プロローグ 入院までの経緯 

  2005年 7月  目の前が真っ白に

 釣りに出かけるため、夕食を取ったのち軽く睡眠し、午前0時に起床。寝ぼけた状態で、ソファーに座り、しばし釣り番組を見る。出発の時刻が近づいたので、立ち上がった時、目の前がパァ〜ッと明るくなり、思わず座り込んでしまった。ちょっと嫌な気分になる。というのも、本日の釣りは、磯釣りで足下を海水が洗う状況での釣りになるため、まためまいが起こったら、地面にへたり込むわけにいかない。もし万が一、意識無く倒れた時には海にドボンである。しかも単独での釣りなだけに、助けは期待できない。ん〜、不安だ。
 こんなめまいは初めてだった。クロダイの乗っ込み期に入り、徹夜の釣行がしばらく続いたので、その疲れが出たのかなと自分自身に納得させた。注意深く、今日は釣りをするんだぞと肝に銘じて、自宅を出発した。

 結局、この日は釣りに夢中になり、すっかりめまいのことを忘れていた。でも、今から考えると、この頃から貧血を起こして、徐々にMDSが進行していたのかな?と思う。


  2005年 8月  耳詰まり

 左耳が詰まった感じになる。最初のうちはツバをゴクリと飲むと解消されたが、まもなくして、何をしても変化しなくなる。耳鼻咽喉医院を受診して、検査をしてもらったが「ちょっと汚れていたので奇麗にしておきました」とだけ言われる。多少良くなったような感じがしたが、ほんの二、三日すると、また起きた。こんな状態が入院までの約10ヶ月ずっと続いた。


  2005年 10月  秋の職場健診で「軽い貧血」

 勤務する会社では春と秋の年2回、職場健診を行なうのだが「軽い貧血」の結果が出て、要精検が指示される。
 白血球3100個、赤血球4.15万個、ヘモグロビン11.9g。
 適性値はそれぞれ、3000以上、4.30以上、13.0以上(健診票に添付してきた数値)となっており、ほんのわずか下回っているだけだった。保健婦さんからのアドバイスで、ホームドクターである石橋医院をすぐ受診して診断をあおぐ。
 結果はやはり「あまり気にする数値ではない。ほうれん草など貧血に良い食べ物を摂ればすぐに改善すると思う」
 これには自分も納得。帰宅後、テーブルにほうれん草が並んだのは言うまでもない。


  2006年1月  突然の鈍痛

 1月29日、明け方、背中に筋肉痛のような痛みが走った。ちょうど心臓の後ろあたり。棒状の何かで強く押されたような鈍い痛みである。寝返りを打とうとすると、うめき声が出てしまうほど痛いので、上体を起こした。起き上がると痛みが消えるのが不思議である。起床すると、通常の生活を過ごすにはなんら影響がないので、様子を見ることにした。前日、雪片付けに精を出したこともあり、運動不足の身に神様は筋肉痛を与えたのかなと解釈。

 その後も寝ていると時々痛んだが、起きるとピタリ止むので、不思議だと思いつつも緊急性を感じず、石橋医院に足が向いたのはそれから一週間後になった。2月5日、先生は心臓の後ろが痛む事が信じられない様子。すい臓や心臓などを疑った検査をしてみたが、異常はなかった。血液検査をしてみるが、異常ナシ。ただ、この時、白血球等のチェックを見逃したらしく、血液の異常を察知出来なかった。おそらく、この時点では何かしらの悪い数値が出ていたのではないかと想像している。

 運動不足により起きている症状も考えられるし、体重も少し落としたほうがイイとのアドバイスに従い、2月中旬からウォーキングを始める。道路もようやく雪解けが進み、歩きやすくなったため、犬を引き連れて約30分の散歩。ものの10分ほどで右足が痛くなる。やはり運動不足のせいなのか、自分の体が極端に弱っている事が情けなくなった。

 その後も努めて歩くようにした。仕事がある日は会社までの往復5キロを歩き、休日は郊外の大型店まで車で運んでもらい、帰りは徒歩で帰宅(約5〜8キロ)するなど、順調に歩いた。期待した減量はあまり変化がなかったが、足腰が病むことが無くなり鍛えられていくのが次第に快感になってきた。

 春の息吹に気分高揚し、ウォーキングもエスカレート気味になってきた。
 距離が少しずつ長くなり、極め付けは浅虫温泉からの約17キロだった。29000歩、4時間かけての完歩は、それまでの体の不調を完全に忘れさせてくれた。


  2006年 4月28日  万全の態勢で臨んだ春の職場健診

 GW前に迎えた春の健康診断の日。三日間かけて行なわれる健診の一番最後の日を選択した。
 昨年は胸部レントゲン検査で引っ掛かった。タバコを止めて5年以上過ぎたのに、肺に黒い影が映った。肺ガンか?まさか?慌てて精密検査を受けてみたら、結果はシロ。撮影時に大きく息を吸い込まなかったため、毛細血管が影のように映ったのだった。これには随分、肝を冷やした。

