2006年 12月1日 入院184日目  三ケタのWBCに「外出禁止令」
白血球 ヘモグロビン 血小板
800個 8.5g 3.6万個

 第5回目の化学療法が終了して一週間。白血球が下がる様子を注意深くみてきたが、ついに1000台を下回った。

 これにより、週一度のお楽しみにしていた、売店への買い出しが禁止。平日は外来患者がたくさん利用するため、白血球が高目でも遠慮しているが、今日は土曜日。外来も休診で人が少ないかと思って、ナースに伺いを立てたところ、無情にも「ノー」。マンネリ化の病院食からちょっとだけでも抜け出そうと、日曜日の夕食をストップして、スペシャル食(別に特別な食事ではなく、カップ麺とおにぎりの組み合わせ)にしてきたのだが、今回の売店出入り禁止令により、それがかなわなくなってしまった。
 どうしようかと困っていたところ、隣りの山田さんが買ってきてくれると申し出てくれたので、渡りに舟とばかりお願いした。いやぁ〜、ありがたい。

 これまた楽しみにしていたお風呂(実際はシャワー浴)も指定された時間以外の入浴が禁止された。
 白血球が低い人は特定曜日(週2回)の朝一番風呂が指定されている。これは浴槽のお湯が汚れると、感染の恐れが出てくるためなのだが、この時間帯、わずか1時間しかないのが難点。また、時間帯を守らずに、白血球数と関係なく堂々と入っている患者もいるので、それが混雑の原因にもなっており、困っている。
 今までは午後風呂にゆっくり入っていたのだが、それがダメになり、残念だ。


 2006年 12月4日 入院187日目  WBC600、輸血疹
ついに里にも雪が…
白血球 ヘモグロビン 血小板
600個 7.3g 2.3万個

 12月に入ったとたん、雪がドッと降り、午前11時で58センチの積雪を記録。これは本来、1月中旬並みの積雪。12月上旬に50センチを超えて、これだけ降ったのは21年ぶりだそうで、さすがに全国的なニュースになっていた。
 病院駐車場は普段の日でも混雑するのに、今日は除雪が追いつかず、これに通じる道路、約300メートルが大渋滞。駐車場内に入るまで約1時間近くも道路で待機させられたと、外来の診察を終えた笹原君が疲れた様子で見舞ってくれた。

 採血の結果がご覧の通り、3項目とも低く、益々、注意深い感染対策等が求められる。本日は血小板輸血が前もって予定され準備は出来ていたが、ヘモグロビンが低いことから、もしかして赤血球輸血も入りそうだなと予感していた。まもなくして、その予感はピンポォ〜ンとなり、通算11回目の「黄」と「赤」ダブル輸血となった。
 なお、血小板輸血の際、終了後1時間ほどしてから輸血疹がかゆみを伴って手足に現れ、サクシゾンと強力ネオミノファーゲンシー注射を投与。輸血疹が消えるまで次の輸血を待機したため、すっかり遅くなり、赤血球が終わったのは就寝間際の午後10時になった。

 お昼、仲間と足の筋肉の衰えについて話題になっていた時、松山ナースから、ある計画についての協力をお願いされた。私が毎夕食後に簡単なトレーニングをしている事を知っている彼女が、それを移植時にも行い体力データを取らせて欲しいとのこと。トレーニングとはいえ、ただ単に足の甲に1.5キロのオモリを付けて、ひざの屈伸左右とも40回ずつ、足全体の上げ下ろしも同30回ずつ、行なっているだけなのだが、それで十分だそうで、それならば別に特別なことをするわけでもないし、二つ返事で引き受けることにした。
 ところが、仲間はとてもそれどころじゃないという。ひどい下痢にやられて、足をちょっとでも動かそうもんなら、ピュッピューだぞぉ〜と脅かす。松山ナースもその辺は承知の上。可能な限りで結構というので、改めて、受諾。

 というわけで、本日の自主トレはいつもより少し回数をアップしてみた。それぞれ10回上乗せして、やってみたのだが、これがまたハードだった。息切れと動悸、ふくらはぎの筋肉に張りを感じた。普段、何気なく歩いていることがどれほどの運動になっているかを痛感している。


