第5回目の化学療法が終了して一週間。白血球が下がる様子を注意深くみてきたが、ついに1000台を下回った。 これにより、週一度のお楽しみにしていた、売店への買い出しが禁止。平日は外来患者がたくさん利用するため、白血球が高目でも遠慮しているが、今日は土曜日。外来も休診で人が少ないかと思って、ナースに伺いを立てたところ、無情にも「ノー」。マンネリ化の病院食からちょっとだけでも抜け出そうと、日曜日の夕食をストップして、スペシャル食(別に特別な食事ではなく、カップ麺とおにぎりの組み合わせ)にしてきたのだが、今回の売店出入り禁止令により、それがかなわなくなってしまった。 これまた楽しみにしていたお風呂(実際はシャワー浴)も指定された時間以外の入浴が禁止された。 |
12月に入ったとたん、雪がドッと降り、午前11時で58センチの積雪を記録。これは本来、1月中旬並みの積雪。12月上旬に50センチを超えて、これだけ降ったのは21年ぶりだそうで、さすがに全国的なニュースになっていた。 採血の結果がご覧の通り、3項目とも低く、益々、注意深い感染対策等が求められる。本日は血小板輸血が前もって予定され準備は出来ていたが、ヘモグロビンが低いことから、もしかして赤血球輸血も入りそうだなと予感していた。まもなくして、その予感はピンポォ〜ンとなり、通算11回目の「黄」と「赤」ダブル輸血となった。 お昼、仲間と足の筋肉の衰えについて話題になっていた時、松山ナースから、ある計画についての協力をお願いされた。私が毎夕食後に簡単なトレーニングをしている事を知っている彼女が、それを移植時にも行い体力データを取らせて欲しいとのこと。トレーニングとはいえ、ただ単に足の甲に1.5キロのオモリを付けて、ひざの屈伸左右とも40回ずつ、足全体の上げ下ろしも同30回ずつ、行なっているだけなのだが、それで十分だそうで、それならば別に特別なことをするわけでもないし、二つ返事で引き受けることにした。 というわけで、本日の自主トレはいつもより少し回数をアップしてみた。それぞれ10回上乗せして、やってみたのだが、これがまたハードだった。息切れと動悸、ふくらはぎの筋肉に張りを感じた。普段、何気なく歩いていることがどれほどの運動になっているかを痛感している。 |
にわかに我が病室がにぎやかになってきた。 引っ越し先は4階の無菌室。ここに入室する際の持ち込めるモノや注意点などで山田さんを質問攻めにしているのを聞いているうちに、自分も耳がロバになってしまって、いつのまにか割り込んでしまっていた。 赤血球バッグを抱えてやってきた田中ナースに自分のスケジュールがどのようになってるのか、ちょっとだけ尋ねてみた。まだちゃんと決定したわけじゃないと前置きして「クリスマスの頃にヒックマン術、4日から辛い前処置、12日に移植。よって、年越しを自宅でというのは無理っぽいわねぇ。心情的にはおうちに帰してあげたいけど」とのこと。 一方、山田さんもGVHDで再入院してから、まもなく2ヶ月。そろそろ退院の話も出てきた。この病室の顔ぶれが一気に変わり、少し寂しくなりそうだ。 ※名良橋さんが移植スケジュール通り、無菌室を脱出して一般個室に移動した。経過は良好で、とても元気があるという嬉しい情報。あとに続く者としては、心強い。 |
また髪が抜け始めた。 さて、移植のため8日に無菌室へ引っ越しをした神林さんのスペースに、大部屋からの若者(20代前半か?)が、その日のうちにやってきた。彼は既に移植が終わり、一度、退院したのだが、GVHDに見舞われての再入院だという。 こうして彼が来てから一週間が経った。これまでの会話は「おはようございます」のみだ。 命で思い出したが「2006年 今年の漢字」が「命」に決定したそうだ。これがまた、妙にジ〜ンとさせてくれる。今年ほど「命」の尊さというものについて深く考えた事がなかった。日本漢字能力検定協会が決定した背景には、いじめによる自殺などを考慮してとあるが、我々患者の場合は、自殺なんてとんでもない、まだまだ生き続けたいという「命」である。ひとつしかない命、無駄にはできない。 |
