ついに移植の年2007年が明けた。期待している。元旦の朝はいつも前夜の夜更かしがたたって遅くないと起きないのだが、今日は朝6時には早速起こされた。
今度は足を伸ばし、太ももに測定器を当てて足全体を持ち上げる。フーフーが次第にゼーゼーへ変わる。 足首の測定。寝たままで足の平を上げるのと下げる、2種類の測定。全部で4種、左右の足を各2回ずつ、計8回は私もそれなりにきつかったが、松山ナースはもっと辛そうだった(笑)。力負けしないようにと、彼女のほうから測定器を何となく押し込んでいたような気もするのだが…。 これを行なうことになったのは、彼女達が関東方面への出張(?)で、ある研究報告に注目したかららしい。 |
窓側で海が良く見えるこのポジションはとても気に入っていた。今回の移植が終わると、また大部屋に戻されるが、出来れば、またココに戻りたいものだ。 なお、私が退室したことにより、患者が2人となった部屋は、このあと早速、患者の入れ替えが行なわれて、なんと女性の部屋に生まれ変わってしまった。諸行無常とはこのことか。 さて、新しい部屋にはアイソレータという簡易式の空気清浄機が備え付けられ、ベッドはその中に配置されて左右をビニールカーテンで囲まれた状況で移植までの一週間を過ごすことになる。 ヒックマンを入れてから右肩をかばったせいか、肩凝りがひどくなった。首筋にかけて筋肉の張りがものすごく、湿布薬をペタペタ貼ってみるが、あまり効果が見られない。それに加えて、37度台中盤の微熱が出始める。移植前に熱が出たことで少し不安がよぎる。 |
前処置開始。最後の化学療法になる。 熱が継続的に出る。夕方からは38度台が出るようになり、抗生剤を使ってみる。肩凝りも相変わらずひどい。 |
頭の重さはかつて経験ないほどのひどいモノ。横になって休もうとすると、体中の血液がすべて頭に集まるのではないかと思われるほど苦しい。よって起き上がり、稲穂が頭を垂れるような姿勢を4時間ほどずっと行なって、耐えしのいだ。これに加えて吐き気と動悸。それから体内に貯めると出血性膀胱炎などの怖い副作用が起こるというので、利尿剤ラシックスを投与され、オシッコの回数が激増(1日15回)した。 そんな状況だが、食事はまだ摂ることが出来たので、高カロリー点滴「フルカリック1号」の使用は見送られた。 |
午前11時、別階の無菌室へ引っ越す。歩く脚力は十分あったが、一度、車イスに乗ってみたかったので、田中&石坂ナースに甘えて車イス移動をした。途中、ナースステーションで皆さんから「頑張ってネ」「元気でね」「負けないでネ」と暖かい励ましの言葉をいただき、出征兵士のように「行ってきます」と返事(笑)。 無菌室に到着すると今度は「いらっしゃいませ」と三顧の礼でもって迎えられ、とても気分良く入室。室内の機器の説明、及び、患者に付けてもらうデータの説明を受ける。 滅菌の済んだ私物が手元に戻ってきたので、それらの整理整頓をする。ノートPC、デジカメ、携帯電話などの機器が自由に使えるのは、ホント、ありがたい。部屋の中は非常に奇麗でいいのだが、いくつかの難点も見つかる。 まずはナース側のカーテンを上下させる際のリモコンがイマイチ反応が悪く、しかも一番下まで下ろすと弛んでしまった。これでは大便トイレの時、弛んだところから丸見えになってしまう(笑)。自分が入る直前に大掛かりなメンテナンスをしたというが、これではなんのためのメンテだったのか疑問が残る。既に直す時間はないので、このままごまかしながら使うことになった。 ヒックマンを入れてから、肩凝りが激しかったが、この頃からは右腕のむくみが目に付くようになってきた。両腕を比べると明らかに右がパンパンに張っている。いくつかの内出血斑もあり、腕回りを測ってみると右腕28.5センチ、左腕は25.4センチ。その差3センチ。主治医、曰く「ヒックマン術の際、何かしらの閉塞を起こして、それが微熱を引き起こしたのかもしれない。移植は予定通り、明日、行なう」。 |
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↑面会用の廊下から無菌室を覗くと、こんな感じ。ガラス越しにインターフォンで会話する。 | ||||||||||||||||||||||||