 2006年 12月7日 入院190日目  WBCが更に低下
白血球 ヘモグロビン 血小板
500個 8.0g 2.5万個

 にわかに我が病室がにぎやかになってきた。
 10月の移植がドナーのドタキャンで中止になり、次のドナーとの交渉を進めていた神林さんが、来週末に移植することが決まって、住み慣れた病室をいよいよ引っ越すことになった。

 引っ越し先は4階の無菌室。ここに入室する際の持ち込めるモノや注意点などで山田さんを質問攻めにしているのを聞いているうちに、自分も耳がロバになってしまって、いつのまにか割り込んでしまっていた。
 その辺の情報は、のちほどやってくる自分の入室時に書き込むとして、無菌室の話題がものすごく身近に感じられるようになってきたのを実感すると、不安と期待が入り交じった複雑な心境になる。

 赤血球バッグを抱えてやってきた田中ナースに自分のスケジュールがどのようになってるのか、ちょっとだけ尋ねてみた。まだちゃんと決定したわけじゃないと前置きして「クリスマスの頃にヒックマン術、4日から辛い前処置、12日に移植。よって、年越しを自宅でというのは無理っぽいわねぇ。心情的にはおうちに帰してあげたいけど」とのこと。
 万が一のことがあっても悔いのないように、最後にビールを一杯飲みたかったが、その願いは叶わないようだ。
 ただ、人が気を使ってくれるほど、家で年越しをしたいと強く思っているわけでもない。人生最大のビッグイベントを控えて、あまり外に出歩き、体調を崩してはなんにもならない。安全な病院にいるほうが、精神的にいいのかもしれないとさえ思っている。

 一方、山田さんもGVHDで再入院してから、まもなく2ヶ月。そろそろ退院の話も出てきた。この病室の顔ぶれが一気に変わり、少し寂しくなりそうだ。

 ※名良橋さんが移植スケジュール通り、無菌室を脱出して一般個室に移動した。経過は良好で、とても元気があるという嬉しい情報。あとに続く者としては、心強い。


 2006年 12月13日 入院196日目  今年の漢字「命」
白血球 ヘモグロビン 血小板
500個 8.6g 4.0万個
御守り

 また髪が抜け始めた。
 この頃、シェーバーでヒゲが剃れるようになって、自分の毛が元気良くなってきたと思ってたので、ちょっぴりショック。どうして、見た目にとても影響を与える髪の毛が抜けるのか?とナースに聞いたことがある。すると、細胞が活発な部分(つまり、一日で良く伸びる髪の毛とか、ヒゲ、あるいは爪など)に抗ガン剤が強く影響するから、とのこと。
 なぁ〜るほど。年齢とともに頭が薄くなり、ヤバイなぁ〜と思ってたが、意外にも我が細胞はまだまだ活発だったのだなとわかり、ちょっぴり嬉しくなった(笑)。
 なお、移植が終わった人の毛髪を観察してみると、どうもベタァ〜っとした猫毛っぽい。それを自分に当てはめてみると、あらら、カッコわるぅ〜。なんだか不安になってきた(笑)。まるでカツラをかぶっているみたい。ただ、それも薬のせいでそのようになっているらしく、徐々に内服薬が変化していくことによって、毛髪の質も変わっていくようだ。

 さて、移植のため8日に無菌室へ引っ越しをした神林さんのスペースに、大部屋からの若者(20代前半か?)が、その日のうちにやってきた。彼は既に移植が終わり、一度、退院したのだが、GVHDに見舞われての再入院だという。
 ナースの「皆さん、お邪魔しまぁ〜す。○○さんでぇ〜す」の言葉のあとに、彼が入室してきたのだが、身の回りの整理整頓が済んだと同時にカーテンをジャァ〜っと閉め切ってしまった。
 あれれ?
 就寝間近ならまだしも、まだ夕方だというのにもう閉めるのかい?と思ったら、どうやら、それが彼のスタイルなのだと、彼を知るある人物が言う。
 うむむ、なぁ〜んか、我々との付き合いを否定されたみたいで、気分が悪い。