午前、息子が入院してきた。退院間近だった山田さんの場所にもしかしたら来そうな予感がしてたが、退院の結論が出ず、南側の日当たり良好な大部屋の窓側ポジションに入室した。ただ、のちほど聞いた話だと、同じ名字の患者は基本的に同室にしないルールがあるとのこと。投薬等の面で間違いが起こり得るためらしい。 今日はとりあえずベッドを確保したのみで、処置は明日からになった。スケジュールとしては、まず最初の5日間で白血球等を増やす皮下注射を肩から行い、たっぷり採取条件にあう状態になったら2日間で末梢血幹細胞を採るというモノ。一週間の入院である。 白木先生「やっと白血球が上がってきましたね。500で底を打って、これからはもっと上がってきますよ。26日頃にヒックマン術をやります」 |
ついに入院200日目達成。 昼前、休日回診に訪れた白木先生が「白血球の回復によるが、状況が許せば、年内に最後の外泊が可能かもしれないですね」と、予想ダニしなかった言葉が出た。もしかしたら、200日達成のプレゼントか?
しかし、この話も20日に覆され「外泊はムリ。このまま移植スケジュールに突入しましょ」となる。 ※山田さんがほぼ2ヶ月の再入院を全うして、めでたく退院。 |
330ccを2パック。初日の採取で既に移植に必要な分を達成していたが、最悪の場合に備えて、あと2回の移植が可能なほどたっぷり採ったとのこと(ちなみに最悪の場合とは、病気の再発による再移植。今のところ、このようにして貯めておいた細胞を使った事は無いらしい…ということは…あ〜、そうあって欲しい)。 これが出来るのは血縁者間移植だからこそであって、骨髄バンクを経由して採取すると必要量のみしか許されない。当たり前といっちゃ、当たり前だが。 無事に採取が終わったことを受けて、移植スケジュールが正式に決定した。 この日、テレビでは前日に亡くなった二人の話題でワイドショーがにぎやかだった。 |
13日の項で書いた「引きこもりの若者」と、ひょんなことから、会話することとなり、それによって、頭の中に支配的だったネクラな彼のイメージが完全に払拭された。 来月からの移植に備えて、看護婦さんにいろいろと聞いているのが自然と耳に入って、気になっていたらしく、彼のほうから「あのぉ〜」と言って近づいてきた。その後、なんと2時間以上もじっくり話し込み、彼とはいい友達になれると強く感じるようになった。 彼の言葉は衝撃的だった。 今は人と話したくてしょうがない。ただ、話しかけたくても勇気が出なくて、後ずさりばっかりして「あ〜、なんで声を掛けられなかったんだろう」と後悔してたが、今回、同じ病気で、同じ病室にいて、同じ移植方法(驚くなかれ、彼も親とHLA型が適合した珍しいケース)だと知り、お話をしたくなったという。 そうだったのか、彼を「人嫌い」だと決めつけてしまったのは完全な思い込みだった。 無菌室や移植中の状態をなんでも聞いてくれというので、今度は看護婦さんに変わって、彼を質問攻めにした。 前夜は消灯になってからベッドの中でなぜか急に寂しくなって、クククと泣いてしまったと白状した彼。 さて、TVのキャッチコピーだったか?雑誌だったか?で「Life is change」というのを目にして、すごくインパクトが強いなぁと感じ、頭から離れなくなった。 「人生が変わる」 ん〜〜、世間ではニュー・イヤーに向けてのカウントダウンが始まったが、自分のニュー・ライフは1月11日。 ※13日の項で彼のことについて書いた部分を削除しようかと思いましたが、それは自分だけに都合の良いズルイやり方であり、反省の意味も込めて、そのまま残すことにしました。 |