 今回は昨年の二の舞いにならぬようレントゲン撮影に注意しつつ、肝機能検査の一発合格を目指した。アルコールを一週間絶ち、万全の体勢で臨んだ。保健婦さんから「昨年のこともあるので、レントゲンを用心して撮りたい。順番を最後にしてください」とリクエストあり、社内健診のアンカーを務めることになった。順番はこのまま維持され、検査項目の最後である「採血」もラスト。会場には保健師以外、社内の者が誰もいなくなり、周りで後片づけが行なわれる中、今後の人生に大きな変化をもたらす問題の血液が採られた。

 集団健診ゆえ、結果が出るのは約1ヶ月後。かなり良い数値が出ることを期待していた。
 それまでの間、ちょうど始まった釣りのシーズンで身辺がにわかに忙しくなり始めた。


  2006年 5月  ドキドキバクバク

 待ちに待った真鯛船釣りシーズンの到来。桜が咲く頃はいつも黒鯛釣りに熱中してたが、今年からは真鯛をメインターゲットに頑張ってみようと決めていた。
 釣りの準備のために階段を上り下りしていると、妙に心臓が大きく動悸する。
 ドキドキバクバク……
 こめかみの脈が打ってるのも良くわかる。と同時に頭のほうへ血が上ってきた。階段に座り込み、ボーッとした頭がすっきりするまで待った。

 年をくったのかな? そんな?


  2006年 5月27日  喜んだのもつかの間、一抹の不安が

 結果通知書が手元に届き、早速、中身に目を通す。肝機能がすべて合格であることに笑みが出た。それと、ウォーキングによるコレステロールの数値がとても良く改善されていた。予想通り、いや、予想以上の結果に満足していたところへ保健婦さんがわざわざ足を運んできてくれた。

 「貧血項目に4つの異常結果が出たので、早めに精密検査を受けてくださいね」
 「そうですね。でも、前回と同様、ほうれん草をたくさん食べれば改善する数値だと思います。それほど心配はしてませんけどね」

 全く、そのつもりだった。あるいはレントゲンの時と同じで、今回も何かの間違いが起こったんじゃないかと軽い気持ちで結果を見ていた。なにせ、肝機能は最高なのだから自分を褒めたくてしょうがなかった。

 とはいえ、気になったので仕事帰りに石橋医院に寄って通知書を見せてみた。
 白血球2200個、赤血球2.99万個、ヘモグロビン9.0g。
 ひと目、見た先生は言った。
 「……、私一人では判断できかねる。専門病院で診たほうがイイ。中央病院に良い先生がいるから、そちらで診察を受けてみなさい」
 私自身、ピンと来ていなかったが、おそらく、この時点で先生は既に何か重大な血液疾患だということを感じ取っていたのではないか?


  2006年5月30日  長い長い一日

 規模の大きい病院は混雑するのでイヤだ。でも、しっかり診察をしてもらってスッキリさせたい。
 朝8時半、新患窓口で手続きをして、リウマチ・血液内科を受診した。患者でごった返す外来待合室に足を踏み入れ、独り言。「あぁ〜、病気にはなりたくないなぁ〜」

 看護婦さんから問診票を手渡される。家族構成から始まり、現在服用中の薬?薬のアレルギー?手術の有無?などの質問に移り、鉛筆はスラスラ進んだのだが、ある設問で急ブレーキが掛かった。
 「重大な病気の場合はどのように伝えて欲しいですか?」
 当初は男らしく「隠さずにすべて伝えて欲しい」に丸印を付けたのだが、胸騒ぎを覚え、一旦書いた丸を消して「慎重に伝えて欲しい」に変更した。このような事態になるとも思わず付けた丸印が、数時間後、大きな意味を持つとは誰が思っただろうか?

 待ち時間が異常に長く感じられた。朝8時半からの7時間あまりで、採血2回と診察2回が行なわれただけである。午後3時半、ようやく最終的な判断が下された。

  白血球2700個、赤血球2.31万個、ヘモグロビン7.0g。

 この先の主治医となる白木先生いわく「職場健診時からわずか一ヶ月しか経っていないのに、血中の酸素量を表すヘモグロビンが更に低下している。適性値の半分しかないため、いつ重い貧血を起こしても不思議ではない。このまま放置すると心不全の可能性がある。重大な血液疾患の疑いが高い。あさって6月1日にでもすぐ入院をして治療したほうが良い。八ヶ月か、あるいは一年近くの長い入院になるのは間違いない。今後のことについてはご家族や職場と十分な話し合いをして理解を取ってもらいたい。今日は輸血をしてからでないと帰宅させられない」

 えっ?まさか? 心不全? あさって? 長期入院? どこも痛くないのに? なぜ?