 こうして彼が来てから一週間が経った。これまでの会話は「おはようございます」のみだ。
 いいのか?これで? 我々とは交流せず、ナースとは朗らかに冗舌に会話してる、この違い。
 病気が完治し、広い世の中で生きていくためにはもう少し協調性を身に付けたほうが良さそうだ。せっかく、もう一度授かった命なんだから、楽しく生きたほうがいいだろー。いや、そんな押しつけがましい事はヤメにしよ。

 命で思い出したが「2006年 今年の漢字」が「命」に決定したそうだ。これがまた、妙にジ〜ンとさせてくれる。今年ほど「命」の尊さというものについて深く考えた事がなかった。日本漢字能力検定協会が決定した背景には、いじめによる自殺などを考慮してとあるが、我々患者の場合は、自殺なんてとんでもない、まだまだ生き続けたいという「命」である。ひとつしかない命、無駄にはできない。
 また第三位は「生」だという。まるで我々のために選出されたのではないかと思えるほど、これもまたぴったりだ。


 2006年 12月15日 入院198日目  ドナーが入院
白血球 ヘモグロビン 血小板
900個 8.3g 3.8万個

 午前、息子が入院してきた。退院間近だった山田さんの場所にもしかしたら来そうな予感がしてたが、退院の結論が出ず、南側の日当たり良好な大部屋の窓側ポジションに入室した。ただ、のちほど聞いた話だと、同じ名字の患者は基本的に同室にしないルールがあるとのこと。投薬等の面で間違いが起こり得るためらしい。
 さっそく、陣中見舞いに行ってみると、そこは朝から日が良く射して、カーテンを閉め切らなければ日焼けしそうなほど暑かった。さっそくSOSしてきたのは「うちわを貸して〜」。

 今日はとりあえずベッドを確保したのみで、処置は明日からになった。スケジュールとしては、まず最初の5日間で白血球等を増やす皮下注射を肩から行い、たっぷり採取条件にあう状態になったら2日間で末梢血幹細胞を採るというモノ。一週間の入院である。
 一人でさぞ、寂しがってるだろうなと思って“見舞い”に行ってみると、ノートパソコンでネットゲームに興じている最中だった。自分の通信モジュールがいつのまにか彼のパソコンに刺さっていた(笑)。三食昼寝付きでPC三昧ときては、ストレスが溜まるどころか、発散しているみたいだ。この調子で元気の良い細胞を提供してもらいたい。

 白木先生「やっと白血球が上がってきましたね。500で底を打って、これからはもっと上がってきますよ。26日頃にヒックマン術をやります」
 私「少し歯に鈍痛を感じるのですが…」
 赤「ん〜〜、治療してる時間はもうないですよ。多少の虫歯なら心配いりません」
 私「あ、そうなんですか。移植に悪い影響はないんですね?」
 赤「大丈夫。来週からいくつかの検査もやりますが、それだって胸部CTは必須だけど、他はやらなければやらなくてもいいですよ」
 白血球がやっと上昇してきた。500台が10日ほど続き、随分、神経を使ったが、危険な状況をひとまず脱出。とはいえまだ900なので、引き続き、感染には要注意である。報道ではノロウイルスの感染拡大が伝えられているが、今までは軽く読み飛ばしていたのに、現在では「感染」という二文字に敏感に反応するようになった。


 2006年 12月17日 入院200日目  200日達成!

 ついに入院200日目達成。
 日曜日なので、院内はひっそりしてて、記念するセレモニーなど行なわれる気配ナシ(笑)。

 昼前、休日回診に訪れた白木先生が「白血球の回復によるが、状況が許せば、年内に最後の外泊が可能かもしれないですね」と、予想ダニしなかった言葉が出た。もしかしたら、200日達成のプレゼントか?