ヒックマンとは「酔っぱらった男」じゃありません……あぁ〜、さぶぅ〜。 朝、今までずっとお世話になってきたCVカテーテルを抜き取って、サヨナラ。久しぶりにフリーになったのもほんの一瞬だった。ヒックマン術に備えて、出血を抑えるための血小板輸血が必要で、左手首に点滴を付けることになった。手首はこれで2回目だが、とげが刺さったようにチクチクするのが、どうも苦手である。 「ハァ〜イ、グッ、パッ、やって」 移植となると、点滴や薬の数も量も増えるため、1ルートでは用が足りなくなる。おまけに食事が摂られなくなることから栄養剤も流さないとならず、2ルートで太いヒックマン・カテーテルが必要になってくるのだ。挿入もCVは病棟内の処置室で行なうのに対して、ヒックマンは別棟のレントゲン室で正確に大静脈にセットされたか、レントゲンのチェックをしながら、ドクター2名、ナース2名がチームとなって行なう、ちょっと大掛かりなものとなる。 予め、たくさんの経験者から情報を仕入れていたため、心配は全くしてなかった。 白木先生「ハイ、痛み止め注射をやりまぁ〜す」 あとはいろいろと処置したようだが、見られるわけでもないし、はっきり言ってよくわからない。 「ハイ、ちょっと強く押すけど我慢して!」 ずっと天井の一部を見ていた。
部屋に戻ると、皆さんから「お疲れ〜」の声がかかった。渡辺ナースから「ヒックマンが体にくっついて定着するまでは抜けやすいので、右腕を上げたり激しく動かさないよう注意してくださいね」と言われる。 夜、ベッドでTVを見ていると、やたらと眠い。ようやく薬が効いてきたか(笑)?早く眠ろうかと思ったが、結局は見たい番組があったため、いつも通りに午後10時に就寝。ちょうどその頃、痛み止めがキレて、チックチックし出した。 |
前日のヒックマン術部分がジンジンする。そんな中、カテーテルの計測が始まった。 右腕の動かし方次第で抜けたり、カテーテルそのものが多少重いために抜けることがあるらしく、目印を決めてメジャーで測り(体に入っている部分から、目印までの間)、長さに変化がないかどうかをチャックするのだ。 結果は17.4センチ。ちなみに体内に入り込んでいる部分は約18センチ。体に定着するまでには約一週間。ナースからは口酸っぱく「右腕、使わないようにしてね」と言われる。 歯磨きの時に、左手でやってみたが、うまく磨けない。特に口の左側を磨くのは至難の業。移植を控えて、口の中のどこかが清潔でないのは非常に怖いという意識が高く、辛い歯磨きとなった。 また、血小板が低めなので挿入部付近から出血したり、あるいは当分の間、体液が出てくることもあり良く観察しなければならない。1日2回、計測と消毒が今後も行なわれていく。 ついこの前、ようやく友達になった渋沢君に異変が起きた。 「やばいです」 オ〜イ、オイオイオイ。そんな事、言うなよぉ〜。何がやばいんだぁ〜? やばいなんて言ってる“ばやい”じゃなかろうが(笑)。 |
昼前、無菌室をカミサンと見学。今の病室は8階だが、そこは4階小児科病棟のはじっこにあった。広さは6畳より少し小さいくらいだろうか。この中にベッド、テレビ、小型冷蔵庫、シャワー設備、トイレ、洗面所が収まっているため、人間が利用できる床面積はほんのわずか。想像していたよりは明るくて奇麗な部屋だ。いや、逆に暗くて汚い部屋だったら無菌室とは到底言えないか?3歩もあればすべて用が足りてしまうので、運動不足になり、足の筋肉がみるみる落ちるというのもうなずける。 閉所恐怖症の人には耐えられない空間らしいが、自分は手の届く範囲にモノが揃っている環境が好きなので、ハッキリ言って、気に入った。 