酸素飽和濃度が90〜93と低く、ちょっぴり不安に思っていたその時!ドクター白木登場! 酸素吸入もスタート。すっかり退院の事は考えられない事態になってしまった。 |
病気とは関係のない話だが、私の大好きなアメリカメジャーリーグが開幕してしまった。 昨年の入院したての頃は、いくらなんでも4月には家のTVで見られるだろう(もっとも当時は生きてココを出られないと覚悟もしていたが…)と簡単に考えていたが甘かった。 この頃から、ひどかった咳があまり気にならなくなった。先月末から始めたブイフェンドが効いているようだ。 |
入院して2回目の不在者投票を行なう。前回は参議院選挙、今回は県議会議員選挙。6月には県知事選がある。まさかこの投票も院内で・・・・あぁ〜、やだやだ、考えるのはヤメにしよう。
松山ナースが新人ナースを連れて朝の挨拶に来る。今野ナース。Aチームの新戦力として多いに若い力を発揮して欲しい。なお、春の人事移動等で阿保ナースは他科に移り、大林ナース(旧姓)はCチームへ移動となり、また昨年度で退職した方もおり、多少、雰囲気が変わった。 6日(金)〜8日(日)の週末、見通しのたたない先行きにイライラが募り、非常に気分が沈んだ。大部屋にいれば仕方のないことだが、同室患者の排便の匂いが拍車をかけて今まで経験のないストレスを感じて苦しむ。口の中はカラカラに渇き、唾液も出ないので食欲が不振。おまけに食事時に匂いが混じる最悪の事態に相当パニックになった。 |
ドライアイの状態をみるため眼科を初受診する。視力検査、眼圧検査のあと、ドライアイ検査。この検査が結構、拷問に近いものを感じる。両目のはじっこにリトマス試験紙のようなモノを入れられ、5分間、そのまま目を開いたままにする事を強いられる。まばたきをするたびにチョウチョのようにヒラヒラするのが、はた目には可笑しく見えているみたいで少し恥ずかしい。 結果は右目が「10」、左目が「6」。10以上が良だそうで、左が若干のドライアイかとの診断。角膜は何もキズがなくて奇麗なのでそれほどドライアイを心配するほどではない、とのこと。 |
免疫抑制剤「ネオーラル」が先月の15日以来の再開。朝30mg、夜30mg、合計一日60mg。酸素飽和濃度は相変わらず95を切る状態で、呼吸も苦しい。 胸部レントゲン撮影を行なったが、前回との差異は認められず。本日からネオーラルを始め、その効果を見極めるために翌週の16日にCT胸部撮影を行なうスケジュールを組む。口中の渇きも依然としてあるが、ネオーラルを始めてから鼻水が出るようになり、若干の潤いが出てきたかと少し嬉しくなる。 |
白木先生、いろいろ考えた揚げ句にステロイド剤「プレドニゾロン(我が病棟では短く詰めて、プレドニンと呼称している)」の使用を決定し、夜から10mgの内服が開始。これを一日3回、合計30mgを投与していくという。ずっと前から「使いたくない、使いたくない」と言っていたプレドニンだが、呼吸が整わないし(特に吸う時に苦しい。深呼吸が出来ない)、だるさのため日中でも寝ていることが多くなり、食欲も落ちてきて体重が減ってきていることなどを考慮して使用に踏み切った模様。 午後、酸素飽和濃度が低いため、股関節からの採血を行なう。今回で3回目。もう終わりにしてぇ〜。 |
体重が大台を割る。入院当初、68キロあった体重だが、本日、喜んでいいのか、大変なことになったと騒いでいいのか、59.7キロと初めて60キロを切ってしまった。今までのほうがありすぎて、メタボリック症候群の心配すらあったので喜ぶべきかもしれない。多少の名残はあるものの、へこんだ腹を見ると我ながら痩せたなぁ〜と思う。 考えようによっては貯金を使い果たして、1からのスタートというベストな状態になったのかも。 血糖値の測定が始まる。プレドニンの使用により血糖値が上がるため、朝夜の2回、指の先端にある装置をあてがいパチンする。すると細い針が飛び出してジンワァ〜と血が出てくる。それをまた別な装置で吸い取ると血糖値がデジタル表示される。朝154、夜194。