2006年 10月2日 入院124日目  糸切れと自主トレ

 前夜、外泊から戻り、再び、点滴を繋いで貰おうとした時にCVカテーテルの糸がすべて(3ヶ所)外れていることに気づき、再び、ロックした。不安定な状態で繋ぎ、カテーテルの先端が動いて肺などへ入り込むと危険なのだという。

 一夜明けて、この日の朝、手早く縫合処置を行なった。

 仲間同士の井戸端会議で、話題になったのが急激に進行する足腰の筋肉の衰えだった。
 老若問わず、みな、階段のわずかな段差でつまづきそうになり危ない目に遭ったという。
 神林さん(60代前半)は外泊のため、病院から外に一歩踏み出した時、おっとっとと転びそうになったのだそうだ。また、本村さん(50代前半)は移植で無菌室へ缶詰めになって3週間後に出た時は車イスで脱出したらしい。無菌室は四畳半ほどのスペースしかなく、すべてその中で用が足りてしまうため、ほとんど歩くことがなく、そうなってしまうらしい。テレビショッピングでも宣伝している運動器具が置かれているそうだが、移植時はとても具合が悪くなるので、そのような運動がとてもできる状態ではないらしい。日ごろの訓練の積み重ねが重要となってくるのだ。
 よって、本日から足を鍛えることにした。片方の足に1.5キロの砂のう(DIYショップのトレーニングコーナーでの市販品)を付けて、2スタイルの屈伸運動を40回ずつ、あまり体に強い負担がかからない程度にベッド上で行なうというもの。継続は力なり。三日坊主にならないよう頑張ってみよう。


 2006年 10月4日 入院126日目  化学療法4回目がスタート
 今日から10日間の治療がスタートした。
 キロサイド330mg/24時間を5日間、ラステット170mg/24時間を5日間、これらが終わったのち、オンコビン1.3mg/30分を1日、フィルデシン3.3mg/30分を1日。実は前回の3回目と全く同じ薬で同じスケジュール。
白血球 ヘモグロビン 血小板
3900個 9.5g 2.9万個

 2006年 10月6日 入院128日目  土壇場キャンセル

 下旬に移植が決まっていた神林さんが、朝9時、主治医の荻窪先生に呼ばれた。先生の表情がちょっと硬いのが気になる。何かあったのだろうか?

 30分ほどして、神林さんが冴えない表情で病室に戻って来た。何となく察するものがあったが、まもなく、本人の口から明らかになった。

 「最終同意したドナーからキャンセルの報が入りました」
 「ホントですか?ウソでしょ?信じられない」

 移植日が決まると、それに合わせてスケジュールが次々と決められていくのだが、つい三日前、CVカテーテルに変えて、ヒックマンという若干太いカテーテルにバージョンアップしたばかりだった。CVのように処置室で行なうのと違い、手術室で行なうことからもわかる通り、ヒックマン術は大掛かりでとても重要なものである。
 これにより患者の気持ちも一気に移植へと高まるわけで、そんな矢先のキャンセルである。見るに忍びないほど落胆していた。ドナー・キャンセルの理由が一切、公表されないため、どうしてそうなったのかを知ることができないが、ついつい「土壇場で怖くなったのか?」と考えてしまう。でも実際は、その考え方のほとんどが間違いであると知らされ、少し救われた。神林さんのドナー探しは振り出しに戻った。

 ※隣りの部屋の本村さん、本日、退院。めでたしめでたし。


 2006年 10月9日 入院131日目  化学療法も半分経過
白血球 ヘモグロビン 血小板
1100個 8.1g 2.8万個

 キロサイドとラステットが終了につき輸注ポンプが外れる。よって、午後、シャワー浴する。この日から抗生剤ケイテンと抗菌剤ファンガード開始。腕と太ももに少しだけ湿疹が出るが、それほど強いかゆみが出ない。

 前日、届いたTVキャプチャー(パソコンに接続してTV番組を見られるようにする機器)でTVを見まくる。それまでは病院の設備を使用のため、お金がかかり、見たい番組を厳選して見ていたが、今後は一切料金が不要なので余裕である。でも、ちょっと不満なのが、音。キャプチャーを動かすとパソコンのファンがフル回転するようになり、結構、ブンブン、音が出る。ナースさんにも「音、するね」と言われてしまった。

 大林ナースがMACユーザーだった。小暮先生もMACユーザー。なお、発火問題でリコール&交換となった我がPBG4のバッテリー(ソニー製)が到着。病院を火事にしては大変と、バッテリーを外していたが、本体の重心が後ろに移るため、コッテ〜ンとひっくり返りそうになっていた。それが解消し、サッパリ。


