2007年 1月1日 入院215日目  穏やかな新年

 ついに移植の年2007年が明けた。期待している。元旦の朝はいつも前夜の夜更かしがたたって遅くないと起きないのだが、今日は朝6時には早速起こされた。
 テレビは盛んに「明けましておめでとうございます」を連呼している。ニュースでは街中に紛れ込んだイノシシが猪突猛進して捕らえられたと伝えていた。外を眺めると薄日が差してきた。予報では全国的に初日の出は拝みにくいというものだったが、薄日の正体を確かめるべく南側に面する食堂に足を運んでみた。
 八甲田山の山すそからオレンジの光が出ていた。オオオ〜、初日の出〜〜〜。得した気分になった。

病室の鏡餅も乙なもんですな
 松山&蛯原ナースの研究「移植前後における足の筋力の違い」の第一回筋力測定を午後に行なうことになった。横になり、ひざを立てて、ひざを持ち上げる筋力を測定器で測る。松山ナースは私のひざに負けないよう測定器を必死で抑えるが、私のパワーもまだ衰えていないため、かなりきつそうだ(笑)。フーフー言いながら、次の検査項目へ。
 今度は足を伸ばし、太ももに測定器を当てて足全体を持ち上げる。フーフーが次第にゼーゼーへ変わる。
 足首の測定。寝たままで足の平を上げるのと下げる、2種類の測定。全部で4種、左右の足を各2回ずつ、計8回は私もそれなりにきつかったが、松山ナースはもっと辛そうだった(笑)。力負けしないようにと、彼女のほうから測定器を何となく押し込んでいたような気もするのだが…。

 これを行なうことになったのは、彼女達が関東方面への出張(?)で、ある研究報告に注目したかららしい。
 それによると、報告は足腰が弱って歩行困難になるというケースを避けるため積極的に筋トレを患者に行なわせたのだという。移植中にも行なうよう積極指導をしたみたいで、これには驚いた。だるかったり、苦しかったりで、とてもそれどころじゃないだろうに。彼女達はさすがにそこまで強制はせず、無菌室内では「可能な限り」というので気楽な気分で筋トレをやってみようと思う。


 2007年 1月3日 入院217日目  個室へ引っ越し
アイソレータ
 前処置のため個室へ引っ越す。4人部屋には8月のお盆から入ったため、実に4ヶ月半近くを過ごしたことになる。普通は化学療法を行なうたびに白血球が感染危険区域まで下がり、その都度、大部屋から一時的に個室へ移る人が多いのだが、自分はギリギリ持ちこたえたため、今の4人部屋にずっと居座ったことになる。
 窓側で海が良く見えるこのポジションはとても気に入っていた。今回の移植が終わると、また大部屋に戻されるが、出来れば、またココに戻りたいものだ。
 なお、私が退室したことにより、患者が2人となった部屋は、このあと早速、患者の入れ替えが行なわれて、なんと女性の部屋に生まれ変わってしまった。諸行無常とはこのことか。

 さて、新しい部屋にはアイソレータという簡易式の空気清浄機が備え付けられ、ベッドはその中に配置されて左右をビニールカーテンで囲まれた状況で移植までの一週間を過ごすことになる。

 ヒックマンを入れてから右肩をかばったせいか、肩凝りがひどくなった。首筋にかけて筋肉の張りがものすごく、湿布薬をペタペタ貼ってみるが、あまり効果が見られない。それに加えて、37度台中盤の微熱が出始める。移植前に熱が出たことで少し不安がよぎる。


 2007年 1月4日 入院218日目  Day マイナス7、前処置開始
白血球 ヘモグロビン 血小板
4100個 8.9g 3.9万個

 前処置開始。最後の化学療法になる。
 移植時の骨髄細胞を破壊するというブスルフェクスと脳に作用してけいれんを抑えるアレビアチンの投与が始まった。その他にもゾビラックスなど新たな内服薬もスタートする。
 ブスルフェクスについては、非常にタイミングが良かった。というのも、この点滴薬はつい最近、認可?になったらしく、それまではマブリンという粉薬が使われていた。結構な量の粉をゲホゲホ言いながら、吐かないように、一日4回、患者は飲まされていたという。これまでの経緯も含めて、自分はなんてラッキーなんだろうとつくづく思う。

