ついに入院の朝が来た。カミサンと一緒に車に乗り込む。犬に別れのハグをして、家族みんなに見送られながら、車は出発した。あぁ〜、ココに無事戻ってくることは出来るのだろうか? 10時前、8階西病棟リウマチ・血液内科のナースステーションに到着。案内されたのは6人部屋。一列3人のベッド中、私は真ん中だった。うわ、暗い。入院病棟そのものに暗いイメージがつきまとうが、ベッドの位置が拍車をかけて、ため息が出た。 ナースから入院の説明や病棟の施設案内を受ける。が、心の中は穏やかではなかった。午後に骨髄穿刺(こつずいせんし:以後、マルクと表記)という、とても痛い検査が控えており、注射嫌いの自分は逃げ出したいほど脅えていた。ナースの話は半分も理解できただろか?上の空で、ひと通りの説明を聞き終わると、孤独な一人になった。 救いだったのがTV。9インチほどの大きさの液晶でNHKの衛星放送が見られるのには驚いた。これからはトンネルのような暗い毎日ではあるが、少なくとも3時間はメジャーリーグ中継を見て、時間を潰せるのがうれしい。パソコンも携帯電話も使えない、自分にとってはまるで石器時代と思える環境下で、わずかな光をみつけた感じだ。マリナーズ戦を見ながら、来たるマルク検査のことを考えていた。 午後2時、マルクのため処置室に入る。ベッドにうつ伏せに寝かされるとパジャマのズボンを尻が見えるほど下げられ、消毒液を塗られた。窓の外には青い海が見えた。実に見晴らしが良い。スタッフはゴム手袋を付けるなど準備に時間が取られているようだ。この待ち時間がやたらと恐怖心をあおる。やるなら早くやってくれ。 処置室から歩いて自分のベッドに戻り、腰を下にして30分間おとなしく寝るよう指示が出た。オオ〜〜、意外に楽だった。麻酔のおかげである。当初、抱いていた恐怖心が一気に失せて、今後も何度か行なわれるマルクを容認できるようになった。結果は明日、カミサンも同席の上、白木先生から発表される。 |
昼、カミサンと二人でカンファレンスルームに通される。いろいろ行なった検査の結果、病名が告知される。 もうダメなのか。死にたくない。まだ残り半分の人生があるのに。 精神を安定させるために点滴を繋がれた。主治医は説明を続けるべきかどうか、迷っていたが「大丈夫ですから続けてください」と頼む。 希望の言葉だった。元気が出てきた。移植に賭けるしかない。 「今日は外泊されてもいいですよ。お気持ちの整理も必要ですし、治療は来週から始めますから」 ありがたい。覚悟を決めてずっと戻ることがないだろなと思ったわが家に、たったの1日で戻るとは、いささかカッコつかないが、勇んで病室を後にした。 |
外泊最終日。夜8時までに病室へ戻る予定。 私一人だけで乗っていたワゴン車エスティマが主を失って誰も運転しなくなると、いろんなガタがくると思った。世の女性はエスティマでも全く問題なく運転している人が多いというのに、ウチのカミサンは絶対にハンドルを握ろうとしない。縦横ともに大きすぎてぶつけるのが怖いというのがその理由だ。 今日は日曜日。会社は昼過ぎから人が動き始めるので、それを見計らって、人気のない朝9時に息子二人を伴って出社してみた。私物を整理するためである。小さい頃は良く連れてきていたが、中学を終わるとずっとご無沙汰だった。「あぁ〜、ココ、覚えてる、覚えてる」と懐かしそうに社内を見回す。不要な私物をてきぱきコンビニ袋に詰め込み、急いで部屋を出た。会社はちょうど大きな変革の時を迎えていた。今度、ココに来るときはすっかり変わっているかもしれない。それをしっかりこの目で見るためにも、頑張らなければ、と思った。 駐車場は空いている。長男にハンドルを取らせてみた。車のサイズに少しだけ戸惑ったようだが、どうにか動かせたので、街中に出てみることに。うむ、合格!習うより慣れろだ。以後、息子が我が愛車エスティマのオーナーになった。私の車は退院祝いとして新しいのを買ってもらおう! |