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午前10時、今後の脱毛に備え、稲葉ナースの手を借りて電気バリカンで頭を奇麗にしてもらった。ツルンツルンになったところでシャワーを浴び、11時からの移植の儀式まで(無菌室内を)せわしなく動き回る。 午前11時。主治医と3名のナースがビニールカーテン越しに集結する。白いカゴの中には、先月中旬に奇跡のドナー、息子から採取した末梢血幹細胞のパックが3つ収められていた。鮮やかな赤である。1パックを手に取り、プチュッという甲高い音の後、チューブの先端をパックに差し込み、スタンドにセットすると主治医は言った。 「では、始めますよ」 パックから私の心臓までのカテーテルの距離は約3メートル。赤い先端部はまるで生き物のようにゆっくり進み、やがてシャツの中に消えていった。いつも、同じ赤い色の赤血球輸血で慣れているとはいえ、今回は気分が違う。自分自身で感じる特別な変化はなかったが、血圧計は最高血圧160を表し、心拍数も100台に上昇していた。3パックは約30分で、一滴も残さず私の体内に消え去った。 以前、他の方の末梢血幹細胞移植の時、一緒に混ぜるデムソ(DMSO)という薬剤の匂いがツーンと鼻につき、これが体の中からも染み出てくると聞かされ、果たして耐えられるだろうかと心配していた。が、全く匂いも味もしない。どういうことかと尋ねると、カーテンの向こう側では匂いがちゃんとしており、空気清浄機のファンを最大モードで排気しているため、こちらには届かないのだろうとのこと。いやぁ〜、助かった。 |
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まだ病院食に口を付けることはどうにか可能なので出してもらっている。だが、普通量はとても食べきれないので、半食(通常量の半分)でリクエストしている。煮物など、匂いの強いモノはちょっときつい。匂いをかいだ途端、吐き気が襲う。 だるさが顕著になってきた。動作一つするにもナマケモノのようにゆっくり動かないといけない。ベッド脇のトイレに立つのさえ、一仕事である。そのトイレ回数が実に多い。それも抗がん剤を体に貯め込まないように、ラシックスという利尿剤で強制的にオシッコを出させているからだ。1日20回はさすがにきつい。 口の中に白いカビが出始めた。白血球の低下とともに増え、ひどくなると、口中全体が真っ白になって、唾液はドロドロ、ノドはカラカラ、あまりにも痛くて言葉を発することさえ出来なくなるという。このカビが肺に到達すると重篤な肺炎になることもあるというから怖い。体がだるいながらも、ファンギゾンで可能な限りのうがいを心掛けた。 変な夢をたくさん見る。と言っても、アナタが想像するような変なモノではない(失礼)。 |
昼から病院食をストップ。これに伴い、高カロリー点滴「フルカリック1号」が開始される。1日1袋、550キロカロリーとは何となく少なめなような感じがするが、普通のカロリー量を十分カバーしていて「普通の病人」ならば生きていけるらしい。もっと重い患者には2号、3号というのを投与するという。
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扁桃腺と肛門の細胞採取検査を受ける。扁桃腺では吐きそうになり、肛門では生まれて初めて突っ込まれた2本の検査棒に悲鳴を上げた。あれは痛い! 為す術が無いので、ほとんど寝て過ごす。夜には書いた文字がメチャクチャになるほどの大きな寒気に襲われて、ひどい目に遭う。布団だけでは寒気が収まらず、電気毛布を使う。 最悪な体調だが、ファンギゾンによるうがいを多少の無理をおして行なう。一日に何度か口腔内の検査を受けるが、白カビはあまり拡大せず極めて良好な状態が続く。 |
検査報告書では「0.1(0個〜100個)」と表記されるが、本来、ゼロ表記が出来ないため、この時点で「ゼロ」と判断している。この数字を見て自分の体には今、なんの抵抗力も無いのだと改めて怖い気持ちになる。 てっきり移植日に白血球ゼロ日を設定していくものだとばかり思っていた。移植日に900個もあってどうしたものかと思っていたが、飛川ナースによると、その頃の白血球は強い抗がん剤により、もはやボロボロになって白血球の役割を果たさないカスだとか。数値は900でも、ほぼ0だと考えても良いらしい。 まばたきをすると、目の中の下のほうで白い光が見えるようになる。熱対策で使用開始した抗生剤「ザイボックス」による副作用だという。実にまぶしい。フラッシュみたいだ。 テレビのヤキソバのCMを見て、急に食べたくなったので、白川ナースにお願いして売店から買ってきて貰う。この無菌室にいると非常に丁寧に扱われるのがありがたい(笑)。ヤキソバはお湯入れから、お湯捨て、ソースの混ぜまですべて行なってくれるのだ。手元に届く頃には、食べるだけという大サービスぶりである。 |
昼過ぎ、血小板輸血を行なった際、輸血疹が出る。その後、呼吸と腹部が苦しくなり、酸素飽和濃度を測ると「91」(100に近いほど良い。通常は97〜99)。急きょ、酸素吸入を受ける羽目になった。 オレンジジュース、リポビタンDがおいしい。非常にさっぱりした味である。みかんの缶詰め、ハーゲンダッツのバニラもおいしい。冷たいのは大丈夫みたいだ。夜、勇気を出して赤いきつねを食べてみた。ヤキソバ同様、ダメだった。 夜、38度台の熱が出て、解熱剤「サクシゾン」を投与。熱はどうにか下がったが、午後11時、午前1時、4時の三度、滝のような汗をかいて着替えに大忙しとなる。ハンパな量の汗でない。 |
