2006年8月2日 入院63日目  断髪式を強行

 青森ねぶたも今日が開幕。梅雨明け宣言も出され、シャバは本格的な夏を迎えた。
 相変わらず抜け毛が激しくてベッド周りは大変だ。ガムテープでくっつけて拾ってみても、きりがない。
 ん〜、もう限界か?よっしゃ〜ってんで、病院1階にある床屋さんで断髪式をする決断をした。

 「お客さん、どうぞこちらへ。坊主頭にしますか。どこまで短く刈ればいいですか?」
 「え〜っと、あんまり短いと風邪引くかもしれないしぃ〜〜(このクソ暑くなった夏なのに風邪引くわきゃないだろが)、いきなりツンツルテンってのも恥ずかしいしぃ〜、そうだ!五分刈りでいいや」
 「ほぉ〜、五分ね。結構、長いけどいいの?」
 「いいの、いいの。始めチョロチョロ、中パッパでね」
 「???ハイ、わかりました、じゃ、五分刈りですね」

30年ぶりの坊主頭
 電動式かと思ったら、なんと手動式の年季が入ったバリカンを取り出した。シャキシャキシャキシャキ。おぉ〜、切れがいいジャン。良く昔、途中で髪の毛が引っ掛かって「いてて!」なんてことがあったもんだが、これは大丈夫そうだな。しっかし、30年ぶりか?中学の時以来の坊主頭。おっさんが若返ったみたいで気持ち悪いな(笑)。

 「はい、終わりました。五分だとこんなもんですが…長くないですか?」
 「あ、いいんじゃないですか、これぐらいで。どうも」

 たわしのような自分の頭をジョリジョリなでながら、なんだか人にジロジロ見られているような被害者意識を持ってエレベーターに乗り込んだ。

 結局は、このあともドンドン抜け毛は激しくなり、半月もしないうちにツンツルテンの丸坊主になってしまった。床屋で五分か三分かで迷ったのは実にムダだった。

白血球 ヘモグロビン 血小板
700個 9.5g 3.3万個

 夜、噂のボクサー、亀田兄のタイトルマッチを見た。いつものボクシングなら午後9時で終わるのだが、今回のは引っ張るわ引っ張る。やたらとCMが多くて、一向に試合が始まらない。亀田の生い立ちを延々と流すTV。何度も繰り返し見せられるCM。いい加減にして早く始めてくれ。
 かなり待たされてようやくゴングが鳴った。1ラウンドで倒すと公言したんだから、遅く始まったとしても早く決着は付くだろう。と思いきや、チャンスが作れず、むしろ劣勢に見える。あれれと言ってるうちに判定になってしまった。亀田、新チャンピオン!のコールに「???、なんかすっきりしないな」。
 眠いから早く寝よう〜っと。zzzzz

 この数時間あとに、私の体には異変が迫っていた。♪ズンズン、ズンズン、ズンズン、ズンズン、ズーランチャッチャ、ズーランチャッチャ(映画「ジョーズ」のテーマ音楽です)


 2006年 8月3日 入院64日目  やられた!感染症

 深夜の午前3時20分、ものすごい寒けが全身を襲い、ブルブル震えた。熱い!体温を計ってみたら38.2℃もある。 ナースコールをして、状況を伝えた。伊賀ナースが来た。解熱の注射をしてもらい、採血をされ、寒けを抑えるため、電気毛布が用意され、布団に包まれて、ジッと寝ることにした。

 朝になって白木先生の指示が出る。先生の表情も幾分、こわばっているように見える。
 白血球数を上げるグラン注射と抗生剤を投与して細菌と闘わせる処置を行い、容体が落ち着いてきたところでレントゲン撮影を行なった。解熱剤が効いていると37℃台だが、切れると39℃台にすぐ戻る。夜8時には最高値40.2℃を記録。何十年ぶりかで体験した40℃台にさすが不安になる。