午後、心臓に繋がる静脈にCVカテーテルを入れる。麻酔の注射が少しだけチクリするだけと、カテーテルがうまく収まった時だと思うが心臓付近で空気みたいなブクブクといった変な音がしたぐらいで特にイヤな感じもなく30分ほどで終了した。このあと確認のためレントゲン撮影を行なう。 若い女性薬剤師が、明日から始まる化学療法の薬の説明に来る。プリントを手渡され、それを見ながら説明するのだが、それよりも、アニメのキャラに良くありそうな声のトーンがおかしくて、注意力散漫になる。とはいえ、薬は「抗ガン剤」。予想される副作用を告げられると、ただただ軽くあって欲しいと願うばかり。 夜、隣りのベッドの若者と初めて会話した。入り口のネームプレートには名を伏せているが、笹原君という、少し、うざったそうに話す20代半ばの若者だ。彼は移植の待機者で、あと2週間後が移植日だという。 なんとまぁ、神様のようなお言葉。このお言葉を聞く前までは、毛布の中に隠れて携帯メールを打っていたので、指先がいいかげん痛くなっていた。ストレスが取り除かれ、少し楽になった。 午後9時で消灯になり、ベッドの中でまだ眠れずに悶々としていた。その時、女性がナースステーション(我が病室はすぐ近くである)に駆けつけてきた。「看護婦さん、女子トイレで人が倒れてます!」 うっわぁ〜、まさか死んだんじゃないだろな? やじ馬が出て、ちょっとした騒ぎになっているが、自分は見たくなかった。 |
私の受持看護師、松山さんと初対面する。入院以来、スレ違いばかりでなかなか対面できなかった。プロゴルファーの宮里藍ちゃんに少し似ている可愛いお嬢さんだ。今後は彼女が日勤の時はメインでお世話をしてくれるそうだ。お願いしますね、藍ちゃん! 午前10時、今日から2週間の治療がスタートした。 治療が始まってまもなく、顔がむくみ、首筋に発疹が出始めた。注射で収まる。 血縁者間の骨髄移植が可能かどうかのHLA型検査書が完成し、関東に住む兄宛てに郵送された。 |
笹原君が移植のため引っ越し、窓際の場所が空いた。う、う、うつりたい、そこに。だが軽く却下された。 そこに来たのは60代のとっちゃ。昼間でもカーテンを閉め切るので、こっちには全然外の明かりが届かない。携帯はマナーモードにせず、大声で話すし、TVの音も流しっぱなし。シーンとした部屋にその音だけが鳴り響く。あまりにも我慢ならなかったので、注意することにした。もしこのまま黙っていれば、ズルズルとエスカレートしかねない。最初が肝心である。カーテンを開けて、以下。 あら?意外に物分かりがいいじゃないか。音はすぐに聞こえなくなり、室内にも静けさが戻った。 ※とっちゃは三ヶ月後に病状が悪化して逝去しました。合掌。 |
前日午後に治療が終了し、2週間ぶりのシャワーをする。生まれ変わったみたいだ。さっぱりした。 |
昼、白木先生に呼ばれ、兄とのHLA型が6分の4適合のため、ドナーにはなれないことを告げられる。残念だ。 この時、先生に尋ねてみた。 |
設定はたいした苦労もなく、着々と進み、夕方、見事に開通。パソコン画面に「あすぱむ合衆国」がパァ〜〜っと流れた時は感動した。これまで、外部の人々とは携帯メールでやり取りしてきて、文字数の制約やタイピングの手間などから、疲れが出始めていた。そんな時に、この助っ人の登場。 |
「ん〜、バリー・ボンズですか?」 「残念、違います。レッドソックスの主砲です」 オオオオ〜〜、先生も一応、ボンズは知ってるんだなぁ〜。でも、違うんだよなぁ。Booooooでした。 |
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