 熱が継続的に出る。夕方からは38度台が出るようになり、抗生剤を使ってみる。肩凝りも相変わらずひどい。


 2007年 1月8日 入院222日目  Day マイナス3、前処置第二弾開始
白血球 ヘモグロビン 血小板
2800個 8.1g 5.0万個

↑ひどい頭重に苦しむ
 前処置第二弾として、エンドキサンとウロミテキサンの投与、二日間が開始。エンドキサンの薬の説明が「移植時の前処置に使われます」とだけしか書かれておらず、油断させられた。今までで最もきつい薬だというのが、苦しんでいる最中に納得した。今から考えると、この日から心電図モニターが取り付けられた事から、負担の大きい薬だと気付くべきだった。

 頭の重さはかつて経験ないほどのひどいモノ。横になって休もうとすると、体中の血液がすべて頭に集まるのではないかと思われるほど苦しい。よって起き上がり、稲穂が頭を垂れるような姿勢を4時間ほどずっと行なって、耐えしのいだ。これに加えて吐き気と動悸。それから体内に貯めると出血性膀胱炎などの怖い副作用が起こるというので、利尿剤ラシックスを投与され、オシッコの回数が激増(1日15回)した。

 そんな状況だが、食事はまだ摂ることが出来たので、高カロリー点滴「フルカリック1号」の使用は見送られた。


 2007年 1月10日 入院224日目  Day マイナス1、無菌室へ引っ越し
白血球 ヘモグロビン 血小板
1500個 7.0g 5.1万個

 午前11時、別階の無菌室へ引っ越す。歩く脚力は十分あったが、一度、車イスに乗ってみたかったので、田中&石坂ナースに甘えて車イス移動をした。途中、ナースステーションで皆さんから「頑張ってネ」「元気でね」「負けないでネ」と暖かい励ましの言葉をいただき、出征兵士のように「行ってきます」と返事(笑)。

 無菌室に到着すると今度は「いらっしゃいませ」と三顧の礼でもって迎えられ、とても気分良く入室。室内の機器の説明、及び、患者に付けてもらうデータの説明を受ける。
 摂取した水分はステンレスカップで細かく計量し、8時間ごとのトータルを報告する。それと一回分の尿量を記録し、同じく8時間ごとに回数とトータル量を報告する。検温は1日4回、着替えは毎日、うがいはイソジンとファンギゾンをそれぞれ1日5〜6回などなど、結構、仕事が多い。一通り受けたのち、本日の最初の仕事、シャワーを行なった。決して「狭い」とか「使い勝手が悪い」などと贅沢は言えないが、体が奇麗になってサッパリする。

 滅菌の済んだ私物が手元に戻ってきたので、それらの整理整頓をする。ノートPC、デジカメ、携帯電話などの機器が自由に使えるのは、ホント、ありがたい。部屋の中は非常に奇麗でいいのだが、いくつかの難点も見つかる。

 まずはナース側のカーテンを上下させる際のリモコンがイマイチ反応が悪く、しかも一番下まで下ろすと弛んでしまった。これでは大便トイレの時、弛んだところから丸見えになってしまう(笑)。自分が入る直前に大掛かりなメンテナンスをしたというが、これではなんのためのメンテだったのか疑問が残る。既に直す時間はないので、このままごまかしながら使うことになった。
 次に冷蔵庫。庫内の高さが十分ないのでペットボトルが縦に入らない。せいぜい3本も入れば満杯になり、ボトルの形によってはドアを開けた時に転がり出てくるではないか。そんなことが、何度かあって、具合の悪い時はストレスが溜まった。
 他にも少しあるが、ナースさん達が優しかったので、あとはヤメる(笑)。