当初、この数値がどうなればどんな処置になるのか無頓着だったが、200を越えるとインスリンをやらなければならないと聞き、慌てて糖分の摂取を控えるように注意する。自分にはどうもあの腹の肉をつまんでインスリン注射する姿が受け入れられない(結局はこの血糖値測定もずっと200以下に安定していたので、わずか5日間、18日で終了となる)。 病院食に飽き飽きしてきたので、今日から昼をストップして自前昼食にしてみる。自分はラーメン党なので売店の陳列棚前でたくさん悩んだ末、マルちゃんの「もやし中華そば(醤油味)」を購入。加えておにぎりも一個。 さて、この日の夜、変な夢を見た。場面は夜中の真っ暗な病院の廊下。なぜか隣りに某ナースが一緒にいた。 |
夜、ザイボックスの取り付けに珍しくBチームからタレントの石川亜沙美に似た若手美人ナースの鈴山さんが来る。取り付けの際にカテーテルの通りが良好かどうかを確認するのだが、非情にも注射器の柄が押し込まれない。そう、トラブル発生である。近ごろ、点滴の量が少なくなってくると、点滴の水圧が体内の血液の圧力(つまり血圧)に負けて逆流し、それが凝固してカテーテルが目詰まりを起こす傾向にあったのだが、それが起きた。
このような場合、ヘパリンという薬をカテーテルに通して溶かす処置をすると、かなりの確率で復活するのだが、時として困難を極める場合もある。今回はまさにそのケースであった。鈴山ナースにはとんだ災難である(笑)。 ナースからすればカテーテルの詰まりは自分達の責任でもあるため必死である。万が一、復旧しなければ、このルートを諦めて、新たにCVカテーテルを入れる小型の手術を行なうか、あるいは末梢血点滴(いわゆる腕に刺す点滴)を行なうことになる。退院が近くてカテーテルを外すメドがたっていればココで抜いてしまうのも簡単だが、まだ見通し立たずの状態ではどちらの手段も選択しにくい。 ヘパリンによる溶解が厳しいと判断した佐藤ナースは白木先生に連絡した結果、血栓溶解剤「ウロキナーゼ」使用の許可を取り(医師の許可が必要)、最後の望みをかけて再び注射器のポンピングに挑んだ。この薬は血小板の数が少ない患者にはなかなか使えないのだが、今の自分には25万個あまりのたくさんの血小板があるため許可が降りたらしく、佐藤ナースも「これを使えばおそらく…」との期待感を持って処置にあたる。 「ん・・・・厳しいですね〜」 その時、ホントに少しだけククッと柄が入ったのが見えて「あっ、入ったの、今、見えたよ」と言ったと、ほぼ同時に柄がスーッと押し込まれていった。 「通りました、通りました。元に戻りましたよ、きゃぁ〜、やったわぁ〜」 いや、ホント、涙が出そうになるほど嬉しかった。長く感じられる1時間だった。自分自身、一日でも早く退院したいと思っているのに、今ココでまたカテーテルを入れるなどというのは御免被りたいと思っていただけに嬉しかった。この件以来、逆流にはとても神経質になった。 ※本日、約13ヶ月の長い入院生活の末、神林さんがお元気に退院しました。既に還暦を過ぎたご年配ですが、若者顔負けのド根性で逆に我々が元気づけられるほどパワーのある方でした。喜ばしい退院ではありますが、病棟内が静かになってしまい、ちょっと寂しくなりました。今後は外来でお会いできることを願っています。 |
いつもはベッドもなくガランとしている左隣りの空間に、新たなベッドが運び込まれた。毎度のことなので事の事態は良くわかっているが、改めてナースに聞いてみる。 「新しい患者さん?」「うん、隣りの部屋にホントは入るんだけど、ちょっとの時間、こちらに待機させてね」 しばらくして現れた患者さんを見てビックリ。昨年7月末に入院してきて約4ヶ月ほど一緒にお付き合いした堂本さんだったのだ。 CT撮影を行なう。呼吸がまだ浅く、酸素吸入を受けるとまもなく安定する。やはりまだ肺の機能は低いのか。白木先生から、もう一回、肺の内視鏡検査を行ないたい旨の話が出る。初回は思ったほど辛くなかったので、やるというならやぶさかではない。けど、やらなくて済むのであればやらずに済ませたい。とはいえ、もう先生の心の中は読めていた。「肺内視鏡はやる!」と既に決めているのは表情でわかる。 |
