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 困った人達

 ・トイレで小便時、まるでタイミングを合わせたかのように後ろを通りかかった時にブーする人。
 ・小便器になぜかティッシュ・ペーパーを捨てる人。
 ・病室でなんの気まずさも無く携帯電話で話をする人。
 ・サンダルの底を床にぶつけて、大きな音を立てて歩く人。夜は特に響いて目立つ。
 ・点滴スタンドに鈴付きのお守りをぶら下げて廊下を歩くたびにチリンチリン鳴らす人。夜中なんか気持ち悪い。
 ・治療によって脱毛し、洗面所に髪をまき散らす人。後始末が出来ないなら坊主になれぇ〜!
 ・洗面所を汚しっぱなしで立ち去る人。ポトンと落ちた歯磨き粉、痰、カップ麺の食べ残しカスなど。
 ・小便時、カップにオシッコを取る事に没頭し、便器から離れ過ぎて危うく見えそうな人。
 ・大便時にカーテンを閉めずに堂々と踏ん張っている人。いやぁ〜、ビックリしたぁ。
 ・大きなクシャミを「ハァ〜ックション!」と臆することなくする人。このクシャミをする人は別室の人物だが
  遠く離れたこちらまでも聞こえるので、同室の方々はさぞ驚かされることだろう。
 ・看護婦さんが連れ歩くワゴン台(複数の患者の書類や薬などが入っている)の中を覗き込む人。
 ・テレビを見ながら相づちを打ちつつ、独り言をいい、ケラケラ良く笑う人。
 ・静寂の中、数種類のオナラ、長短のオナラなど多種多様なオナラをする人。可笑しいんだけど笑えない。
  この直後にカーテンで仕切られた当人のベッドに入っていくナースが気の毒だぁ〜〜。
 ・必要量以上に香水や化粧品を付けて、部屋の匂いを独占しまう人。吐き気がして大変になったことがある。

 イビキがひどいとかはお互い様なのだから、ココでは取り上げる対象には到底なり得ないが、最低限のマナーとしてこれぐらいはちゃんとやってよ、あるいはちょっと面白くて困った人だなぁ〜と思ったモノを書いてみました。
                                  2007.2.04記


 どっちもどっち

 移植のために無菌室に入る時のことである。
 「無菌室に一度、入りますと、生着して医師が許可をしない限り、こちらのお部屋から一歩も外へ出ることは出来なくなります。あすぱむさんが今、お立ちのココはまだオーケーですが、そちらの床に引いた黄色のライン(その先は無菌室)を越えますと3〜4週間はこちらへ戻れません。一旦入ったら、絶対にラインを越えないようお願いします(過去に一人だけ掟破りが居たらしい)」

 なるほど。絶対に越えちゃいけないイエローライン。“何が”あっても無菌室からは出られない。
 だが、もし緊急事態が生じた時にはどうなるのか?
 白血球もゼロになり、抵抗力が全くない時、もし火災が起こったら?・・・・ん〜、大きな疑問だ。特別な防火対策がとられている部屋でもなさそうだ。となると、忠実にこの部屋から出なければ真っ黒こげの運命か? かといって「絶対に」と言われた言葉に反して出ると、今度は炎は無いものの、さまざまな細菌のえじきになって、これも命がなさそうだ(笑)。出ても出なくても結果は同じ?う〜ん、そりゃ困る。

 ナースに聞いてみた。「そりゃぁ〜、避難誘導しますよ」の答えが返ってきた。ただし、感染対策については明確に答えが出ず、そのあとはどうなるのかわからない、とのこと(笑)。

 幸い、この事態が現実になることなく無菌室を出られた。ヨカッタ、ヨカッタ。  2007.2.03記


 色白? いや、ガングロ

 毎年、春から夏、秋にかけて釣りをするため、日焼けをして肌を黒くしてきた。それが今回の長くなるであろう入院によって、さぞ白くなるんだろうなと思っていた。元々、モチ肌で色白な自分は(笑)、釣りによる日焼けが長続きせず、冬になると元通りに白くなるのだった。

 ほとんど日の当たらない北側向きの病室に入って4ヶ月。夏の暑い日差しを眺めながら、なんて自分は白いんだろーと嘆こうとしたが・・・・。
 さにあらず、結構、黒い! しかも時々、肌がヒリヒリする時もあった。なぜか?
 そう、抗がん剤によって薬焼けを起こすのだ。あるいは、色素沈着を起こして肌が黒くなるのだ。

 じゃぁ、違和感なく、退院後は釣りにでかけられるなぁと喜んだのも一瞬。ナースから「当分は日焼け禁止です。1年近く、直接、太陽光に当たってなかったんですから、徐々に肌を慣らしていかないといけません」とクギ。まぁ、どっちにしろ、すぐ釣りに出るつもりはないが、一般人のような生活ができるようになるには、相当の日数を覚悟しなければならないのが、この病気ってことですね。 2006.12.09記