白血球 ヘモグロビン 血小板
1200個 7.3g 3.1万個
 ↑上の血液データは翌18日のモノ。

 しかし、この話も20日に覆され「外泊はムリ。このまま移植スケジュールに突入しましょ」となる。
 まぁ、そもそも、最初から外泊出来るとは思ってもいなかったので、さほど、ショックはない。とはいえ、ほんのちょっとだけど、今年最後のビールを一口だけでも飲めるのかな?と淡い期待を持ったのも事実である。

 ※山田さんがほぼ2ヶ月の再入院を全うして、めでたく退院。


 2006年 12月21日 入院204日目  移植スケジュールが決定
日程を伝える用紙が配られた
 20、21日と二日間に渡って行なわれた息子の末梢血幹細胞の採取が終了した。
 330ccを2パック。初日の採取で既に移植に必要な分を達成していたが、最悪の場合に備えて、あと2回の移植が可能なほどたっぷり採ったとのこと(ちなみに最悪の場合とは、病気の再発による再移植。今のところ、このようにして貯めておいた細胞を使った事は無いらしい…ということは…あ〜、そうあって欲しい)。
 これが出来るのは血縁者間移植だからこそであって、骨髄バンクを経由して採取すると必要量のみしか許されない。当たり前といっちゃ、当たり前だが。

 無事に採取が終わったことを受けて、移植スケジュールが正式に決定した。
 新年早々の3日に個室へ移動して、4日から前処置(大量の抗がん剤を投与)、10日に無菌室へ移動して、11、12日の二日間で末梢血幹細胞移植(PBSCT)を実施。白血球数が1000を三日連続で超えた三日目の「生着日(せいちゃくび)」を達成すると、晴れて無菌室を脱出。生着には約3週間以上かかるため、順調にいって2月上旬に無菌室を明け渡すことになればうれしい。

 この日、テレビでは前日に亡くなった二人の話題でワイドショーがにぎやかだった。
 一人は骨髄異形成症候群で亡くなった青島幸男氏。もう一人は白血病のカンニング中島さん。自分がこの病気になってから、やたらとこれらの病気で力尽きた方のニュースを目にするようになった。
 今、まさしくこの病気と闘っている者として、どうしてもナーバスになってしまうが、世の中にはハッピーエンドを迎えて社会復帰している人も多数いるので、悪いニュースに決して押しつぶされることなく、気持ちを強く持った状態で移植に向かいたい。


 2006年 12月24日 入院207日目  ライフ・イズ・チェンジ
↑3D・Xマスカードの贈り物
 いやぁ、人って、中身を理解しようと思ったら外見だけで判断しちゃダメで、会話することがとっても大事なんだなとつくづく思った。
 13日の項で書いた「引きこもりの若者」と、ひょんなことから、会話することとなり、それによって、頭の中に支配的だったネクラな彼のイメージが完全に払拭された。

 来月からの移植に備えて、看護婦さんにいろいろと聞いているのが自然と耳に入って、気になっていたらしく、彼のほうから「あのぉ〜」と言って近づいてきた。その後、なんと2時間以上もじっくり話し込み、彼とはいい友達になれると強く感じるようになった。

 彼の言葉は衝撃的だった。
 かつては、人と話するのがイヤで引きこもり、自分勝手に好きなことをして生きてきたが、この病気(実は私と同じMDS。その後、同じく急性白血病に移行)になって、移植を受けたのち、血液型が変わって、人生観が大きく変わったという。無気力で怠惰な過去の生き方がトツトツと語られ「病気のおかげでまともな人間になった。病気には感謝すらしている」とまで言い切った。

 今は人と話したくてしょうがない。ただ、話しかけたくても勇気が出なくて、後ずさりばっかりして「あ〜、なんで声を掛けられなかったんだろう」と後悔してたが、今回、同じ病気で、同じ病室にいて、同じ移植方法(驚くなかれ、彼も親とHLA型が適合した珍しいケース)だと知り、お話をしたくなったという。

 そうだったのか、彼を「人嫌い」だと決めつけてしまったのは完全な思い込みだった。
 いつも朝の挨拶時にキッカケを探して、もがき苦しんでいたんだとわかり、すまない気持ちになった。
 私の半分にも満たない年齢で息子と非常に近い、この若者。こんなオジサンと話すのは初めてだそうで、出だしの「あのぉ〜」は、さぞかし勇気が必要だっただろう。

