2005年の真鯛釣果(9月24日)
日
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場 所 |
天 気
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潮回り | 満 潮 | 干 潮 | 開 始 | 納 竿 | 同乗者 | 釣 果 |
9/24
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裏龍飛沖
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晴れ | 中潮 | 7:18 | 12:07 | 6:10頃 | 1:00 | 4 | 0 |
04年お正月に広島へ転勤となった永野氏がお仕事で久しぶりに青森へ来るというので、その合間をぬって、津軽藩真鯛倶楽部主催のウエルカム大会が龍飛沖で行なわれました。青森へ来る途中、仙台市の故まさひろ邸に立ち寄り、御焼香を済ませて冥福を祈ってきた永野氏でしたが、車中では「まさひゃろ大王は率直に満足しただろか?もしかしたら(好天の)天気予報とは裏腹に龍飛だけシケにするイタズラをするかもなぁ〜」と、龍飛へ向かう一行は噂したのでした。それがはからずも………。
いや、その、嵐にはならなかったものの(むしろ、信じられないほどの大好天)、肝心かなめの釣果で悪さをされてしまった。 前半はベラがしつこく、本命のアタリがこない。しかも前夜から一睡もせず(私、夜勤でした。寝てまへん。ちなみにリュウ、ミキの二人も久しぶりに再会した永野氏を囲んで飲み明かしてしまったみたいだ)この陽気が、一層、眠気を誘いそうになるほどだったが、ポイントを50mの深場に変えてからは微妙な変化が起こった。 まず、私。コンコンと小さなアタリのあと、食い込んだのを確認してからアワセを入れると、確かに獲物は針先に付いているのだが、あまり強い引きがなく、ベラのつもりで引き上げてきた。うっすら見えた魚体に思わず歓喜。ピンク色じゃぁ〜、あぁ〜りまへんか。マグロのエサにならなくて済むと小躍りして後ろにいるテツ&ナガノに軽く会釈する(笑)。 家に戻ってから調べてみた。すると、やはりそうであった(笑)。他に「エラブタの縁が鮮やかな紅色なのがハナダイ」だと書いてある。おっほっほ、反論の余地が無い。ただ、ちょっとばかし救いなのが次の文面。「食味はマダイとほとんど変わらない」 このあとは永野氏を除いて、エサ取りハナダイとの格闘が始まった。特にテッちゃんが忙しく竿を曲げ、結果的には数を最も釣ったようだ。と、そんなところへ午前9時を回った頃にリュウちゃんの竿が大きく曲がった。あいにく、私とは船の操縦室を間に相対する位置におり、詳しい状況が見えない。ほどなく上がってきたのは、まさに本命の真鯛58センチだった。これで“居る”ということがわかり、一気に活気づく。だが、後が続かなかった。再び、ハナダイが針掛かりし、時間が無駄に経過した。 午前11時。小サメがミキさんにヒット。とぉ〜ちゃんが、とっ捕まえ、頭を船のへりに叩き付けて始末。記念撮影を要求すると、なぁ〜んと自らのタバコをくわえさせた。これがまた、良くお似合いで船上は笑いの渦に包まれた。と、その時、永野氏に本日最大の獲物がヒットした。それまではアタリらしいアタリがなく意気消沈していたが、どうやらこれで挽回したか?………と思ったら、顔が冴えない。そりゃ、そうだろ、再びサメが姿を現したのだから。どうやら、まさひゃろ大王の呪いはコレだったらしい。 正午で上がりの予定だったが、あまりの貧果にリュウ藩主から“家老”の私に終了時刻の決定権を与えられる。というのも、他のメンバーはお休みなのでこのままずっと釣り続けてもいいが、私はこのあと、夜に勤務のため一任されたのである。龍飛から青森へ戻る時間などを逆算して、私は午後1時終了の決定を下す。この決定が、ちょっとしたドラマを生んだ。 午後0時半、リュウちゃんの竿が大きく弧を描いた。見るからに大物である。百戦錬磨の彼にしては顔が真剣だ。この時、本人は自己記録更新となる80オーバーを予感していたのだ。周りはタモ係、映像記録係、チアリーダーに役割分担をしっかりして、その瞬間を待った。ところがいつまで経っても、ドラグは出るばかりで、なかなか引き寄せられない。そうしているうちに、スゥーッと軽くなり、声にならない悲鳴があがった。あぁ〜、バレた。ブラーごと持っていかれ、ショックリーダーはボロボロになっていた。うむ、残念。 このまま、ラストの笛が鳴り、優勝はリュウちゃん、マグロのエサは永野氏に決まり、無事、大会が終了したのでした。 |
フォトギャラリー | |||||||||
↑かつて経験がないほど、裏龍飛は穏やかな海となった。 | ↑広島に転勤してからは、しばらく釣りと遠ざかっていたのだが、ようやく慣れてきて仲間も出来、近頃は出かけるようになったとか。青森在住時に西田ブラーで有名な西田氏と一緒に釣りをしたことがあるというエピソードは、かなり尊敬のまなざしが注がれているらしい。 | ||||||||
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