さて、その無菌室には、あの神林さんが入居中で、面会用廊下からガラス越しに彼を見つけて合図を送ったところ、おでこにアイスノンを貼っていたので、グロッキーになってるのかと思いきや、目を覚ましてくれて、なんとまぁ非常に元気よく、部屋の解説をしてくれた。本来、説明してくれるはずだったナースに成り代わって、患者の立場からの詳しいリポートを行なってくれた。食事もまだ口から摂れているそうで、孤独感について伺うと「全く感じない」という返事が戻り、シングルライフを思い切りエンジョイしてる雰囲気。 午後、14回目のマルク。前日、アクシデントの渋沢君はすっかり元気になった。 あとで田中ナースに「ちょっとごめん」発言時の状況を確認すると「最初は浅かったみたいで、少し深く刺した」とのこと。移植前のマルクもこれで終わり。次回は2ヶ月先か?当分はないだろう。
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マルク痛とヒックマン痛の複合痛で少し辛い。横になる時に胸を張るような態勢になると「ウグッ」、向きを変えると腰が「ウグッ」。気をつけたつもりだったが、胸の消毒時、若干の出血が確認され、処置をしてもらう。知らず知らずのうちに右肩へ負担がかかっていたようで、肩凝りが激しい。首筋がビシッと硬くなっている。ほとんどの人もそのようになっているそうで、ひと安心。
午後、薬剤部からいつもの薬剤師さんが、前処置で使う抗がん剤の説明に来る。 移植前の最後の大きな壁である。これを受けない限り、先はないのだから、甘んじて受けるしかない。願わくば、副作用が軽くあって欲しい、ただそれだけ。 この日は仕事納めの日。個室−大部屋間の引っ越しなどが慌ただしく行なわれ、いつもより病棟内に活気を感じた。 |
ついにこの日を迎えてしまった。大みそか。世の中では年末の帰省ラッシュでにぎやからしいが、こちらの病棟では外泊ラッシュや年末退院が相次ぎ、それ相当のざわめきに包まれた。トイレに備えられているローヤル社製の貯尿袋が手付かずのまんまなのが外泊中だというサインになり、それがかなりの数であることからも外泊者がかなり居ることがわかる。残ったのは3分の1ほどだろうか?
たまには違った年越しをするのも良い記念だと(ウウウ、決して強がりじゃないぞぉ〜:笑)、気持ちを切り替えて1日を過ごすことにする。
まず昼は「年越しソバと茶碗蒸し」と記入され、オオ〜、カタブツな病院食にしては、時節にふさわしいメニューではないか。普段でもソバが出る事はあるのだが、配膳中にツユの温度が下がってしまうのを嫌って、ザルソバに変えられてしまう。 昼前、今年最後の採血の結果が届く。
「お正月に出血しても困るのでPC(血小板)を、そしてあと、貧血を起こしてもまずいんで、MAP(赤血球)も輸血しましょう」「あい」
病院側も精いっぱいの患者サービスを行なっているのが嬉しい。1食当たり250円の予算では大赤字だろ。このサービスに報いるためにも、年明け早々の移植では頑張りたい(オイオイ、この程度のことで、頑張るか?ジブン)。 いつもであれば、わが家は保守的なので、紅白歌合戦を見て、新年を迎えるのだが、今日は自分一人しかいない。自由に過ごしていいわけだから、格闘技の「K-1 Dynamite!!」を見ることに決定。6時から11時までこれを見れば、ちょうど適当な時刻になる。紅白を見ずに過ごす大晦日なんて初めてだ。 予め、用意したノンアルコールビールを手に取り、プルタブをプシュッと引っ張った。オオオ〜、いっちょまえに泡立ってくるではないか。さすがにアルミ缶そのまんまに口を付けて飲むのはナースさんにも誤解を与えかねないので、紙コップに注いで飲む。 こうして、史上最悪だった2006年の幕は閉じられた。グッバイ2K6、ウエルカム2K7! |
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