 ヒックマンを入れてから、肩凝りが激しかったが、この頃からは右腕のむくみが目に付くようになってきた。両腕を比べると明らかに右がパンパンに張っている。いくつかの内出血斑もあり、腕回りを測ってみると右腕28.5センチ、左腕は25.4センチ。その差3センチ。主治医、曰く「ヒックマン術の際、何かしらの閉塞を起こして、それが微熱を引き起こしたのかもしれない。移植は予定通り、明日、行なう」。

 ↑面会用の廊下から無菌室を覗くと、こんな感じ。ガラス越しにインターフォンで会話する。
↑ウォシュレット付きトイレ ↑洗面所。減菌化された水が出る
 ↑14インチテレビと、その下の箱を降ろすと簡易式シャワー台に早変わりする  ↑スタッフは画面左手のビニールカーテン越しに対応するが必要に応じて無菌ウエアを身にまとって中に入ってくる
↑一本足テーブル ↑ペットボトルが縦に収納できない冷蔵庫
 ↑壁からは常に清浄された奇麗な空気が流れている ↑体内に取り込む水分はすべて計量する
 ↑床にモノを落としたら絶対コレで拾わなければならない  ↑MAP(赤血球輸血)はO型プラス、PC(血小板)とFFP(血しょう)はA型プラス
 ↑嘔吐物キャッチャーと抜け毛粘着テープ  ↑運動するつもりだったが1度しか使わなかった

 2007年 1月11日 入院225日目  Day 0、ライフ・イズ・チェンジ
白血球 ヘモグロビン 血小板
900個 8.2g 3.5万個

 午前10時、今後の脱毛に備え、稲葉ナースの手を借りて電気バリカンで頭を奇麗にしてもらった。ツルンツルンになったところでシャワーを浴び、11時からの移植の儀式まで(無菌室内を)せわしなく動き回る。

 午前11時。主治医と3名のナースがビニールカーテン越しに集結する。白いカゴの中には、先月中旬に奇跡のドナー、息子から採取した末梢血幹細胞のパックが3つ収められていた。鮮やかな赤である。1パックを手に取り、プチュッという甲高い音の後、チューブの先端をパックに差し込み、スタンドにセットすると主治医は言った。

 「では、始めますよ」

 パックから私の心臓までのカテーテルの距離は約3メートル。赤い先端部はまるで生き物のようにゆっくり進み、やがてシャツの中に消えていった。いつも、同じ赤い色の赤血球輸血で慣れているとはいえ、今回は気分が違う。自分自身で感じる特別な変化はなかったが、血圧計は最高血圧160を表し、心拍数も100台に上昇していた。3パックは約30分で、一滴も残さず私の体内に消え去った。
 今日と明日の二日間で計6パック。この中には通常の移植で行なわれる細胞数の5倍が含まれており、大量の造血細胞によってまだ残るガン細胞を駆逐する目的があるとのこと。21歳の若い細胞は大暴れして、その目的を十分達成してくれるだろうと大きな期待をしている。ただ、その分、自分に対しても暴れるため、発疹、ゲリ、高熱が出る可能性を示唆された。

 以前、他の方の末梢血幹細胞移植の時、一緒に混ぜるデムソ(DMSO)という薬剤の匂いがツーンと鼻につき、これが体の中からも染み出てくると聞かされ、果たして耐えられるだろうかと心配していた。が、全く匂いも味もしない。どういうことかと尋ねると、カーテンの向こう側では匂いがちゃんとしており、空気清浄機のファンを最大モードで排気しているため、こちらには届かないのだろうとのこと。いやぁ〜、助かった。


 2007年 1月14日 入院228日目  Day +3、諸症状、現わる
白血球 ヘモグロビン 血小板
800個 8.2g 1.7万個

 まだ病院食に口を付けることはどうにか可能なので出してもらっている。だが、普通量はとても食べきれないので、半食(通常量の半分)でリクエストしている。煮物など、匂いの強いモノはちょっときつい。匂いをかいだ途端、吐き気が襲う。