 骨髄検査(マルク)

 処置室に呼ばれ、枕を胸で抱えるスタイルでベッドにうつ伏せになる。先生はまだ現れず、ナースが着々と準備を進める。何度やってもこの時が一番ドキドキする。このマルク、仰向けになって胸から採る方法と、自分のようにうつ伏せで腰から採る、二つの方法がある。両方とも経験した人の話では、胸のほうが格段に痛いらしい。

 検査技師には耳から採血され、ナースにはパジャマの背中をたくしあげられ、続いて、お尻のほっぺた3分の1が露出するほどズボンを下げられる。ちょっとだけ危なっかしくて、恥ずかしい(笑)。

 先生が部屋に入ってきた。手袋をはめるパッチンパッチンという音が聞こえると、儀式の始まりだ。
 イソジン消毒液を浸した脱脂綿をピンセットでつかみ、針を刺すあたりに丸く円を描く要領で塗る。
 真ん中が丸く抜けた医療用紙を腰にあてがい、上から手で押さえつける。
 「はい、麻酔、いきます。ちょっとだけチクリとしますよぉ。我慢してくださいね」
 緊張の一瞬だ。
 チクッ!!プスプスプス(針の入り込む様子) オオオ〜〜、きたきたきた。少し痛いなぁー。
 「ハイ、麻酔液、いれます。どうですかぁ?痛いですか?」
 チューッ。ああああ・・・痛い・・いた・・・い・・・痛・・くない。
 「ハイ、次に骨髄、採りますからねぇ」
 ・・・・・ 麻酔が効いているので良くわからないが、針が刺し込まれている
 「痛くないですか?」  (やや、かすれ気味の声で)「大丈夫で〜す」
 「ハイ、息、止めてぇ〜〜」(この時、骨髄液を吸い採っている・・ようだ)「ウグッ!ぬぬぬぬ〜〜〜」

 自分は臆病なので、注射の針を努めて見ないようにしているが、ナースの話では他の注射針に比べると、かなり太いのだそうだ。それを力を込めてグリグリねじ込んで、背骨に穴を開けるらしい。麻酔ナシではとても出来ない処置である。この骨髄液を抜く時、何やら背骨がポッコンと音する感じがする。真空状態の缶詰めに穴を刺した時、フタがプゥ〜ンと膨らむが、あのような感じといったら、わかってもらえるだろうか?

 「これぐらいでいっか?」と独り言を言ったのち「ハイ、終了。お疲れさま」。
 時間にしてわずか5分ほどだろうが、やられる身としては長く感じるものだ。足下に置かれたステンレスの皿には、血の付いた脱脂綿など、処置した残がいが山積みとなっている。
 果たして、どれだけの骨髄液を採ったんだろ?聞いてみた。
 「ほんの0.5ccですよ」 え、たったそんなもんなの?

 腰にガーゼを貼り付け、オモリ代わりの砂のうを乗せられる。押し付けることで止血するのだが、それを手で押さえつつ、歩いて病室に戻り、今度は仰向けでベッドに30分間、おとなしく寝る。十分、止血されているのを確認後、今回のマルクは終了となる。 2006.12.06記


 あぁ〜、無情

 臓器ガンは2〜3ヶ月もすれば職場復帰できるのに対して、8ヶ月から1年も仕事ができなくなるこの血液ガン。
 患者は、このにっくき病気と入院中に闘わなければならないのはもちろんだが、その一方でもう一つの敵と闘わなければならないケースの人もいる。
 激しい肉体労働や悪い環境下での労働等を仕事としてきた人は、もはやそれを続けることが不可能になるため、辞職を余儀なくされたり、長期の病欠社員を抱える余裕がない会社は、入院中に解雇を通達してくる残酷なケースもあるようだ。病気に打ちひしがれ、更に克服後の生活不安に襲われ、かなりのショックだろう。

 自らの不徳で病気になったのなら、まだ反省する部分もあろうが、この病気、気をつけたからといって避けられる病気ではないのだからタチが悪い。「あれほど健康には気をつけていたお前なのに、なぜ、こうなってしまったんだ?」と不思議がられる事が多いのも特長か。

 再び、引き合いに出すが、臓器ガンは敵が目に見える。手術でその部分を取ると、患者にも「コイツが悪さをしていたんだな」と納得できる。しかし、血液ガンはこうはいかない。自分をむしばんでいるガン細胞と私は未だにお目にかかった事がない。敵が見えない悔しさ。そして移植後も再発しないよう生きていかなければならない怖さ。

 治療が始まると、一日置きの採血結果に一喜一憂する。まるで通信簿を受け取る小学生の気分だ。良い結果が出たといっては笑みがこぼれ、悪い結果が出たといっては落胆する。

 早くこれらのすべてを忘れられる日、あるいは、振り返ってそんな時もあったなと語り合える日がいつか来て欲しいものだ。 2006.12.06記


 オッ!と、ココはどこ?

