2006年 6月1日 入院初日  初の骨髄穿刺にビビりっぱなし

 ついに入院の朝が来た。カミサンと一緒に車に乗り込む。犬に別れのハグをして、家族みんなに見送られながら、車は出発した。あぁ〜、ココに無事戻ってくることは出来るのだろうか?

 10時前、8階西病棟リウマチ・血液内科のナースステーションに到着。案内されたのは6人部屋。一列3人のベッド中、私は真ん中だった。うわ、暗い。入院病棟そのものに暗いイメージがつきまとうが、ベッドの位置が拍車をかけて、ため息が出た。
 ふぅ〜、こんな環境でずっと過ごせと言うのは辛過ぎる。窓際の明るいとこがいいな。

 ナースから入院の説明や病棟の施設案内を受ける。が、心の中は穏やかではなかった。午後に骨髄穿刺(こつずいせんし:以後、マルクと表記)という、とても痛い検査が控えており、注射嫌いの自分は逃げ出したいほど脅えていた。ナースの話は半分も理解できただろか?上の空で、ひと通りの説明を聞き終わると、孤独な一人になった。
 みんな、カーテンを閉め切っており、姿かたちがハッキリしない。しかも入り口のネームプレートは、名前を公表したくない「ノーネーム」になってて、どこの誰さんかもわからない。

 救いだったのがTV。9インチほどの大きさの液晶でNHKの衛星放送が見られるのには驚いた。これからはトンネルのような暗い毎日ではあるが、少なくとも3時間はメジャーリーグ中継を見て、時間を潰せるのがうれしい。パソコンも携帯電話も使えない、自分にとってはまるで石器時代と思える環境下で、わずかな光をみつけた感じだ。マリナーズ戦を見ながら、来たるマルク検査のことを考えていた。

 午後2時、マルクのため処置室に入る。ベッドにうつ伏せに寝かされるとパジャマのズボンを尻が見えるほど下げられ、消毒液を塗られた。窓の外には青い海が見えた。実に見晴らしが良い。スタッフはゴム手袋を付けるなど準備に時間が取られているようだ。この待ち時間がやたらと恐怖心をあおる。やるなら早くやってくれ。
 「ハイ、麻酔を注射します」「チクッとしますよ」「少しずつ痛みを感じなくなります」「どうですか?」「はぁ〜い、次は骨髄液を採取します。ちょっと我慢してくださいね」「ハイ、息を止めてください」「ハイ、終わりました」

 処置室から歩いて自分のベッドに戻り、腰を下にして30分間おとなしく寝るよう指示が出た。オオ〜〜、意外に楽だった。麻酔のおかげである。当初、抱いていた恐怖心が一気に失せて、今後も何度か行なわれるマルクを容認できるようになった。結果は明日、カミサンも同席の上、白木先生から発表される。


 2006年 6月2日 入院2日目  絶望の淵に

 昼、カミサンと二人でカンファレンスルームに通される。いろいろ行なった検査の結果、病名が告知される。
 真ん中に据えられた長いテーブルに向かい合う形で白木先生と我々が座り、そばには石坂ナースがついた。
 骨髄異形成症候群(MDS)であることが告げられ、どんな病気であるかの細かな説明を受けたのだが「このままだと2〜5年の命」だと言われた瞬間、頭からスゥーッと血が下がり、耳は何も聞こえなくなり、抑えることができずに大泣きし、机に突っ伏した。

 もうダメなのか。死にたくない。まだ残り半分の人生があるのに。

 精神を安定させるために点滴を繋がれた。主治医は説明を続けるべきかどうか、迷っていたが「大丈夫ですから続けてください」と頼む。
 「方法はあります」
 「えっ?」
 「骨髄移植です。これを行なって社会復帰している方はたくさんいます」

 希望の言葉だった。元気が出てきた。移植に賭けるしかない。

 「今日は外泊されてもいいですよ。お気持ちの整理も必要ですし、治療は来週から始めますから」

 ありがたい。覚悟を決めてずっと戻ることがないだろなと思ったわが家に、たったの1日で戻るとは、いささかカッコつかないが、勇んで病室を後にした。


 2006年 6月4日 入院4日目  こっそり職場へ

 外泊最終日。夜8時までに病室へ戻る予定。

 私一人だけで乗っていたワゴン車エスティマが主を失って誰も運転しなくなると、いろんなガタがくると思った。世の女性はエスティマでも全く問題なく運転している人が多いというのに、ウチのカミサンは絶対にハンドルを握ろうとしない。縦横ともに大きすぎてぶつけるのが怖いというのがその理由だ。
 ならばということで免許取得まだ1年弱の長男に乗らせることにした。とても心配だった。普段はカミサンの軽自動車を時々借りて乗るぐらいの、まだまだヒヨッコ・ドライバー。今年の冬などは、バック中に………、おっと、彼の名誉のためにこれ以上話すまい。

 今日は日曜日。会社は昼過ぎから人が動き始めるので、それを見計らって、人気のない朝9時に息子二人を伴って出社してみた。私物を整理するためである。小さい頃は良く連れてきていたが、中学を終わるとずっとご無沙汰だった。「あぁ〜、ココ、覚えてる、覚えてる」と懐かしそうに社内を見回す。不要な私物をてきぱきコンビニ袋に詰め込み、急いで部屋を出た。会社はちょうど大きな変革の時を迎えていた。今度、ココに来るときはすっかり変わっているかもしれない。それをしっかりこの目で見るためにも、頑張らなければ、と思った。

 駐車場は空いている。長男にハンドルを取らせてみた。車のサイズに少しだけ戸惑ったようだが、どうにか動かせたので、街中に出てみることに。うむ、合格!習うより慣れろだ。以後、息子が我が愛車エスティマのオーナーになった。私の車は退院祝いとして新しいのを買ってもらおう!