 だるさが顕著になってきた。動作一つするにもナマケモノのようにゆっくり動かないといけない。ベッド脇のトイレに立つのさえ、一仕事である。そのトイレ回数が実に多い。それも抗がん剤を体に貯め込まないように、ラシックスという利尿剤で強制的にオシッコを出させているからだ。1日20回はさすがにきつい。
 しかし、これだけ排尿しているにも関わらず、体重の増加が著しく70キロジャストを記録してしまう。水太りも甚だしい。入院時の66キロがウソのようだ。

 口の中に白いカビが出始めた。白血球の低下とともに増え、ひどくなると、口中全体が真っ白になって、唾液はドロドロ、ノドはカラカラ、あまりにも痛くて言葉を発することさえ出来なくなるという。このカビが肺に到達すると重篤な肺炎になることもあるというから怖い。体がだるいながらも、ファンギゾンで可能な限りのうがいを心掛けた。

 変な夢をたくさん見る。と言っても、アナタが想像するような変なモノではない(失礼)。
 洋式トイレが30m近く伸びて、無菌室の壁をぶち抜いて廊下まで突き刺さっているモノとか、他に取材と称して某テレビ局のキャスターがカメラマンなどのスタッフを引き連れて、普通の格好(雑菌だらけの状態)で無菌室に入ってきてるにも関わらず、自分はしっかりインタビューに応えるモノとか、B級映画の実につまらないヤツを次から次へと見るモノとか、さまざま。


 2007年 1月15日 入院229日目  Day +4、熱に苦しむ一日
フルカリック1号
 朝方、37度台の熱が出始め、午後からは38度中盤で推移する。だるい。ほとんど動けず、寝て過ごす。時々、頭痛も混じり、何もやる気が起こらない。寝てばかりいたら腰が痛くなってきた。踏んだり蹴ったりである。

 昼から病院食をストップ。これに伴い、高カロリー点滴「フルカリック1号」が開始される。1日1袋、550キロカロリーとは何となく少なめなような感じがするが、普通のカロリー量を十分カバーしていて「普通の病人」ならば生きていけるらしい。もっと重い患者には2号、3号というのを投与するという。

白血球 ヘモグロビン 血小板
600個 8.1g 2.4万個

 2007年 1月17日 入院231日目  Day +6、更に高熱が襲う
白血球 ヘモグロビン 血小板
200個 8.8g 2.1万個

39.9度の熱に元気も出ない
 熱の範囲が前日より1度上昇。40度台手前で苦しむ。まるで石炭ストーブが体の中に入っているようだ。口や目から火が出るのではないかと思えるほど、熱い。解熱剤を投与するが、効き目は8時間弱で切れるため、一日に3度の大きな高熱のヤマが襲う。

 扁桃腺と肛門の細胞採取検査を受ける。扁桃腺では吐きそうになり、肛門では生まれて初めて突っ込まれた2本の検査棒に悲鳴を上げた。あれは痛い!

 為す術が無いので、ほとんど寝て過ごす。夜には書いた文字がメチャクチャになるほどの大きな寒気に襲われて、ひどい目に遭う。布団だけでは寒気が収まらず、電気毛布を使う。

 最悪な体調だが、ファンギゾンによるうがいを多少の無理をおして行なう。一日に何度か口腔内の検査を受けるが、白カビはあまり拡大せず極めて良好な状態が続く。


 2007年 1月19日 入院233日目  Day +8、白血球ゼロ
白血球 ヘモグロビン 血小板
0個 8.7g 1.8万個

↑ついに白血球がゼロに
 移植から8日目でやっと白血球がゼロになった。
 検査報告書では「0.1(0個〜100個)」と表記されるが、本来、ゼロ表記が出来ないため、この時点で「ゼロ」と判断している。この数字を見て自分の体には今、なんの抵抗力も無いのだと改めて怖い気持ちになる。

 てっきり移植日に白血球ゼロ日を設定していくものだとばかり思っていた。移植日に900個もあってどうしたものかと思っていたが、飛川ナースによると、その頃の白血球は強い抗がん剤により、もはやボロボロになって白血球の役割を果たさないカスだとか。数値は900でも、ほぼ0だと考えても良いらしい。
 今後は1000個を目指して頑張らなければならない。