大量の白血球のおかげで口内炎の心配がなくなり、ツバも飲み込めず、言葉も言えないという最悪の状況は経験しないで済むことになった。また、痛み止めとして使われるモルヒネが体に入ることがなくなった。やっぱ麻薬は麻薬である。使わないに越したことはない。 |
顔や首筋が真っ赤なので、皮膚科に来てもらって組織採取をして貰う事になった。この検査により、赤みがGVHDによるものなのかどうかがはっきりする。GVHDは早く出れば出るほど良い。 夜、様子を見に来た白木先生が突然言った。「明日、無菌室を出て、8階の個室へ移ってもらいます。生着しちゃったんだから、もうココに居る必要ないですからねぇ〜」 |
無菌室を出る時は車イスではなく、歩いて出たかった。ところが、立ち上がると左足が痛い。足の付け根をゴムで強く縛りつけられ、足全体に血液が流れなくなったような痛みである。う〜ん、まずい。でも、不思議なのは足踏みをするとさほど痛まず、立ち止まるとジ〜ンと痛くなってくる。ならば、足の動きを止めなければいいわけで、そのようにして退出しようと心に決めた。ナースには足の痛みは内緒で。 午前11時。準備オッケーの合図で、それまで絶対越えてはならないと言われていたイエローラインを一歩踏み出し、楽しかった無菌室ライフは完全に幕が降りた。隣りの部屋で移植奮闘中の水谷さん(女性)に「頑張ってネ」と初めて声を掛けてみた。「ありがとう。頑張ります」の返事を背中に受けつつ、廊下へ出る。
夕方、小暮先生が病室に顔を出してくれた。 夜に入ると、解熱剤投与の決定ライン38度一歩手前で足踏みする熱が明け方まで続いた。ちょっと苦しかった。 |
白血球数が減ってきた。別に心配はいらない。生着後に使ったグランという薬で半強制的に白血球を増やすようにしていたために5000まで上がったわけで(もっとも通常はこれほど良く反応はしない)、グラン投与を止めると次第にまた減り始めるのだ。それが落ち着くと移植した造血幹細胞が自力で血液を造り始め、再び、上がってくる。 カミサンとドナー様にガラス越しではなく、直に面会。無菌室入室で一旦引き上げていた荷物を持ってきてもらう。自分の環境が移植前に段々戻っていくのが気分良い。 夜は大好きなTV番組「大間のマグロ5」を見る。夕方から38度まで熱が上がり、ムリかなとも思われたが、放送開始の午後7時には平熱へ戻り、体調万全で見る事が出来た。内容は今回も十分満足させてくれるものだった。 足の痛みがほとんど無くなり、トイレに行くのが苦痛でなくなった。これまでは尿器を部屋に置いて歩かなくても良いようにしていたが、今日からは外のトイレで用を足す事にする。が、それもほんのわずかだった。その後、オシッコの出が悪くなり、利尿剤ラシックスを使ったため、回数が頻繁になり、身が持たないということで尿器復活。 |
23日に一度予定したが、その後、赤みが消えたので中止になっていた皮膚の組織採取を行なうことになった。 今回は先生が来てくれる甘えが許されず、車イスに乗って1階の皮膚科外来へ。頭には毛糸の帽子を被り、口にはマスクをかけ、車イスという姿が、ひときわ重病人っぽい感じがして気恥ずかしい。 この組織採取、正確には皮膚生検術というのだそうで、今出ている皮膚の赤みがGVHDであることを確定診断するために、最も顕著な部位から約4ミリほどの皮膚をえぐり取る、というもの。一応、「術」と付くことから同意書への署名を求められ、何となく緊張気味になる。 処置室に通され、両腕、両足などをくまなく観察されて、右腕の上腕部裏から採ることに決定する。 どうでも良いことかも知れないが、先生の口調がものすごく柔らかくて安心できる(笑)。 夜、小暮先生が来た。 |
数字が低いとやはり呼吸が少し苦しい。つまり正常な呼吸がされていないので指先への酸素も、十分、行き渡っていないということなのだろう。29日に胸部レントゲン撮影を行なったが(結果は異常なし)、今日は用心を兼ねてCT撮影を行なうことになった。 午後2時、一ヶ月ぶりのマルク。白木先生が外来で忙しいということで、小暮先生がピンチヒッター。 午後4時半、CT撮影のため1階へ車イスで向かう。娘のCTには何度か付き合った事があるが、自分自身がCTを受けるのは初めてである。どんなものなのか興味があった。だが、特別、なんちゅうことはなかった。 |
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