あすぱむ徒然草
津軽海峡 フェリー横断の旅
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函館の往復をフェリー使って横断し、一泊二日の旅をしてきました。あ、ちなみに車はフェリー駐車場に乗り捨てて、人のみ乗船しました。西寄りの風が非常に強かったものの、天気には恵まれて楽しく回ることができました。往路のフェリーは、前月4月16日に就航したばかりの新造船「ブルーマーメイド(約8900トン、旅客定員583名)」。※船名の読み方にはご注意。くれぐれも「ブルーマー」で区切らないように。「ブルー」+「マーメイド」ですからネ。
奇しくも、その就航日は韓国の客船セウォル号が沈没した日。総トン数では2000トンほど上回りますが、旅客定員では400名ほど少ないブルーマーメイド。似たような船とも言えることから、少しだけ考えるモノもありましたが、津軽海峡フェリーは大丈夫だろうと信頼してチケットを取りました。ゴールデンウィークということもあり、船内はほぼ満員。ターミナルから中に入ると、もはや椅子は占領され、腰を落ち着ける場所がないので、甲板に向かいました。函館までの3時間40分、そんなに退屈することなく過ごせました。自由に広い船内を歩き回れるのがイイのかもしれませんね。 |
写真構成のムービーを作ってみました |
ピッカピカの「ブルーマーメイド」 |
ターミナル外観 | テラスで待つ一般客 | 車と比較してやっぱデカイ |
ドラは鳴らないが、離岸時は風情を感じますね | 救命ボートの場所チェック |
潮風を受けながらの甲板も、なかなか楽しい | |
函館山が見えてきた。いよいよ北海道 | 3時間40分で到着 |
キャンピングカーが、続々と北海道に吸い込まれていきました |
五稜郭 | |
フェリーを降りて、まず向かったのが、五稜郭。路線バスに乗って約15分で「五稜郭公園入口」で降車し、そこから歩くこと約10分弱で五稜郭タワーに到着。桜を追って函館まで来たつもりは特に無かったが、とても良く咲いていて、ラッキー!とつぶやく。花見のお客さんらと一緒に列をなして歩きました。 | |
五稜郭タワー | 桜が咲き誇る五稜郭公園 |
五稜郭タワー | |
五稜郭復元模型(1/250) | |
箱館奉行所(コレ、模型でなくホンモノです) | 二の橋(コレもホンモノ) |
シースルーフロア。高所好きの自分には楽しめた | 函館山を遠くに臨む |
1階アトリウムは天井が高くて、明るくて、広々としてました |
メモリアルポール | ||
五稜郭が経てきた激動の歴史と人々のドラマが、16個のミニチュア模型で表現されています | ||
箱館総攻撃 | 一進一退の攻防 | 明治維新政府軍反撃開始 |
蝦夷全島平定仮政権の樹立 | 旗艦開陽、江差港に沈む | 松前攻略・築城の戦い |
五稜郭公園と箱館奉行所 | |
園内では桜満開 | 弘前公園とは雰囲気がやっぱ違いますね |
2010年に復元された箱館奉行所 | 72畳の広さを誇る大広間 |
中庭 | 復元模型 |
歴史発見ゾーンでは案内の女性が様々な質問に応えてました | |
使用された木材。青森ヒバも使われてる | 板蔵から見る五稜郭タワー |
函館市電 | |
富山市に旅行した時、市電を見て、とっても乗りたかったんだけどチャンスが無く心残りでしたが、今回の函館旅でようやく実現した。いろんなカラーの車両が走っていて、目移りする。五稜郭から赤レンガ倉庫群に移動するため、乗ってみる。乗り方は乗り合いバスと同じで中ほどから入るのだが、整理券を取るのをつい忘れて、慌てて取りに戻った。運転席のすぐ後ろに陣取ったところ、道路には車用と電車用の信号機があるのに気が付いた。
電車の中はレトロ感あって、堪能しました。計器類がアナログで実にいいなぁ〜。青森にも欲しいけど、雪がねぇ〜。青森市と人口がほぼ同じなのに、市電という交通手段がある函館市が羨ましく思いました。 |
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1時間に5本ってのはありがたい。田舎暮らししてると1時間で1〜2本が当たり前の感覚だからね | |
赤レンガ倉庫群の雰囲気も実にイイ | 倉庫群の裏手に回ると、こんな店も |
夜景を観る前に、函館ビアホールで腹ごしらえしました。あんまり飲み過ぎると、ふらつきかねないので、セーブしながら楽しみました。中ジョッキ2杯とピザの組み合わせは最高ですね。 |
100万ドルの夜景 | ||