 無菌室や移植中の状態をなんでも聞いてくれというので、今度は看護婦さんに変わって、彼を質問攻めにした。
 一度、打ち解けると不思議なモノで、しゃべるわ、しゃべるわ(笑)。こんなにもニコニコして語る若者だったのかと改めて驚いた。
 血液型で性格が変わったんじゃないかと言う彼に私は「それは違うよ。移植という大変な仕事をやり終えたことが、今までの人生を考え直すチャンスになっただろうし、それからたくさんの病院スタッフと関わったことが自分一人だけで生きてるんじゃないと気づいたんだろうな」と偉そうにも言ってしまった。

 前夜は消灯になってからベッドの中でなぜか急に寂しくなって、クククと泣いてしまったと白状した彼。
 うん、ココにいれば誰にでもあることさ、キミだけじゃないよ。
 つい、もらい泣きしそうになってしまった(笑)。でもホント、今年は何度、目がウェットになったことか…。

 さて、TVのキャッチコピーだったか?雑誌だったか?で「Life is change」というのを目にして、すごくインパクトが強いなぁと感じ、頭から離れなくなった。

 「人生が変わる」

 ん〜〜、世間ではニュー・イヤーに向けてのカウントダウンが始まったが、自分のニュー・ライフは1月11日。
 あと18日。やるっきゃない!

 ※13日の項で彼のことについて書いた部分を削除しようかと思いましたが、それは自分だけに都合の良いズルイやり方であり、反省の意味も込めて、そのまま残すことにしました。


 2006年 12月25日 入院208日目  ヒックマン、入る
白血球 ヘモグロビン 血小板
2200個 9.0g 6.3万個
 今日はヒックマンカテーテルの挿入日。
 ヒックマンとは「酔っぱらった男」じゃありません……あぁ〜、さぶぅ〜。

 朝、今までずっとお世話になってきたCVカテーテルを抜き取って、サヨナラ。久しぶりにフリーになったのもほんの一瞬だった。ヒックマン術に備えて、出血を抑えるための血小板輸血が必要で、左手首に点滴を付けることになった。手首はこれで2回目だが、とげが刺さったようにチクチクするのが、どうも苦手である。
 森岡ナースの手によってスゥ〜ッと入り、まずは採血。いつもであれば多い時でスピッツ4〜5本だが(試験管。1本当たり10cc)、今日はさまざまな検査に出すとのことで、今までで最高の11本だという。献血の要領だと思えば、なんということなさそうだが、何しろ血液の病という身ゆえ、5本目までは順調に採れていたが、次第に枯れてきた。すかさず、森岡ナースにハッパを掛けられる。

 「ハァ〜イ、グッ、パッ、やって」
 グッ!パッ!グッ!パッ!グッ!パッ!
 「そうそう、その調子、その調子。いいわよぉ〜」
 グッ!パッ!グッ!パッ!グッ!パッ!
 「お疲れさまぁ〜、終わったわぁ〜」
 オオオ〜〜、これ、いいよ、コレ。ただし、手に力が入ったので、手の平には汗がジト〜っと出ていた(笑)。採血が無事に終了したと思ったら、このあと、血小板の輸血。採られて入れられる、不思議な流れ。

 移植となると、点滴や薬の数も量も増えるため、1ルートでは用が足りなくなる。おまけに食事が摂られなくなることから栄養剤も流さないとならず、2ルートで太いヒックマン・カテーテルが必要になってくるのだ。挿入もCVは病棟内の処置室で行なうのに対して、ヒックマンは別棟のレントゲン室で正確に大静脈にセットされたか、レントゲンのチェックをしながら、ドクター2名、ナース2名がチームとなって行なう、ちょっと大掛かりなものとなる。

 予め、たくさんの経験者から情報を仕入れていたため、心配は全くしてなかった。
 胸と背中に心電図用パッド、足首に血圧測定器がセットされ、右胸にイソジンを丁寧にまんべんなく塗られる。スキ焼き鍋に油を敷くように丸く弧を描く要領だ。時々、ツツツーっと脇腹を通って、背中にイソジンが滴り落ちる。
 顔を左に少し傾けるよう言われ、処置には付き物の緑色の布を三枚あてがわれ、スタート。