堂本さん、何事もなく、朝早く、無事、退院。あぁ〜、また独りぼっちになってしまった。
午後、呼吸器外科の先生が来る。「20日(金曜日)に肺内視鏡の検査をやりたい。左胸奥まで入れて、組織を採取したいと思う。これにより肺炎が起こる場合もあるが、注意深く観察するので安心して欲しい」と言われる。 就寝時、仰向けに寝ても呼吸が楽なことに気付き、嬉しくなる。今までにも何度か試してみたが、途中でつっかかり咳込んでしまって、どうしても仰向けで眠れなかった。それが、どうしたことか、つっかかりもなく呼吸が続くではないか。そうこうしているうちに、同室の上山さんの輸注ポンプのブザーが鳴った。薬が終了した時に鳴るピッピッピッという音だが、一向に起きてナースコールする気配がない。老婆心なことはしたくないが、もう5分以上経過していることから、自分がコールボタンを押してナースを呼んでみた。スタスタスタと廊下を走ってきたナースが自分のところへ来たので、指で「あっち」を差して上山さんのコール代理だとジェスチャー。ブザー音は止まり、礼を言いにナースが来た。寅さん風に「いいってことよ〜」。 でも、これが明日も明後日も起こるのかな?と少し心配になる。だが、この日以降、起こらなくなった。自分でも自分の輸注ポンプのブザーが鳴っていると知らず(確かヘッドフォンを付けていて気がつかなかった)、しばらく慣らし続けた事があるだけに上山さんを責めるつもりは毛頭ない。みんな、助け合わなくちゃ!・・・のはずなんだけど。 |
肺内視鏡検査2回目。 初回の時は散々、動揺して、あれやこれやと初めて受ける検査について考えてしまったが、意外にも楽で拍子抜けしたので、これに自信を深めた自分は2回目を非常に楽観していた。 朝食は抜き。腹はグーグー鳴る。6時の起床と共にすぐに洗面と歯磨きを済ませて、いつでも検査のお迎えが来ても良い状況を作った。酸素飽和濃度も98。なんの問題もない数値である。事実、呼吸はスムーズで苦しさは全然ない。 午前9時。ハルシオンでまず下準備。お年寄りはこのわずか3〜4ミリほどの小さな薬だが、足腰がフニャフニャになるほど効く方がいて、ナースからすると結構、注意を払わなければならないのだそうだが、自分はまだ若い!ほとんど効果が自覚出来なかった。それでも一応、検査室までは森岡ナースに付き添って貰う。 10時30分頃?いよいよ検査台の上に移動し、鼻に酸素吸入(やや多めの3リットルでセット)を取り付けられ、楽観していたはずの「地獄の内視鏡検査」は始まった(笑)。 「そろそろ終わりますよぉ〜」「ハァイハイハイハイ、お疲れさま」 時計を見る。午前11時10分だった。 終わった。やっと終わった。先生にひと言、言わずにいられなかった。「今回はキツかったすね〜」 少しの間、検査前まで寝かせられていたベッドに戻って休息する。鼻が使えないのでゼーゼーハーハーと口で大きく呼吸する。マラソンランナーがゴールでもしたような呼吸だ(今どき、ゼーハーしないか?)。 白木先生「今日は苦しかったみたいですね。お疲れさまでした。来週月曜日(23日)にレントゲンを撮って、結果が良ければプレドニンを減らしたいと思います」 |
移植から100日が経った。もっと早く退院する自分の予定だったが、ここまで病院にいることとなってしまった。幸い、状態が悪くないのでポジティブな日を送れるようになっている。
前日の肺内視鏡検査による感染症を警戒し、抗生剤「マキシピーム」が投与される。少しだけゴロゴロした咳が時々出るが、血たんが出ることもなく、良好である。 大きなあくびが出た。つっかえもなくグーッと深呼吸してのあくびは、しばらく出来なかったことだ。確実に肺の機能が回復しているのがこれでも実感できる。あれほどうまく出来なかった深呼吸が、こんなにも簡単なモノだったのかとおかしい話だが、不思議と考え込んでしまう。でも嬉しい。鼻水も適度に出るようになり、潤いが取り戻されつつあるようだ。すべてが良い方向に進んでおり、気分も上々! 消灯9時。すぐに寝るわけではないが9時半頃には布団に潜る。すこやかな眠りに付くのだが、生理食塩水のおかげで起こされる。かなり寝た感じがあったので時計を見た。あらら、まだ午後12時だった。すっかり夜中かと思ってた。近ごろ、この傾向が強い。寝てまもなくの初回のトイレが、ほぼ午後12時。これで寝た気分になれているのだから、この先まだ6時間も寝られると思えば得したような気がする。でも、そうはいかずこのあとも2時間おきぐらいにトイレ起床させられてしまうのでした。 |