函館と言ったら、夜景。今回の旅は、コレが目当てだったと言っても過言ではない。釣り仲間から雨男だと言われているため、天気が気になってたが、雨の一滴すら降りそうもない好天になりました。夜景を観るのは小学6年の修学旅行以来です。あの時の感動が約43年ぶりに甦ると思ったら、なんだかワクワクしてきました。
朝からあちこち函館を歩き回ったために、足の限界が近づきつつあり、ロープウェイ山麓駅に向かう傾斜のある坂道が辛かったです。 ゴールデンウィーク最終日、ロープウェイは満員。山頂駅に約3分で到着し展望台に向かうと、いやはや、凄い人の数。中華系の外国人も沢山。なるべく展望台の前に行って、記念写真を撮りたいところですが、順番待ち状態。ようやく最前列に辿り着き、何度もシャッターを切りましたが、後から整理してみると、ほとんど同じアングルでほとんど同じ内容に苦笑しました。昔であればフィルムの無駄ですが、現代は、そんなのあまり気にせずに撮れるのでイイっちゃぁ〜イイんだけど、整理が大変です。 高さのある函館山じゃないけど、山頂付近は風も吹きつけ、それが体を少しずつ冷やします。防寒対策をしておいて良かった。一時間ほど掛けて、夜景をマブタとデジカメに焼き付けて、下に降りました。 100万ドル(=約1億円)も、今では宝くじで6億も出るように、さして驚く金額では無くなった。語呂の良さから見直す風潮も無いし、この代名詞はずっと使われるんでしょうね。 |
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摩周丸 | |
函館二日目はメモリアルシップ「摩周丸」を観てみました。
青森にも八甲田丸がありますが、どちらも採算面では厳しいようで、お客さんもそんなに沢山来て賑わう雰囲気は無いけど、残すという観点に立つと、とても重要なことだと思います。混雑していない分、じっくり観ることが出来ました。むしろ、「船のしくみ展示室」なんかはもう少し時間を掛けて観てみたかったとさえ思うほど。 |
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ドラ、鳴らせます | 鐘、多分、鳴らせる |
無線通信室には懐かしいアナログ機器が一杯 | 航海の安全を願う神棚(写真上部) |
救命筏の備品。釣りのセットがあるのには納得。 食料補給のため、魚釣りをしろってことだね |
遭難時の一式には、つい、目が行った |
青森港の海図。数字は水深ですね | 操舵室。船長が中央に陣取って、操船の指示をココから出した |
函館山はどこから見ても絵になりますね |
記念品展示コーナー | ||
飾り毛布 | ||
青函連絡船の寝台室では、毛布を季節に合わせた題材できれいに折りあげて乗客を迎えていたそうです。毛布はボーイが代々折り続けてきたもので数10種類ありましたが、1964年(昭和39年)の津軽丸型(2代目)連絡船の就航で折り返し時間が短縮されたため、作業時間がとれず取りやめとなりました。おもてなしの心が、こんなところにあったのですね。良く考えたもんだわ。 | ||
初日の出 | ||
かぶと | 大輪 |
グリーン指定椅子席 | この服を着て記念撮影が出来るらしい |
日本海難史上最大の惨事となった「洞爺丸事故」。1954年(昭和29年)9月26日に青函航路で台風第15号により、函館港第三防波堤灯柱付近で浸水後、傾斜し、最後には船体がほぼ裏返しで海底に煙突が刺さった状態で沈没した。死者・行方不明者あわせて1155人。
摩周丸内の展示室で事故を伝えるパネルをじっくり読んだところ、今まで自分が思い描いていた内容とは大きく違っていることに気が付いた。津軽海峡のど真ん中で沈没したものとばかり思っていたが、実際は函館港の中で、陸にすぐ接岸できそうな近いところで事故が起きていたことに驚きを覚えた。港内で台風の様子をみながら出港の待機をしていたところに、次第に強まる風波にやがて、座礁し、浸水したのだという。この時、洞爺丸の他にも2隻が座礁、5隻が沈没したそうで、洞爺丸台風のパワーは、もの凄かったんだなと思い知った。自分がまだ生まれてもいない昭和29年。今ほど、気象情報は充実していなかったのだろう。嵐の中で海に投げ出された乗客の無念は、想像に難くない。合掌。 |
「びなす」に乗って函館にサヨナラ | |
正午出発の「びなす」で青森に戻りました。ゴールデンウィークも終わり、一段落したこともあって、比較的、船内は落ち着きを取り戻した感じ。ブルーマーメイドの乗船時はボーディングブリッジを使って入りましたが、今回は車両の乗降口から。スマートな乗降もハイカラだけど、こんな乗り方もフェリーならではのモノがあって楽しめました。 | |