 2006年 6月5日 入院5日目  治療の準備とアクシデント
週3回の採血
 朝6時、採血のために起こされる。今後は毎週月、水、金の3回、採血である。
白血球 ヘモグロビン 血小板
2900個 7.8g 16.1万個
 適正値は白血球4400〜10600個、ヘモグロビン13.1〜16.8g、血小板15.9〜38.1万個。 

 午後、心臓に繋がる静脈にCVカテーテルを入れる。麻酔の注射が少しだけチクリするだけと、カテーテルがうまく収まった時だと思うが心臓付近で空気みたいなブクブクといった変な音がしたぐらいで特にイヤな感じもなく30分ほどで終了した。このあと確認のためレントゲン撮影を行なう。

 若い女性薬剤師が、明日から始まる化学療法の薬の説明に来る。プリントを手渡され、それを見ながら説明するのだが、それよりも、アニメのキャラに良くありそうな声のトーンがおかしくて、注意力散漫になる。とはいえ、薬は「抗ガン剤」。予想される副作用を告げられると、ただただ軽くあって欲しいと願うばかり。

 夜、隣りのベッドの若者と初めて会話した。入り口のネームプレートには名を伏せているが、笹原君という、少し、うざったそうに話す20代半ばの若者だ。彼は移植の待機者で、あと2週間後が移植日だという。
 昨年末に入院して、半年経過して今ようやく移植とは……、はぁ〜、やはりこの病気は長い。
 なお、彼のベッド周りを見て、気がついた。院内禁止の携帯電話が臆することなく堂々と置かれ、充電中だった。
 「ケータイは使ってもいいの?」
 「大丈夫だ。悪びれず人前で電話するのは良くないが、ベッドでメール打ったりする分には看護婦さんも目をつぶってくれるよ」
 「ホント?いやぁ、うれしいな、その言葉。でもまさかパソコンはダメだよね?」
 「パソコンもやってる人いるよ。オラはやらないから持ってないけど大丈夫だよ」

 なんとまぁ、神様のようなお言葉。このお言葉を聞く前までは、毛布の中に隠れて携帯メールを打っていたので、指先がいいかげん痛くなっていた。ストレスが取り除かれ、少し楽になった。

 午後9時で消灯になり、ベッドの中でまだ眠れずに悶々としていた。その時、女性がナースステーション(我が病室はすぐ近くである)に駆けつけてきた。「看護婦さん、女子トイレで人が倒れてます!」

 うっわぁ〜、まさか死んだんじゃないだろな?

 やじ馬が出て、ちょっとした騒ぎになっているが、自分は見たくなかった。
 どうやら貧血を起こして倒れてしまったらしいが、幸い大事には至らなかった。病院だもんな、なんでもありだな。長い入院のスタートラインに立ったこの日にいきなり、このようなアクシデントが起こり、家に帰りたくなった。


 2006年 6月6日 入院6日目  化学療法1回目がスタート

 私の受持看護師、松山さんと初対面する。入院以来、スレ違いばかりでなかなか対面できなかった。プロゴルファーの宮里藍ちゃんに少し似ている可愛いお嬢さんだ。今後は彼女が日勤の時はメインでお世話をしてくれるそうだ。お願いしますね、藍ちゃん!

 午前10時、今日から2週間の治療がスタートした。
 キロサイド20mg/24時間を14日間、アクラシノンは20mg/30分を4日間。点滴スタンドには薬がブラ下がり、支柱には輸注ポンプが取り付けられた。期間中はベッドを離れる際、ポンプの電源コードをその都度外してバッテリー電源で行動しなければならない。バッテリーの持ち時間はせいぜい30分。見舞いの方と面会していると、良くバッテリー切れを起こして警告ブザーが鳴った。ちょうど見舞いが増え始めていた頃なため、不便を感じた。
 また、このポンプは24時間連続して動かさないといけないため、期間中はお風呂に入れない。2週間は長い。