 白木先生「ハイ、痛み止め注射をやりまぁ〜す」
 左手首の点滴から入った痛み止めは時間の経過とともに左腕がジンジンしてきたが、すぐに止んだ。
 「ハイ、胸に麻酔をやりまぁ〜す」
 チクッ!ちょっと痛いが、これぐらいは耐えられる。「どうですか?」の問いに「ダイジョーブイ」(余裕〜)

 あとはいろいろと処置したようだが、見られるわけでもないし、はっきり言ってよくわからない。

 「ハイ、ちょっと強く押すけど我慢して!」
 ん?何を我慢すればいいの?痛くもないし、へっちゃらよぉ〜。

 ずっと天井の一部を見ていた。
 「眠くない?」「いいえ、ちょっとだけ眠く感じたけど、ずっと起きてましたよ」
 「終わりましたよ、お疲れさま」「あい、どーも」

↑ジス・イズ・ヒックマン
 約1時間で終了。以前、同室だった神林さんの時は麻酔が効きまくってヘロヘロ状態だった。部屋に戻ってきてからも起き上がれず、翌日まで意識もうろうとしていた。あのイメージが強かったため、自分もそうなるのかなと思ったが、意外に処置中も終了後も意識がしっかりしている。処置台の隣りにストレッチャーが横付けされ、起き上がって乗り移ろうかというポーズを取ったが、さすがに制止され、頭と尻でシャクトリ虫が這いずり回るように移動した。レントゲン室を出ると、病室までの短い旅が始まった。森岡&時田ナース二人がコントロールするストレッチャーで天井の一部シミやヒビ割れを見ながらの移動。カーブに差し掛かると、乗り物酔いのようなめまいがした。

 部屋に戻ると、皆さんから「お疲れ〜」の声がかかった。渡辺ナースから「ヒックマンが体にくっついて定着するまでは抜けやすいので、右腕を上げたり激しく動かさないよう注意してくださいね」と言われる。

 夜、ベッドでTVを見ていると、やたらと眠い。ようやく薬が効いてきたか(笑)?早く眠ろうかと思ったが、結局は見たい番組があったため、いつも通りに午後10時に就寝。ちょうどその頃、痛み止めがキレて、チックチックし出した。


 2006年 12月26日 入院209日目  右手が不自由
 前日のヒックマン術部分がジンジンする。そんな中、カテーテルの計測が始まった。
 右腕の動かし方次第で抜けたり、カテーテルそのものが多少重いために抜けることがあるらしく、目印を決めてメジャーで測り(体に入っている部分から、目印までの間)、長さに変化がないかどうかをチャックするのだ。
 結果は17.4センチ。ちなみに体内に入り込んでいる部分は約18センチ。体に定着するまでには約一週間。ナースからは口酸っぱく「右腕、使わないようにしてね」と言われる。
 歯磨きの時に、左手でやってみたが、うまく磨けない。特に口の左側を磨くのは至難の業。移植を控えて、口の中のどこかが清潔でないのは非常に怖いという意識が高く、辛い歯磨きとなった。
 また、血小板が低めなので挿入部付近から出血したり、あるいは当分の間、体液が出てくることもあり良く観察しなければならない。1日2回、計測と消毒が今後も行なわれていく。

 ついこの前、ようやく友達になった渋沢君に異変が起きた。
 久しぶりのマルクを午後に行なった彼が、車イスに乗って戻ってきた。何事かと思っていると嘔吐している。あやや〜。続いて、声にならない声で「痛い」と訴えている。血圧が高いらしい。そんな時に彼から携帯メールが到着。

 「やばいです」

 オ〜イ、オイオイオイ。そんな事、言うなよぉ〜。何がやばいんだぁ〜? やばいなんて言ってる“ばやい”じゃなかろうが(笑)。
 どれぐらい経っただろうか、彼の状態が落ち着いたので、ベッドに寝たまま会話してみると、マルクの最中に頭痛がし出して、血圧が190付近まで急上昇したという。精神的なモノなのだろうか?原因がわからないまま、彼は回復に向かった。