 まばたきをすると、目の中の下のほうで白い光が見えるようになる。熱対策で使用開始した抗生剤「ザイボックス」による副作用だという。実にまぶしい。フラッシュみたいだ。

 テレビのヤキソバのCMを見て、急に食べたくなったので、白川ナースにお願いして売店から買ってきて貰う。この無菌室にいると非常に丁寧に扱われるのがありがたい(笑)。ヤキソバはお湯入れから、お湯捨て、ソースの混ぜまですべて行なってくれるのだ。手元に届く頃には、食べるだけという大サービスぶりである。
 待望のイカヤキソバを前にして、まずソースの香りを鼻で感じ「う〜ん、おいしそう〜」。
 ソバを箸でつまんで口に入れたその時、衝撃が走った。まずい!なんじゃ、この味は?真っ黒に焦げた雑草でも食べているようだ。間違いではないかと、もう一口、運んでみる・・・・やはりひどい。地獄の味とはこのことか? 頑張ってもう少し食べてみたが、4分の1ほどで口が開くのを拒否した。白川ナース推薦のヤキソバだったが、完食は絶対ムリ、残さなければならないのが残念だ。味が戻るには時間がかかるそうで、人によっては年単位になる人もいるというから、味覚障害が出たのはショックだった。


 2007年 1月21日 入院235日目  Day +10、酸素が足りない
白血球 ヘモグロビン 血小板
500個 8.7g 2.7万個

↑初めての酸素吸入
 早くも白血球が500と出た。0がわずか二日間とは怪しい。この日は日曜日なので検査機が平日と違い、検査数値は多少、精度が落ちたり不安定になることもあるそうで、きっとそれだろうとナースともども自分を言い聞かせた。でも、どこか引っ掛かる。

 昼過ぎ、血小板輸血を行なった際、輸血疹が出る。その後、呼吸と腹部が苦しくなり、酸素飽和濃度を測ると「91」(100に近いほど良い。通常は97〜99)。急きょ、酸素吸入を受ける羽目になった。
 移植時のように体調が不安定になると、輸血によるアレルギー反応が起きて、このようになることがあるという。

 オレンジジュース、リポビタンDがおいしい。非常にさっぱりした味である。みかんの缶詰め、ハーゲンダッツのバニラもおいしい。冷たいのは大丈夫みたいだ。夜、勇気を出して赤いきつねを食べてみた。ヤキソバ同様、ダメだった。

 夜、38度台の熱が出て、解熱剤「サクシゾン」を投与。熱はどうにか下がったが、午後11時、午前1時、4時の三度、滝のような汗をかいて着替えに大忙しとなる。ハンパな量の汗でない。


 2007年 1月22日 入院236日目  Day +11、異例のスピードで生着
白血球 ヘモグロビン 血小板
2800個 9.2g 3.3万個

↑生着!2800
 我が目を疑った。前日の500は怪しいもんで、これから少し減って小刻みに牛歩のごとく増えていくものと思っていたが、いきなり文句ナシの2800が出ては生着と認めざるを得ないだろう。白木先生にこのことを尋ねると「1000オーバーが三日続いた最初の日」と慎重な言葉を言いつつ、顔は笑っていた。

 大量の白血球のおかげで口内炎の心配がなくなり、ツバも飲み込めず、言葉も言えないという最悪の状況は経験しないで済むことになった。また、痛み止めとして使われるモルヒネが体に入ることがなくなった。やっぱ麻薬は麻薬である。使わないに越したことはない。


 2007年 1月23日 入院237日目  Day +12、消えたGVHD
白血球 ヘモグロビン 血小板
4900個 9.1g 1.7万個
         青い数字は正常値

 顔や首筋が真っ赤なので、皮膚科に来てもらって組織採取をして貰う事になった。この検査により、赤みがGVHDによるものなのかどうかがはっきりする。GVHDは早く出れば出るほど良い。
 ところが皮膚科の先生が超忙しかったらしく、無菌室に来た午後4時過ぎには赤みがスーッと消えてしまっていた。よってGVHDの検査も判定も次回持ち越しになってしまった。ん〜、残念。