 意外にも食欲はたいして落ちず、ご飯の味もわかったので食べられた。

 う〜ん、昨夜の夜更かしが悪かったか?それとも床屋で移されたか?相手が目に見えないだけに怖い。


 2006年 8月4日 入院65日目  個室に引っ越し
個室風景 その1
 熱はまだ続いていた。汗をたっぷりかいて、悪い菌をやっつけようと闘っていた。
 昼前、突然、先生とナースが来た。「今から個室に移動します」

 「えっ?」驚きの声を上げたものの、ちょっと嬉しかった。
 個室は海が見えるし、なによりも「個室」なのがイイ。今まで何度、窓際のベッドを望んだことか。それがこんな形で実現し、熱を出しつつも内心で「ヤッタァ〜」と喜んでいた。
 移動の説明では「大部屋は人の出入りが多いので、弱っている患者を細菌から防御するのはなかなか難しいから」とのこと。
 引っ越しの「サカイ」よりも手際良く、荷物をパッパッパとまとめられ、私はベッドごとドドドォ〜って感じで個室にインサートした。

個室風景 その2
 ココには洗面所、応接用ソファーと机、整理棚があり、大部屋に付き物のカーテンが一切ナシ。開放感がたっぷりあって、ひろびろとしている。テレビの音声もスピーカーから聴けるのがイイ。こりゃ、健康的でいいやぁ〜。
 ともあれ、人の声が絶えず聞こえていた大部屋から、日中でも極めて閑静な個室「レオパレス21」に移ってきた。

 気分転換になったのか、熱が38℃台に落ち着いてきた。

白血球 ヘモグロビン 血小板
500個 8.5g 2.0万個

 2006年 8月7日 入院68日目  熱も下がって、めでたしめでたしの大輪イッパツ
白血球 ヘモグロビン 血小板
4500個 9.6g 4.0万個

 ようやく平熱に戻る。高熱のせいで胸には湿疹が出て、口にはヘルペスが。昼に行なった血小板輸血では手の甲にわずかな輸血疹も出る。連日のグラン注射のおかげで、白血球が4500までハネ上がった。

 ねぶた祭りも今日が最終日。夜は海上運行と花火大会があり、こちらの部屋からだとちょっと角度がきついが、どうにか見られそうだ。薄暗くなった午後7時過ぎ、最初の一発が打ち上げられ、しばし往く夏を惜しむ。あぁ〜、今年はねぶたが見られなかった。来年はどうかな?


 2006年 8月8日 入院69日目  金縛り〜〜

 霊などというものはあまり信じない性質だが、金縛りに遭遇してしまった。
 熱も全く問題なくなり、個室ライフを快適に過ごしていた。寝床に入ってウトウトしていた時、足を持ち上げられるような感触になった。そのうち、ゾォ〜ッと寒けを感じ、何かが覆いかぶさってくるような重みを感じた。コノヤローと思いつつ、目を開けて見る勇気がなかった。手足を全く動かせないまま、ベッドに押しつぶされていく感じがする。
 心の中で、お経を唱えてみた。南無妙法蓮華経・・・。大声を出してみようと試みるが、出せない。これが金縛りというものかと思うと怖くなってきた。

 そんなところへ携帯のメール着信音が・・・。スウーッと軽くなった。助かった、ほっ。
 あのままいってればどうなってたのだろうか?メールの相手にお礼メールを書いた。

 個室は気楽で良いと思ってたが、この体験で考えが変わった。
 かつて、この部屋で何人の人が息を引き取ったことだろうか。さぞ無念の思いで………、あ〜、イヤだ、あんまり考えたくない。でも、時期的にもお盆も近いことだし、何かが起こったとしても別に不思議ではない。
 この夜を境に、寝る時はベッド上のランプをほんの少し点けて、眠るようにした。