 2006年 10月13日 入院135日目  化学療法4回目が終わる
アイ・アム・B.ウィリス(笑)
 第4回化学療法、終了。第3回目と全く同じ内容だったので、勝手がわかってて、安心の治療だった。発疹と下痢も計算づくの副作用。それ以外は何もなく、相変わらず、幸運な治療生活を送っている。

 頭を丸めてから二ヶ月が経ち、今ではすっかりどこかの組長みたいになってきた。髪以外にヒゲもまつ毛も生えなくなった。入院前までの朝は、ひげ剃りや朝シャンで忙しかったものだが、今はゴシゴシと頭をタオルで拭けば、ハイ!終わり。あまり楽なので、退院後もこのスタイルを貫こうかと、少しだけ思う。自分でも髪のあった顔がどうだったのか忘れかけている。

 ※入院時に同室だった長山さんが退院。代わって、一旦、退院して通院治療していた堂本さんが再入院。

白血球 ヘモグロビン 血小板
1300個 7.5g 2.3万個

 2006年 10月18日 入院140日目  山田さん、GVのため再入院
白血球 ヘモグロビン 血小板
1500個 10.1g 4.2万個

 腰痛がひどい。寝返りするのが大変だ。一週間ほどで消えるのはわかっている。辛抱しなくてはならない。

 先月一杯でめでたい退院をした山田さんが戻ってきた。
 入院中は予想されたGVHDが全く出なくて、自分と同じ主治医の白木先生が首をかしげていたが、それが退院して外の空気に触れたと同時に出たらしい。一度、自由の味を覚えてしまった山田さんはとても無念そうだったが、苦しそうな表情(熱、咳、目の充血、発疹)のため、やむを得まい。不思議なことに、退院時のベッド(つまり、私の隣りだが)は主を待つかのようにずっと空いており、そこに再び収まった。みんなからは「長い一時外泊でしたね。お帰りなさい」と言われていた。


 2006年 10月21日 入院143日目  輸血疹、現る
PCバッグ
 珍しく血小板輸血で輸血疹が出た。

 今回で通算55回目になるが、自分と血小板は極めて良好な関係にあるようで、あまりひどい発疹に見舞われた事がなく助かっていた。人によっては、ものすごい数の発疹と激しいかゆみに襲われて、途中で中止しなければならないケースもあるという。ちなみに、このPCバッグ、非常に高価で、一つ、7〜8万円もするのだとか。成分献血で取り出した10人分の血小板が入っており、いろいろと手間がかかっているだけに、そのような金額になるのだろう。

 今回の輸血疹は両足、両腕にボコボコと出て、それなりにかゆみもある。かゆみ止めのサクシゾンを注射してもらったら、見事に緩和した。ありがたや、ありがたや。


 2006年 10月24日 入院146日目  ほんの一瞬の暖房
暖房の季節がやって来た
 秋も深まり、病室も肌寒くなってきた。病室は北向きなため、日が射さず、よけいに寒い。一方、反対側の大部屋群は南向きでこの季節は好条件。むしろ暑いくらいだという。病院の暖房スイッチオンのタイミングとしては、あまり燃料を使いたくないから、南側から「寒いぞぉ〜」の文句が出た時だろうか?
 このままでは風邪を引きかねないと、我々は自己防衛策として、ジャンパーを着込んだり靴下を履くなどして努力した。それにようやく終止符が打たれる時が来た。

 この日、昼過ぎにスチーム暖房がコンコンコンと音を出して、モヤァ〜ンと暖かい空気が室内に広がった。
 「オッ!暖房が入ったぞぉ〜」と、まるで、大海原で大陸を発見したように声を出した。一同「オオオオ〜」。

 と喜んだのもつかの間、夕方にはオフに(悲)。試験運転だったのか?結局、正式な暖房になったのは、この日から約1週間後の11月1日だった。ただし、11月以降もお天気によっては止まったり、夜中は皆、布団に潜り込むのでオフになる。


 2006年 10月27日 入院149日目  枯渇気味の左側
白血球 ヘモグロビン 血小板
1100個 9.2g 3.9万個

 通算11回目のマルク。恒常的に血小板が少なくなってきているため、なかなか出血が止まらず、いつもなら処置後に30分間、横になるだけでいいのが、更に30分追加になった。
 また、骨髄液が徐々に取り出しにくくなったみたいだ。白木先生、若干、苦戦していた様子で、終了後に「次回からは反対側で採取したいと思います」と言われた。これまでは背骨の腰部分左側から採ってきたが、今度からは右側からということだ。入院中に果たして、何回のマルクを行なうのだろうか?右側が満杯になれば、その次は胸からの方法もあるが、そちらは御免被りたい。

 鈴元さん、夜から明け方にかけて移植スタート。


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