午後、胸部レントゲンを写す。この結果次第では何かしらの動きが起こる。 夕方、白木先生が回診に訪れた。 「レントゲン写真ですが、かなり良くなってますね。今回の検査では細胞もしっかり取れたので、ほぼはっきりしました。感染症の疑いは無くなりました。肺のGVHDだと確定したいと思います。明日からはプレドニンを減らして、体の様子をみて、状態が悪くならなければ『外来』でということにしましょ」 やったぁ〜!ゴールが見えたぞ! 自分なりに建てたスケジュールでは、五月中旬か下旬くらいに退院、である。え?なんでGW前じゃないのかって?いやいや、どうせGW前に出たところで、人込みに出ることは出来ないし、家でじっとしているよりは、病室のベッドで大リーグ中継をじっくり見て、三食昼寝付きの暮らしをしていたほうがいい。平日と違って、病棟内も穏やかでのんびりしてるんだから、そのほうがいい。 さて、白血球数20300個という過去最高の数値結果が出て、松山ナースがちょっと心配して先生に確認してくれたところ、どうやらプレドニンを始めると増える事が多く、このようなケースは異状ではないとのこと。プレドニンを始めて10日が過ぎ、白血球に大きな変化がなかっただけに心配したわけだが、まずは一安心。 |
どうせヒマなんで空いたベッドを数えてみた。なんと60床中、18床も空きがあるではないか。今、この病棟には入院患者が42人しか居ない!この前の年末年始でさえ、こんなことはなかった。やっぱ人の動きが活発化するGWは患者を病室に閉じこめるより、少しぐらい悪くても出してしまったほうが健康を取り戻すにはいいのかもしれない(大笑)。陽気ではあるがまだ寒いのにな。 などと書くと、グチに聞こえるかもしれないが、グチるほどブルーにはなっていない。ゴールが見えてきたからだ。余裕から出るコメントとでも思って貰おう、ハハハ。 ここ2〜3日でかつての仲間が外来受診を終えたあとの面会に来てくれた。久保、笹原、上林、鈴元さんら。皆さん、お元気で何より。もう少しで自分も外来の仲間になるからよろしくとお願いする。 病院食の量を「普通」にしてもらう。今まで食欲があまり無かったため「半分」で通し、もし足りない分は売店からの調達で補給していたが、近ごろ、プレドニン効果からか、腹がよく空くので売店の買い物も金額が膨大になってきた(笑)。これで、すべては病院食でまかなえると安心して、夜の御飯を待った。手元に届けられ、丼のフタを開けてビックリ。フタで押し固めたのではないかと思われるほどの山盛り。見た瞬間から腹いっぱいになったので、次食からは「普通」を「小盛り」にしてもらう。これでちょうど良かった。ナースに「あの量を食べる人はいるの?」と尋ねると「いるんですよねぇ〜」とのこと。ただ、ほとんどの人は多いと思うそうだ。 |
午前10時頃から1時間、輸注ポンプでいつも入れている抗真菌剤「ファンガード」が昼を過ぎても取り付けに来ない。(滅多にないけど)時として、忘れる場合もあるので、ナースに聞いてみた。
「あっ、先生から聞かされてなかったの?今日からナシになりました」 エエエエエ?????ナシになった? かつての仲間は皆、このような感じで退院していったっけ。最後のほうにはなぁ〜んにもすることがなく、ヒマがっている人が居ました。今、まさに自分もそのモードに突入したわけで、退院のカウントダウンに入ったのかな?と嬉しくなってきた。いやいや、油断大敵、火がボーボー。残りの入院期間中は、室外ではマスク着用厳守、手洗いしっかり、早寝早起き、まじめに過ごさなくちゃ。 |
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