 2006年 12月27日 入院210日目  無菌室、見学ツアー
 昼前、無菌室をカミサンと見学。今の病室は8階だが、そこは4階小児科病棟のはじっこにあった。広さは6畳より少し小さいくらいだろうか。この中にベッド、テレビ、小型冷蔵庫、シャワー設備、トイレ、洗面所が収まっているため、人間が利用できる床面積はほんのわずか。想像していたよりは明るくて奇麗な部屋だ。いや、逆に暗くて汚い部屋だったら無菌室とは到底言えないか?3歩もあればすべて用が足りてしまうので、運動不足になり、足の筋肉がみるみる落ちるというのもうなずける。
 閉所恐怖症の人には耐えられない空間らしいが、自分は手の届く範囲にモノが揃っている環境が好きなので、ハッキリ言って、気に入った。

 さて、その無菌室には、あの神林さんが入居中で、面会用廊下からガラス越しに彼を見つけて合図を送ったところ、おでこにアイスノンを貼っていたので、グロッキーになってるのかと思いきや、目を覚ましてくれて、なんとまぁ非常に元気よく、部屋の解説をしてくれた。本来、説明してくれるはずだったナースに成り代わって、患者の立場からの詳しいリポートを行なってくれた。食事もまだ口から摂れているそうで、孤独感について伺うと「全く感じない」という返事が戻り、シングルライフを思い切りエンジョイしてる雰囲気。
 ん〜、なんだか、次に入る自分がダラリしてちゃまずいかなと、妙なプレッシャーを感じる光景でもあった。

 午後、14回目のマルク。前日、アクシデントの渋沢君はすっかり元気になった。
 あの件で多少の動揺をしたものの、冷静さを装って、尻を出した。主治医はそれぞれ違うので、なにも動揺する必要はないのだが、ちょっとネ、心配っちゃぁ、心配。
 とっころが、これがまた、ものすごく奇麗に麻酔の注射針が入り、かつて経験したことのない無痛の一刺しだった。続いてマルク針もスーッと刺さり、大喜び。ところが、このあと、肝心の骨髄液が出てこなくて、先生の鼻息が荒くなる。「ちょっとごめん」といってブスッと刺したのが最後にピリッときた。
 「ン〜ワォ〜」(自分)との声と共に終了。

 あとで田中ナースに「ちょっとごめん」発言時の状況を確認すると「最初は浅かったみたいで、少し深く刺した」とのこと。移植前のマルクもこれで終わり。次回は2ヶ月先か?当分はないだろう。

白血球 ヘモグロビン 血小板
2800個 9.2g 6.0万個

 2006年 12月28日 入院211日目  薬剤部からの説明 Dayマイナス14(移植日まであと14日)
 マルク痛とヒックマン痛の複合痛で少し辛い。横になる時に胸を張るような態勢になると「ウグッ」、向きを変えると腰が「ウグッ」。気をつけたつもりだったが、胸の消毒時、若干の出血が確認され、処置をしてもらう。知らず知らずのうちに右肩へ負担がかかっていたようで、肩凝りが激しい。首筋がビシッと硬くなっている。ほとんどの人もそのようになっているそうで、ひと安心。

 午後、薬剤部からいつもの薬剤師さんが、前処置で使う抗がん剤の説明に来る。
 新年早々、クラビット、ジフルカン、ゾビラックスの内服薬がスタートし、4日からブスルフェクスとアレビアチン、8日からエンドキサン、ウロミテキサン、メイロン、10日はサンディミュン、13日からはメソトレキセートといった注射液が随時、投薬される・・・・というもの。他にも下痢用軟膏や坐薬、口内炎用軟膏、便秘用内服などの説明を時間無制限で受けた(実際は30分ほど)。さまざまな副作用の説明もあったが、スタッフがすぐに対処するので、具合が悪ければ遠慮なく状態を訴えて欲しいとのこと。