 あとで聞いた話では、個室入室の際に予め用意しておいた塩を軽く捲き、清めてから入る方もいるらしい。


 2006年 8月11日 入院72日目  念願の外泊前に待ち受ける試練が
白血球 ヘモグロビン 血小板
7700個 9.7g 3.0万個

 今日は約2ヶ月ぶりの外泊。グラン注射のせいで白血球数は適正値に収まるほど立派な数値。
 ただその前に、ある検査をすることが条件だった。胃内視鏡検査。ジャジャァ〜ン!!
 ここ数日、胃がキリキリ病むので白木先生に訴えたところ「じゃぁ、一度、中を診てみますかぁ〜」という軽いノリで決められてしまった。過去に一度だけ経験済みのワタシ。死ぬ苦しみを味わっただけに、この決定は私を魂の抜けたじいさんのようにした(?、恍惚状態ってこと)。

 また悪いことは重なるもので、CVカテーテルが2回目の詰まりを起こし、なかなか薬が落ちていかない。ベテランの田中ナースが孤軍奮闘、エッチラオッチラ、努力したおかげで見事に開通。スムーズな流れとはいかないまでも、落ちるようになったので手締めを行なった。

ナースコール
 さて、昼前に内視鏡科からのお呼びがかかり、戦々恐々としてエレベーターで下がる。外泊のためのニンジンだと思って、これさえクリアすれば自由のドアーが開けるさと言い聞かせた。
 ノドの麻酔薬を飲み、横に寝かされる。マウスピースをあてがい、いよいよヤツは侵入してきた。
 ウゲッ!ゲホッ!ぎゃぁ〜!グルジィ〜。
 目には涙、口からはよだれ。何とも情けない姿をしていることだろう。おそらくマウスピースは噛み砕かれんばかりの思い切りの力でかじられてるはず。あと「肩の力を抜いて、鼻から息を吸えば楽ですよ」と言われるが、とてもそんな芸当は中国歌劇団でなきゃ、無理というもん。
 だが、食道をカメラが通過すると少し楽になった。視線を左上にやるとモニターが見える。茶色で水っぽく光るトンネルが写っており、液体が噴霧されているようだ。「これ、何ですか?」と尋ねられる状況ではなかったので(笑)、検査終了後、尋ねた。

 「ルゴールで中を洗浄しました。異状はナシでしたよ」

 あぁ〜、良かった。何も異状ないんだったら、やんなくても良かったのにぃ〜・・などと、つじつまの合わない文句を言いながら病室に戻った。ゲップをするとルゴールの臭いが口中に広がり、気持ち悪い。

 さぁ、やることはやったから、外泊するよといきたいところだが、まだやることがあった。
 血小板の輸血である。今日で通算22回目ともなれば慣れたもんだが、いつもだとお昼頃に届くPCバッグ(血小板の入ったバッグ)が、なかなか手配できず午後5時前まで待たされた。来たのは秋田県で採取の血小板だった。文句ばっかり言ってて申し訳ないが、このバッグを届けるために多数の方が東奔西走したかと考えると、頭が下がる。

 輸血が終わり、シャバに出たのは午後6時になっていた。半日分を損した気分だったが、仕方ないこととして自宅へ急いだ。この夜、飲んだ2ヶ月ぶりのビールの味は格別だった。ナースには「化学療法のせいで味が変わってしまって、飲めなくなるわよ」と言われただけに、恐る恐る口にしたが、元々、舌が鈍感な自分にはなんの変化もなかった。

 それにしても個室から外泊した人は数少ないそうで、大部屋の仲間からは「重症患者が入る個室を空けて、外に出るとは悪いヤツだ」と盛んに冷やかされた。


 2006年 8月14日 入院75日目  ついに個室退去命令
白血球 ヘモグロビン 血小板
3500個 8.8g 2.6万個

 外泊中にも、主のいない間に部屋の移動があるかもしれないと言われてたので、荷物をまとめておいたのだが、13日夜に戻ってみると、まだそのままだった。そろそろ個室も飽きてきた頃で、出たいとは思ったが、以前の6人部屋は自分の場所がもう埋まってしまい、そこには帰る余地がなかった。
 となると、全く新しい大部屋ということになるが、そうなるとまた人間関係を最初から作り直さないといけないのが手間である。

