追  悼
 ハンドルネーム「しらね」(本名:白根久也)さんが、2005年9月11日、くも膜下出血のため急逝した。享年44歳。

 7月、我々は大事な仲間を失ったばかりだったが、あれからまだ2ヶ月でまた天国に召される仲間が出るとは、誰が予想しただろうか。自宅で倒れたという一報を正しく理解するには、随分、時間がかかった。高齢化の時代にあって、ようやく人生の折り返しを回ったばかりの40代なのに、なぜ?である。一週間、良く頑張ったと思う。懸命の頑張りに奇跡の回復も期待した。が、ついに力尽きた。安らかに眠れ、しらねさん。

 15日の告別式でハマダンさんが読まれた弔辞をいただきました。
 数少ない画像ですがココに披露して、故人の冥福を祈り、永遠に胸に刻みたいと思います。

メモリアル・しらね

弔     辞
 人は、その人生の中で厳粛にならねばならない時が必ず訪れます。しらねさん、今、その時がやって参りました。ここに、しらねさんのご霊前に合掌し、謹んでお別れの言葉を申し上げます。普段通りの言葉づかいですが、お許し下さい。

 9月4日の夜、しらねさんは大好きな半身浴をしていたんだよね。その時、突然、頭に異常を感じ、「ゆかやん、ゆかやん・・・」と叫ぶ間もなく、意識が遠のいていったんだよね。その後のことは、しらねさんには記憶がないと思います。
 その後、ゆかやんのすばやい通報と、救急隊やお医者さんの懸命な処置で、奇跡的に蘇生し、1週間も頑張ったんだよ。でも、11日についに力尽きてしまったんです。

 私も家内もその瞬間に同席させていただきました。断腸の思いです。しらねさんは、ゆかやんはもとより、ご家族や私たちにも、現実を受け入れるための時間を作ってくれたんだと思っています。そのために、最後の最後まで、頑張り通し、優しさを貫き通してくれたと思っています。

 しらねさん、覚えていますか。以前、2人だけで車に乗っている時、めったに自分のことを話さないのに、その時はなぜか私の問いに対して、珍しく2つのことを答えてくれました。
 一つは、ゆかやんの事。「自分の命そのもの」だと、はっきり言い切ったよね。今、さぞかし心残りだと思います。だからこそ、1分間に140回以上も心臓を動かし、1週間も、頑張ったんだよね。そばに寄りそうゆかやんは、しらねさんの肌をなでながら、「もうそんなに頑張らなくてもいいよ」って、泣いてたよ。
 そして、今ひとつは、「決して周囲の人に嫌な思いをさせない。これには自信がある」と、キッパリと言っていたよね。しらねさんの人柄を象徴する言葉だと思います。この1週間に、しらねさんの生き様に感動し、これからの人生をどう生きればよいのか、真剣に見直した友達もいます。

 魚釣りとパソコン通信が縁で、全国の仲間と同様に、かれこれ10年以上、本当に中身の濃いお付き合いをさせてもらいました。釣りはもちろん、旅行にも、温泉にも行きました。その間、普段のしらねさんの振る舞いは、まさしくその2つの言葉通りでした。私は、仕事柄多くの人に会いますが、これまでに、しらねさんほど優しい人には、出会ったことがありません。しらねさんの怒った顔や声、嫌な顔を、ただの一度も見たことも聞いたこともありません。

 また、多彩な趣味を持ち、読書家であるしらねさんは、IT関連の情報や知識、温泉、地震のメカニズムなど、とても話題が豊富でした。しらねさんがいる所、必ず、笑い声があり、楽しい会話と新しい知識の収穫がありました。もう、あのしらねさんの楽しい話が聞けない、笑顔がみられないと思うと、寂しくて悲しくて、涙が止めどもなく流れてきます。

 しらねさんの人柄は、ご両親の教育、お家の環境、そして生まれ育った秋田の風土が培ったものに違いありません。お陰で、私たちは、たくさんのことを教えられました。私たちは、しらねさんからもらった多くの事と、楽しい思い出を大切にし、これから、しらねさんの分も生きてまいります。しらねさん、今日まで、本当にありがとうございました。

 すばらしい人格者である白根久也さんに、深く敬意を表し、心よりご冥福をお祈り申し上げます。さようなら。安らかにお休み下さい。

   平成17年9月15日

                                 友人代表  ハマダン


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