 点滴スタンドをカラカラ引きずりながら、自分の部屋に戻った。入り口で手を消毒し、中に入って、大仰天!
 自分のベッドに他人がちゃっかり座っている。誰だ、この人は?でも、その疑問が間違いであることに気付くには、ものの5秒とかからなかった。間違えたのは自分。入り口で気付くならまだ救いようがあるが、その時の自分のベッドは真ん中。よって、部屋の中央まで入ってしまっていた。いやぁ〜、恥ずかしい、恥ずかしい。頭をポリポリ掻きながら、背中に笑いを受けながら退室した。

 この失態は、他の患者さんも結構やっていると聞いて、安心した。

 あるおばあちゃんなんかは、男部屋につかつかと入ってきて、一番奥の窓際のベッドへ。みんながけげんそうに見守る中、ベッドでプラモデル作りに励む若い男性患者の隣りにチョコンと座ってしまった。若者は「なんじゃ、このばあちゃんは?」と思いつつ、すぐに間違いに気付くだろうと思ったのだが、なかなか立ち去ろうとせず、さすがに気持ち悪くなってきた。
 「おばあちゃん、ココはオラのベッドだよ」
 「なぁ〜んも、ココはオラのだ」

 あらら、気付いていないのだ。少し記憶力のほうもやられていると判断し、ナースコール。駆け付けたナースさんに正しい病室に案内されて行った、とさ。 2006.12.01記


 恐ろしい習性

 入院して一番先に行なわれるのが、CVカテーテル術(右胸の大静脈に点滴用のカテーテルを入れる処置。手術とまでは言わないのかもしれない。動きの多い腕に点滴を刺すよりは楽)。
 その日から、点滴スタンドとは無二の親友といってよいほど、どこへ行くにも一緒に行動することになるのだが、唯一、別行動になるのが、お風呂に入る時や外泊などで外の世界に出る時。

 「外してチョ」とナースにお願いすると、胸から約10センチほどのところにあるアタッチメントから、点滴チューブを外し、血液が凝固して詰まらないようヘパリン(薬です)をカテーテルに入れて、フタをしてくれる。このクスリは約48時間の効き目を保ち、その間、患者は自由を得るわけだ。

 そのようにしてフリーになったにも関わらず、習性とは恐ろしいもので、トイレに走ったある人は、もはや繋がっていない点滴スタンドなのに、なんの疑いもなく引っ張っていった、とさ。 2006.12.01記


 寿司、食いてぇ〜

 化学療法が始まってから、次のモノが食べられなくなった。
 刺身、生野菜、生タマゴ、漬物などの生モノ。納豆、キノコ、ヨーグルトなど菌類が含まれる食品。イチゴ、サクランボなど皮がむけない果物。もし食べてしまった場合は、腹痛や下痢などの症状が出るとのこと。

 なぜ、ダメか?
 それは、治療することによって白血球が減少し、細菌に対しての抵抗力が落ちるためである。
 入院中は「加熱食」という、我々の状態に合わせたメニューを病院側で用意してくれるが、気をつけないといけないのは外泊して自宅等で食べる時である。

 先日、家でおいしい醤油ラーメンを食べた時に「アッ!」と声が出てしまった。
 麺の上に細かく刻んだ長ネギが上がっていたのを忘れて、それをおいしく食べてしまったから。途中で気がつき、スープに浮かんだネギを取り除いて、残りを食べた。

 また、肉なら大丈夫だろってんで、夜は鍋でも食べようか!となり、すき焼きを用意して、再び「アッ!」
 エノキ、マイタケなどキノコ満載。ラーメン同様、キノコを外に出して食べたが、なんだかニンジンやピーマンが嫌いで給食から取り除いている小学生のような気分に。ちょっと情けない姿に思えてきた。
 ただ、厳密に言うとキノコが入った鍋を食べた時点で「×」だそうだ。汁にキノコの胞子が混じっているから。

 ピザを食べた時もキノコが。薄くスライスされたマッシュルームがチーズの中に潜んでいる。これを取り去ろうとすると、グチャグチャになってしまい、いやはや、ピザが汚くなってしまった。キノコって普段そんなに食べてないと思ってたが、意外にも身の回りに多いんだなと実感。

 今、食べたいのは、松とは言わない、梅クラスでもいい、寿司だ。マグロも鯛もヒラメも食べれない、トホホ。
 某氏は寿司をたらふく食べた夢まで見たそうだ。この夢、自分の場合も見るのは時間の問題か?

 ※ 移植が終わったあとはグレープフルーツが禁止。免疫抑制剤とモロにケンカし合うらしい。幸いに自分は、このフルーツ、あまり食べたいと思わないので構わない。 2006.12.01記


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