 11時、突然、ナース3名ほどが乱入してきて「引っ越しよ、引っ越し」と言って、荷物をワゴンに上げていった。なんという早業。個室入室と同様の手順で10分もしないうちに私は新たな部屋にいた。ただ、今回はベッドごとの移動ではなく、徒歩だった。元気になるとこうも扱いが違うものか(笑)。

 今度の部屋は4人部屋。しかも念願の窓側の位置である。それまで居た個室と同じ並びの部屋なのだ。むつ湾が一望でき、船の往来も見られて、非常に素晴らしい。感染症にかかり熱でも出さない限りは、移植の日までずっとココで過ごす事になるのかと思ったら、嬉しくなった。
 部屋の皆さんにご挨拶のあと、荷物の整理をすると鼻歌が自然に出ていた。


 2006年 8月18日 入院79日目  ドナー1人みつかる
 昼前、カミサンから、ドナーが一人見つかったので所定の手続きをしてくださいという封書が到着したと連絡が入る。ちょうどこの時期、バンクのほうはどうなっているのか心配になっていた。何しろ、患者登録してから、はや2ヶ月が経とうとしているのに、全く音沙汰なしだったからだ。このような形で連絡が来るとは知らず、朗報に大喜びする。

 2006年 8月21日 入院82日目  化学療法3回目がスタート
輸注ポンプのダブル攻撃だぁ!
 午前10時、今日から10日間の治療がスタートした。
 キロサイド330mg/24時間を5日間、ラステット170mg/24時間を5日間、これらが終わったのち、オンコビン1.3mg/30分を1日、フィルデシン3.3mg/30分を1日。
白血球 ヘモグロビン 血小板
1700個 8.6g 2.7万個

 ポンプに繋がれるのは5日間だけなので、いくぶん、気が楽。あとは副作用がどう出るかが問題だ。


 2006年 8月24日 入院85日目  かゆみの副作用
白血球 ヘモグロビン 血小板
1100個 8.4g 3.0万個
かゆい、かゆい
 治療開始から4日目。今日から抗生剤マキシピームを投与。
 夜から足首が無性にかゆくなり、大林ナースを呼ぶ。「この注射、効き目イッパツで、すぐに眠くなるわよ」と言われる・・・が、そうはいかなかった。かゆみが勝って40分ほど眠れなかった。

 このあと、かゆみは4日間連続で続き、いかにして安眠するかで苦労する。かゆみ止め注射はもちろんだが、血行が良くなるとかゆみが増すとのことから、熱冷まし剤を足に巻いて寝てみる。なるほど、かゆみは止まり、その間が寝るチャンスだ。

 どの薬の副作用でかゆくなるのか、この時点ではわからず、まず抗生剤を疑ってみた。マキシピームを一週間続けたのち、メロペン、ケイテンと変えたのだが、メロペンになってからちょうどタイミング良く、かゆみが止まったので、犯人をマキシピームとした。しかし、第4回目の化学療法ではマキシピームを使っていないのに、またかゆみが出て、総合的な判断で、抗ガン剤のキロサイドとなった。


 2006年 8月31日 入院92日目  電動式ベッドに大喜び
白血球 ヘモグロビン 血小板
1300個 8.7g 2.8万個
電動ベッドのリモコン

 年に一度のベッド交換日(らしい。第一、1年のスケジュールを知り尽くすほど入院するつもりもない)。
 非常に良い天気である。ベッドを屋上に持っていき、日干しにするのだそうで、病棟のベッドを一気にやるわけにいかないので計画的に、○日は○号室と○号室のベッドというふうに天候とも相談しながら徐々に行なってきていた。今日は我々の部屋が対象になった。

 実は自分のベッドには不満があった。他の皆さんと違って自分のだけが、上下させたり上体起こしなどがハンドル操作で行なう手動式ベッドだった。これを機会に電動ベッドにして欲しいなと思っていたら、願い叶って、電動が来た。あんまり嬉しくて、リモコンで上げたり下げたり、まるでガキのようにいじくっていたら笑われてしまった。

 ※笹原君、26日に退院。めでたしめでたし。


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