 夜、様子を見に来た白木先生が突然言った。「明日、無菌室を出て、8階の個室へ移ってもらいます。生着しちゃったんだから、もうココに居る必要ないですからねぇ〜」
 うっへぇ〜、驚いた。ベテランの稲葉ナースも「13日目での退室は聞いたことがないわ。記録だわね」
 確かに熱などで随分苦しんだがココは居心地が良かった。正直にいうと、まだ一週間くらいは居てみたい。せっかくナースの皆さんの顔と名前が一致するようにもなったし、楽しい会話も出来ていたので、もうお別れしなければならないのがさみしい。


 2007年 1月24日 入院238日目  Day +13、ただいま〜
白血球 ヘモグロビン 血小板
5000個 8.2g 3.4万個

↑8階の個室へ戻る
 朝から大島ナースの動きが慌ただしい。午前11時の退室に備えての作業と通常の作業が一緒になったからだ。

 無菌室を出る時は車イスではなく、歩いて出たかった。ところが、立ち上がると左足が痛い。足の付け根をゴムで強く縛りつけられ、足全体に血液が流れなくなったような痛みである。う〜ん、まずい。でも、不思議なのは足踏みをするとさほど痛まず、立ち止まるとジ〜ンと痛くなってくる。ならば、足の動きを止めなければいいわけで、そのようにして退出しようと心に決めた。ナースには足の痛みは内緒で。

 午前11時。準備オッケーの合図で、それまで絶対越えてはならないと言われていたイエローラインを一歩踏み出し、楽しかった無菌室ライフは完全に幕が降りた。隣りの部屋で移植奮闘中の水谷さん(女性)に「頑張ってネ」と初めて声を掛けてみた。「ありがとう。頑張ります」の返事を背中に受けつつ、廊下へ出る。
 ナースステーションで「お元気で〜」と見送られ、白川&大島ナースの付き添いで8階へ上がる。2週間ぶりに見る人の群れが新鮮に目に飛び込んでくる。なぜか退院するような錯覚にとらわれ、妙に嬉しい気持ちになってしまった。

↑狭い洗面スペース
 8階では「お帰りなさ〜い」「早かったわねぇ〜」「おめでと〜」などの言葉で迎えられ、戻ってきたんだなぁ〜と実感する。部屋に案内されると、そこにはまたアイソレータが用意されていた。この機械のせいで部屋がだいぶ狭くなるのがイヤだが(洗面台と機械のすき間は30センチもあるかどうか。洗顔の際は辛いものがある)、それほど長くココにいるわけでもないだろうから我慢しよう。

 夕方、小暮先生が病室に顔を出してくれた。
 「どうですか?」「ハイ、熱と足の痛みがありますけど、他はなんともありません」「今後はGVHDがどれだけ出てくるかですから、もう一頑張りしてくださいね」「ありがとうございます」
 ありがたいことだ。医療スタッフ全員で一人の患者に関心を持っているというのが良くわかる。実のところ、私は主治医以外の先生との会話を非常に楽しみにしている。

 夜に入ると、解熱剤投与の決定ライン38度一歩手前で足踏みする熱が明け方まで続いた。ちょっと苦しかった。


 2007年 1月27日 入院241日目  Day +16、平和な土曜日
白血球 ヘモグロビン 血小板
2700個 9.4g 4.4万個

 白血球数が減ってきた。別に心配はいらない。生着後に使ったグランという薬で半強制的に白血球を増やすようにしていたために5000まで上がったわけで(もっとも通常はこれほど良く反応はしない)、グラン投与を止めると次第にまた減り始めるのだ。それが落ち着くと移植した造血幹細胞が自力で血液を造り始め、再び、上がってくる。

 カミサンとドナー様にガラス越しではなく、直に面会。無菌室入室で一旦引き上げていた荷物を持ってきてもらう。自分の環境が移植前に段々戻っていくのが気分良い。
 鮭のおにぎりを食べてみた。あ〜、悪くない。はっきりした味ではないが、まずさは感じない。これならイケる。