 治療が始まってまもなく、顔がむくみ、首筋に発疹が出始めた。注射で収まる。

 血縁者間の骨髄移植が可能かどうかのHLA型検査書が完成し、関東に住む兄宛てに郵送された。


 2006年 6月11日 入院11日目  とっちゃにひと言

 笹原君が移植のため引っ越し、窓際の場所が空いた。う、う、うつりたい、そこに。だが軽く却下された。

 そこに来たのは60代のとっちゃ。昼間でもカーテンを閉め切るので、こっちには全然外の明かりが届かない。携帯はマナーモードにせず、大声で話すし、TVの音も流しっぱなし。シーンとした部屋にその音だけが鳴り響く。あまりにも我慢ならなかったので、注意することにした。もしこのまま黙っていれば、ズルズルとエスカレートしかねない。最初が肝心である。カーテンを開けて、以下。
 「○○さん、お願いがあります。テレビの音でみんなが迷惑してます。イヤホンを使ってください。入院時に配られたパンフレットにも書かれているようにルールは守りましょう」
 「はい」

 あら?意外に物分かりがいいじゃないか。音はすぐに聞こえなくなり、室内にも静けさが戻った。
 ところが、夜中のイビキだけはどうしようもない。怪獣並みのイビキに自衛策として耳栓を付ける。が、効果半々。眠れない時は、ちょうどこの頃から始まったサッカーワールドカップ、ドイツ大会を見て、過ごしてみた。

 ※とっちゃは三ヶ月後に病状が悪化して逝去しました。合掌。


 2006年 6月21日 入院21日目  1回目が終了し、2週間ぶりのシャワー

 前日午後に治療が終了し、2週間ぶりのシャワーをする。生まれ変わったみたいだ。さっぱりした。
 先客がおり、坊主頭なので(これは重要なヒントである)、もしや同じ病気では?と声を掛けてみた。
 久保君という若い白血病患者だった。骨髄バンクを介して提供された骨髄を既に移植し終わり、一度、退院したものの、発疹(GVHD)が体に出たため、再入院しているという。この頃、一番、気になっていた薬の辛さについて質問を浴びせると「あまり副作用など心配されたモノが出なくてすんだ」とあっさり言われ、だいぶ気持ちが楽になった。


 2006年 6月22日 入院22日目  兄とのHLA型は不適合
白血球 ヘモグロビン 血小板
2800個 8.8g 4.2万個
 治療がスタートしてから血小板が下降してきた。この日は通算5回目の血小板輸血を行なった。

 昼、白木先生に呼ばれ、兄とのHLA型が6分の4適合のため、ドナーにはなれないことを告げられる。残念だ。
 早速、骨髄バンクで6分の6の全適合者を検索してみたところ、18名ほどがいるとのこと。この数はあまり多いとは言えない数らしい。精密検査していくと、パス出来ない方が出てきて、終わってみればゼロとなることも多々あるという。どっちにしろ、移植は絶対条件なので、患者登録の書類を作成し、バンクへ手続きを行なった。

 この時、先生に尋ねてみた。
 「近親の者や、会社の人達が個別にHLA検査をして私を助けたいと言ってくれているのだが…」
 「近親者が適合する確率は非常に低い。絶対とは言えないが、まず適合はしない。また職場の方の申し出も理解できるが、費用もたくさんかかるし、それに対して適合する確率は低いでしょう。ならば骨髄バンクにドナー登録をしていただき、あなたのような病気で苦しんでおられる他の方にも提供しようという広いお気持ちを持ったほうがよろしいのではないでしょうか?」


 2006年 6月24日 入院24日目  院内モバイル構築
WILLCOMのWS002IN(PCの左側)
 ノートパソコンが使えるとわかった段階で持ってきてはいたが、単にDVDで映画を見るだけで過ごしてきた。でもそれだけではつまらないので、ネット環境を整える方法を探ってみた。友人や息子の力を借りて、PHSを使って通信するウィルコム社と契約。心電図機器等には悪影響があると伝えられている携帯電話と違って、これならば医療機器にも迷惑はかからない。

 設定はたいした苦労もなく、着々と進み、夕方、見事に開通。パソコン画面に「あすぱむ合衆国」がパァ〜〜っと流れた時は感動した。これまで、外部の人々とは携帯メールでやり取りしてきて、文字数の制約やタイピングの手間などから、疲れが出始めていた。そんな時に、この助っ人の登場。
 久しく更新してなかったホームページに病室の様子をアップしてみた。通信スピードは自宅のBフレと比較にならないが、外の世界を覗けるのは非常にありがたい。これでかなりストレス解消になりそうだ。


 2006年 6月30日 入院30日目  バリー・ボンズ?
↑D.オルティーズ
 会社の仲間が見舞いの際、私を勇気付けようと、大リーグ・プレイヤーのフィギュアを持ってきてくれた。それは非常に精巧に出来たもので、とても気に入った。ボストン・レッドソックスの頼りになる男、デービッド・オルティーズ選手のフィギュアをいろんな角度から見ては、(ちょっとスリム過ぎるきらいはあるが)う〜んなかなか良く出来てるわい、と、満足のため息をついていた。それをベッド脇に飾って置いたのだが、回診に来た白木先生がジッと見ながら言った。
 「ん〜、バリー・ボンズですか?」
 「残念、違います。レッドソックスの主砲です」

 オオオオ〜〜、先生も一応、ボンズは知ってるんだなぁ〜。でも、違うんだよなぁ。Booooooでした。


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