 移植前の最後の大きな壁である。これを受けない限り、先はないのだから、甘んじて受けるしかない。願わくば、副作用が軽くあって欲しい、ただそれだけ。

 この日は仕事納めの日。個室−大部屋間の引っ越しなどが慌ただしく行なわれ、いつもより病棟内に活気を感じた。
 あぁ〜、世間では明日から年末年始休暇に入るのかぁ〜。早く2007年が来てほしいな。


 2006年 12月31日 入院214日目  大晦日だぁ〜 Dayマイナス11
 ついにこの日を迎えてしまった。大みそか。世の中では年末の帰省ラッシュでにぎやからしいが、こちらの病棟では外泊ラッシュや年末退院が相次ぎ、それ相当のざわめきに包まれた。トイレに備えられているローヤル社製の貯尿袋が手付かずのまんまなのが外泊中だというサインになり、それがかなりの数であることからも外泊者がかなり居ることがわかる。残ったのは3分の1ほどだろうか?

 たまには違った年越しをするのも良い記念だと(ウウウ、決して強がりじゃないぞぉ〜:笑)、気持ちを切り替えて1日を過ごすことにする。

↑年越しソバと茶碗蒸し
 事前に調べたこの日の献立表で、昼と夜にはちょっとばかし注目していた。

 まず昼は「年越しソバと茶碗蒸し」と記入され、オオ〜、カタブツな病院食にしては、時節にふさわしいメニューではないか。普段でもソバが出る事はあるのだが、配膳中にツユの温度が下がってしまうのを嫌って、ザルソバに変えられてしまう。
 今回はやはり暖かいおそばを食べさせてあげたいと考えたのだろう。前段でも書いた通り、人の数も少ない事をメリットにきつねそばになった。茶碗蒸しも驚いた。が、しかし、甘味が全くない。やはり調理師が作るとこうなるのだろうか?
 私の好物、鳥肉を見つけることができず、ちょっと不満。でもまぁ、気持ちはありがたいので、これ以上、ブーブーしないことにしよう。

 昼前、今年最後の採血の結果が届く。

白血球 ヘモグロビン 血小板
2900個 8.2g 2.3万個
 白血球とヘモグロビンはまずまずだが(これとて正常値以下だが)血小板が少ない。これじゃ、黄色バッグがブラ下がるなぁと思ってた矢先に白木先生がやってきて言われる。

 「お正月に出血しても困るのでPC(血小板)を、そしてあと、貧血を起こしてもまずいんで、MAP(赤血球)も輸血しましょう」「あい」
 豪華な食事に豪華な輸血リレー。もう満腹じゃぁ〜。

↑お節の盛り合わせ
 夜はご覧の通り、お節の盛り合わせ。普段から貧弱なメニューに慣れてしまったため、これには思わず「やったぁ〜」の声も出た(笑)。

 病院側も精いっぱいの患者サービスを行なっているのが嬉しい。1食当たり250円の予算では大赤字だろ。このサービスに報いるためにも、年明け早々の移植では頑張りたい(オイオイ、この程度のことで、頑張るか?ジブン)。

 いつもであれば、わが家は保守的なので、紅白歌合戦を見て、新年を迎えるのだが、今日は自分一人しかいない。自由に過ごしていいわけだから、格闘技の「K-1 Dynamite!!」を見ることに決定。6時から11時までこれを見れば、ちょうど適当な時刻になる。紅白を見ずに過ごす大晦日なんて初めてだ。

 予め、用意したノンアルコールビールを手に取り、プルタブをプシュッと引っ張った。オオオ〜、いっちょまえに泡立ってくるではないか。さすがにアルミ缶そのまんまに口を付けて飲むのはナースさんにも誤解を与えかねないので、紙コップに注いで飲む。
 グビグビグビッ!プファァ〜。
 なかなかイケルじゃん。今まではノンアルコールをバカにしてたが、見直した。心持ち、ほろ酔い気分にもなり、あくびが出る。午後11時、ファイナル・マッチ、秋山に桜庭が一方的にボコボコにされ、勝敗決定と同時に消灯。幼稚園以来、除夜の鐘を聞くことなく寝床に就く大晦日となった。

 こうして、史上最悪だった2006年の幕は閉じられた。グッバイ2K6、ウエルカム2K7!


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