 夜は大好きなTV番組「大間のマグロ5」を見る。夕方から38度まで熱が上がり、ムリかなとも思われたが、放送開始の午後7時には平熱へ戻り、体調万全で見る事が出来た。内容は今回も十分満足させてくれるものだった。

 足の痛みがほとんど無くなり、トイレに行くのが苦痛でなくなった。これまでは尿器を部屋に置いて歩かなくても良いようにしていたが、今日からは外のトイレで用を足す事にする。が、それもほんのわずかだった。その後、オシッコの出が悪くなり、利尿剤ラシックスを使ったため、回数が頻繁になり、身が持たないということで尿器復活。


 2007年 1月30日 入院244日目  Day +19、皮膚生検術
 23日に一度予定したが、その後、赤みが消えたので中止になっていた皮膚の組織採取を行なうことになった。
 今回は先生が来てくれる甘えが許されず、車イスに乗って1階の皮膚科外来へ。頭には毛糸の帽子を被り、口にはマスクをかけ、車イスという姿が、ひときわ重病人っぽい感じがして気恥ずかしい。
 この組織採取、正確には皮膚生検術というのだそうで、今出ている皮膚の赤みがGVHDであることを確定診断するために、最も顕著な部位から約4ミリほどの皮膚をえぐり取る、というもの。一応、「術」と付くことから同意書への署名を求められ、何となく緊張気味になる。
 処置室に通され、両腕、両足などをくまなく観察されて、右腕の上腕部裏から採ることに決定する。

 どうでも良いことかも知れないが、先生の口調がものすごく柔らかくて安心できる(笑)。
 局所麻酔を上腕部に打たれる。普通は麻酔が一番痛く感じるものだが、今回は麻酔もいつ打たれたのか、ほとんどわからないまま、組織採取まで一気に進む。最後に2針縫って、終了。想像してたよりもたいしたことなく、取り越し苦労だったと気付く。結果が出るにはしばらく時間がかかるとのこと。

 夜、小暮先生が来た。
 両腕の赤みを見て「う〜ん、イ〜イ感じだねぇ〜。もう少し頑張って下さい」「ハイ、頑張ります」


 2007年 1月31日 入院245日目  Day +20、マルクと胸部CT撮影
白血球 ヘモグロビン 血小板
5600個 10.0g 9.7万個

↑酸素飽和濃度測定器
 酸素飽和濃度の数値が良くない。93とか95などと低い。移植前は99や100が当たり前だっただけに納得がいかない。それにしても、こんな小さくて単純そうな機械なのに、正確な数字を出すもんだと感心する。
 数字が低いとやはり呼吸が少し苦しい。つまり正常な呼吸がされていないので指先への酸素も、十分、行き渡っていないということなのだろう。29日に胸部レントゲン撮影を行なったが(結果は異常なし)、今日は用心を兼ねてCT撮影を行なうことになった。

 午後2時、一ヶ月ぶりのマルク。白木先生が外来で忙しいということで、小暮先生がピンチヒッター。
 麻酔は非常にうまくいった。骨髄採取では一度失敗、刺し直しで成功。
 痛くなかったし、小暮先生だから許す。終了後、部屋で30分、安静。

 午後4時半、CT撮影のため1階へ車イスで向かう。娘のCTには何度か付き合った事があるが、自分自身がCTを受けるのは初めてである。どんなものなのか興味があった。だが、特別、なんちゅうことはなかった。
 細長いベッドにベルトで結わえ付けられ、手を頭に伸ばして万歳をさせられたまま、ドーナツの穴に向かって進む。ドーナツには幅10センチほどのガラス窓が上下左右360度付いている。準備が整うと「息を大きく吸って止めてください」という甲高い機械的な声が発せられ、窓の中のモノがシュルシュルと音を立てて回転し始める。こんな感じで3回繰り返して終了。CT初体験は感動するようなモノがなく、あっという間に終わってしまった(笑)。


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