して、山を見上げた。登っている人達の姿が薄雲の中、見え隠れしている。頂上は良く見えない。いざ、出陣。普段、ほとんど運動をしていない自分を決してイジメてはいけないと、ゆっくりゆっくり歩を進めるが、徐々に息がキレ気味になってきた。それと同時に心臓もトクトク言い出し、無理は禁物を肝に銘じたのだが、悲しいかな、後ろから迫ってきた年配(60代)の夫婦に競争意識を持ってしまった。「ココが一番、キツイんだよな〜。でも、これを過ぎれば楽になる」などと、ダンナ様の励ます声がバンバン、耳に聞こえてくる。コレに対して、なんのこれしきと反応した自分はバカだった。がむしゃらに登ったのもつかの間、足が上がらなくなり、目の前の想定した踏み場に足を持っていけなくなったのが決め手となり、休憩を決断……、というよりも、しばらく動けなくなってしまった。
 その間に、先ほどの夫婦には追い抜かれ、自分のカラ元気を戒めると同時に悟りを開いた。そう、マイペースで行こうと。

 汗拭きのため首に巻いていたタオルは、拭くだけじゃ用が足りないと、頭にねじり鉢巻きをしてみた。なにせ、額から滝のように出る汗が目を水没させ、視界が悪いのだ(笑)。もはや格好を気にしている余裕はない。デジカメも双眼鏡も背中に背負ったリュックにしまいこみ、登る動作だけに専念することに決める。上から降りてくる子供たちの顔が異様にさわやかだ。もう少し頑張ってみよー。

 意外にもゴールは呆気なく訪れた。雲に隠れて山頂が見えなかったのだが、息も絶え絶えに上を見上げると、人の集団と、三角のモニュメントが目に飛び込んできた。実はこの時点でも、ココが山頂だとは認識しておらず、途中の休憩エリアか?と思っていた。だが、雲が切れて、視界が開けた時、ココよりも高い所が無いのに気づき、やっと山頂だと実感したのだった。
 2005年8月16日午後2時、我が人生初の岩木山征服の瞬間だった……オオオーー、少し大げさかぁ〜?
 いやぁ〜、疲れたぁ〜〜。でも、気分イイなぁ〜。今まで制覇した山といえば、大鰐町の阿闍羅山(709m)しかないもんなぁ〜(笑)。

 雲の移り変わりは激しく、下界が見えたかと思えば、すぐにまた遮られてしまった。なるべく長くココに留まっていたかったが、征服者達が一人二人と下山し、ついに自分と管理人(50代後半の男性:山男風)の二人きりになってしまった。少し心細くなり、15分ほどの滞在で降りることに決定。下りは体力的に楽だった。足場には充分気をつけ、くれぐれも転げ落ちないように注意を払い、順調に下山をした。リフト駅が近くなった頃、若いカップルが既に息が乱れ気味で登ってきた。見ると、女性はハイヒールにタイトなパンツ。男性もイケメンで原宿スタイル(笑:そんなスタイル、あるんかいな?)。とても山歩きする格好ではない。この先、心配になったが、無用だった。駅に着き、休んでいると、カップルが汗を拭き拭き、同じ場所に居るではないか。ハッハッハ、山を甘く見るなよ!と目で教えてやった(笑)。

↑津軽岩木スカイライン。カーブには数字の立て看板がある。全部で69のカーブは、次第に飽きてきた。結構、大変。
↑弘前方面から県道3号線を走り、嶽(だけ)地区を通り過ぎると、スカイラインの入り口があります。
↑料金は普通車で1780円。ちょっと高い気もするが、それなりの価値はあると思う。
↑入り口のゲートを入って、3つカーブすると料金所がある。4月中旬〜10月下旬の午前8時〜午後4時半まで利用可。ココから66個のカーブを曲がって八合目に到着する。
↑八合目のゴールに辿り着くまで約10分ほどの道のりだった。もー、うんざり!って感じ。ハンググライダーが飛ぶチャンスを伺ってました。
↑八合目ターミナルビル。ココには嶽温泉前から出発するシャトルバスが到着する。一日4往復。大人料金は1000円、子供500円。食堂やみやげ物屋もあります。
↑ターミナルビルの隣でリフトが動いている。午前9時〜午後4時半(最終乗車午後4時)。大人往復800円、中高校生600円、小学生400円。片道料金も有り。
↑二人乗りリフト。コレに乗った瞬間、ガサゴソとリュックから物を取りだす人が多いが、高い確率で、その物を落とす。実際に、そのシーンを目撃した。
↑雲の流れが非常に速く、ガスったかと思えば、カラリと晴れ、まさに女心のようにコロコロ変わりました……アッ!ウソウソ、アナタの事ではありましぇ〜ん。
↑リフトに揺られること約15分。やっと到着。ココは九合目になる。空気もだいぶ薄くなり、呼吸が難しくなってきた……ゼーゼー。ウソです、ウソ。
↑円形状の休憩センター。中には飲み物の自販機があるので、買い忘れたら、こちらで買い求めて準備したほうがいい。ココから山頂を見たのが下の写真↓。
↑さぁ〜、出発。この時点では、まだこの先の辛さを知る由もなく、鼻歌を歌っていた。デジカメで風景を写す余裕もあったのだが…。
↑この斜面はキツかった。5mも上がらないうちにヒザがガクガク言い出し、休憩が多くなった。ももの筋肉が突っ張り、足が上がらなくなる。つまずいて落ちたくもないし、恐怖を感じた斜面だった。
↑「鳳鳴ヒュッテ」前に掲げられた案内板。昭和39年1月に大館鳳鳴高校の山岳部生徒4名が吹雪で遭難し、命を落とした。事故を二度と起こさないための避難小屋として設立。
↑簡単なベッドやトイレ等があるが、心無い落書きもあった。こんなところまできて、赤いスプレーで落書きをする気持ちが私には理解できない。虚しくならないんだろね。
↑鳳鳴ヒュッテ外壁に取り付けられた注意板。気が引き締まる思い。なお、鳳鳴ヒュッテは下の縦写真に写っている「赤い屋根の建物」です。
←赤い矢印には、人が居るのだが、コース内の石を片付けたり、転がらないよう並べ変えたり管理をしている人。このような人がいて、安全で快適な登山が可能なんです。感謝しまひょ。
↑山頂付近が雲に覆われ、ゴールが全く見えない中、登頂断念も考えた時、突然、人の集団がうっすらと見えてきて、初めてココがゴールなんだと知った。
↑山頂にも管理人が居た。こんな小屋、チベットとかによくありますよね。屋根を伝った雨は雨どいを通り、白いタンクに貯められてました。
↑岩木山山頂を記すモニュメント。ピラミッドの中には鐘が吊るされており、鳴らしていた。また記念撮影は皆ココでしてました。あぁー、携帯電話(ドコモのムーバ)通じました。
↑岩木山神社。お山参詣で御来光を拝む際、定番、かつ、超有名なカメラアングル。毎年9月上旬は大賑わいとなります。

→雲の流れが非常に速く、突然、スーっと視界が開けてきたので写したのが右の写真。方角がイマイチわからないのだが、おそらく東側、弘前市方面ではないだろうか?ロープの先は絶壁。あるお母さんは足がすくみ、この景色を見れないと叫んでた。なのに良くココまで来たもんだ。


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