あすぱむ徒然草
水戸市内観光
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福島出張が昼で終わり、そのあとは会社の同僚Y君と二人でフリータイムを貰って水戸市を目指しました。福島でレンタカーを借りて、約200キロの移動。本来の目的は、翌日、鹿嶋市で行われるアントラーズのゲームを観戦するのがメインでしたが、せっかく水戸まで来たのだからとネットで調べ、サブ的な観光をすることになりました。ところが、千波湖(せんばこ)も常磐神社も偕楽園も非常に印象が強く、「サブ的」と考えたことが申し訳ないほど、素晴らしいモノになりました。そのリポートをご覧ください。
宿泊する水戸プリンスホテルには無料のレンタサイクルがあるというので、早速、借りて、街に飛び出してみました。車だと駐車場を気にしないといけないのに、自転車は停まりたいところで停まれるのが実にイイ。 まずは千波湖。周囲約3.1キロはウオーキングコースが整備され、とてもたくさんの市民が、歩いたり、ジョギングしていました。街中にこのような大きい憩いの場がある水戸市って羨ましく思った次第です。また生き物も多く存在し、自然環境がしっかり守られていると感じました。 |
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↑遠くから太陽を反射させてギラギラ光り、とても 目立っていたので何かな?と思ってたら 水戸芸術館のタワーでした |
↑珍しいなと思って見ていたら千波湖にはたくさん いました。60羽近い黒鳥がいるそうです |
↑千波湖(せんばこ) | |
↑人馴れした野鳥がウオーキングコースにたたずみ、水面では大きな鯉がバシャバシャ水音を立てていました | |
↑水戸と言えば黄門 | ↑徳川斉昭・慶喜親子像(下) |
常磐神社、義烈館。光圀と斉昭をまつる神社。 光圀が「義公」、斉昭が「烈公」と称されていることから名付けられました |
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↑相棒のY君が参拝。脱帽の後「二拝、二拍手、一拝」します。 宿泊のホテルから借りた自転車がコレ(右)です。そこそこ良い運動になりました |
好 文 亭(こうぶんてい) | |
「好文亭」は水戸藩第九代藩主、徳川斉昭(なりあき:列公、1800年〜1860年)が別邸として、また藩内の人々と偕(とも)に楽しむ場として建てたもの。「好文」とは学問を好むという梅の異名で、人々が学問や仕事に励むかたわら、ここで心身を保養するという斉昭の想いから命名されました。昭和20年、戦火により焼失しましたが、30年から3年を費やして復元されました | |
↑菊の間(左)、桃の間(右)。総板敷きで調理室として使われました | |
↑つつじの間(左)と萩の間(右)。藩主夫人お付きの婦人たちの詰め所として使われました | |
↑竹の間(左)と梅の間(右)。斉昭夫人の貞芳院が明治6年まで住んでいた3部屋の中の2室。 梅の間は奥御殿の中で最も高貴な部屋で、明治以降、皇族が来亭の折りには休憩室として使われました |
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↑西塗縁(にしぬりえん)。36畳の総板張り(漆塗り)の大広間でしばしば詩歌の宴などが催されたところ |
楽寿楼(らくじゅろう)3階 | |
↑3階正面8畳の正室。東南西三面からの眺めは絶景(下の写真参照)で、往時は遠く筑波の峰や大洗の松林が望めたそうです。なお、下の写真で中央に青白くて四角く光っているモノがありますが、道路上によくある案内標識のようです。ちょっと目立ちすぎますね | |
↑斉昭直筆の「好文亭」扁額(へんがく)を 頭上に、はるか昔に思いを馳せています |
↑説明がいらないくらい、風情があって絵になります |
萩まつりが1日から行われており、この日(17日)からはちょうど 園内のライトアップと閉園時間の延長が始まりました。なんという幸運 |
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↑午後6時半、陽もすっかり暮れて見晴広場もライトアップ | ↑孟宗竹林(もうそうちくりん)のライトアップ。 かなり幻想的でした |