 突然のショッキングな言葉に動揺し、これからの生活に大きな不安が頭の中をグルグル回った。
 カミサンに電話する。あまり心配をかけさせたくなかったが、うまく言葉が出てこなくて苦しんだ。

MAPバッグ
 人生で初の輸血400ccを行なった。赤い血が点滴筒の中でポトポト落ちるのを見ながら、少し元気になった感じがしたが、直面している病気はそんな生易しいモノでないのは確かだ。「これでも見ながらどうぞ」とベッドに付属の液晶TVを差し出されたが、ただボーッとした気持ちで眺めていた。1時間半で終了し、ようやく解放されて廊下に出ると、もう午後5時になっていた。朝、あれほど混雑していたのがウソのようにすっかり静かになっていた。重い足取りで病院を後にして、出社。上司に事の成り行きを説明をすると、本日の夜勤と明日の勤務も休ませてくれるという。ありがたい。ただ、ケジメを付ける意味で最後の勤務に就きたい気持ちがあった。が、それも無理。さようならと心の中で言ってみた。

 帰宅したのは、もう7時近かった。ふぅ〜、長い一日だった。

 予想される病名をインターネットで検索してみた。
 うわ、なんてことだ。治療はこんなに苦しいのか。あ〜、痛いだろうな〜。
 先を読むのが辛くなり、目を背ける。つい昨日まで楽しい毎日を送ってきたのに……。
 明日の命すら危ぶまれることとなってしまった。なんで自分がこんな病気にならなきゃいけないのか?
 この世に神様なんているものか。恨みたいが誰を恨むわけにもいかない?

 下は、このホームページのトップページ「How Are You!」へ5月30日にアップした内容です。

ごきげん、いかがですか!! I'm fine thank you!?

 6月1日から、まさかの緊急入院になってしまいました。入院という事柄は私の人生で初めてのこと。経験済みの方々には笑われそうですが、私自身、未知の世界ということもあり、頭の中はいろんな事がグルグル回っています。

 今回の件、急でした。会社の健診がGW前に行なわれ、その結果が出たのもつかの間、すぐに精密検査をするように言われました。実はこの健診に合わせて、肝機能を鍛えるプログラム(実際、そんなのはありません。念のため)を進めてきました。見事にそれをセーフして大喜びしていたのに、別なところでアウトの判定をされ、MLBでいう「ジャッジに激しく抗議して退場を食らった監督」の気分です。 自覚症状のようなモノはあまり感じませんでした。よって、気楽な気分で結果を待ちましたら、血液疾患の疑いが濃いから、急いで入院するようにと言われ、アッと驚くタメ吾郎!ですよ、ホンマに。

 前日まではバリバリに船釣りもしており、病気の「ビョ」の字も感じてなかったので、いまだにジャッジの言葉が信じられません。「このまま帰すと心臓が止まるから輸血をする」ように言われ、もはやギブアップ。自分に出来ることは何もないのだと悟り、まな板の上の“鯛”になりました。

 これからはMLBも魚釣りも、まさに私のやりたい事がたくさんあって(もちろん、仕事の面でも)、めちゃくちゃヤル気満々だっただけに、辛い気分です。ネット仲間、職場の同僚などが大病したと聞く機会が多くなり、彼らの分まで健康で頑張ろうと肝に銘じていたつもりが、この体たらく。情けないったら、ありゃしない。

 しばらく通信環境から隔絶された状態になるため、本HPの更新も不可能となります。医師には、最低二ヶ月、ムショ暮らしをしてもらう(実際の言葉は、こんなに荒っぽいモノじゃありませんよ:笑)とのことですので、その間、ココはお休みにさせていただきます。申し訳ありません。私の力ではどうにもならないのです。
 必ず、戻ってきますので、応援よろしくお願いします。


  2006年5月31日  入院前日

 明日から長期に渡って自由がきかなくなる。そう思ったら、やっておかなければならないことがたくさんみつかり、朝から市内を車で忙しく走り回った。家でジッとしているのが耐えられなかった。疲れやすい病気のはずなのに、なにも感じない。どこにそんな病魔が潜んでいるのか?

 夕方、カミサンとこれからのことを話し合うが、見通しが暗いだけにお互いの目には涙が溢れていた。家族を残して万が一のことを考えると、とめどもなく涙が出てきた。子供たちも泣いてくれた。みんなと別れるにはまだまだ早過ぎる。未練などという言葉だけでは表し切れない悔しさで一杯だ。

 みんなでこの病気に立ち向かう決心が出来た時、結束を表す家族写真を撮ることになった。まだ小さかった時、良く家族写真を撮ったものだが、大きくなってしまってからは、すっかりご無沙汰していた。笑って撮影しようにも、皆の表情は硬かったが、その中からお気に入りの1枚をピックアップして病室へ持っていくことにした。

 友人から「同じ血液の病気だと思うが、長い入院の末に無事退院し、社会復帰した者がいる」と聞かされる。この言葉にわずかながら元気が出てきた。さぁー、あしたからは今までと違った人生が始まる。やるしかない。


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