2006年 9月3日 入院95日目  胃痛にキリキリ舞い
白血球 ヘモグロビン 血小板
900個 8.1g 2.2万個

 明け方、窓の外でフラッシュが何度も光る。ピカピカピカ!レースのカーテン越しに稲妻が良く見える。光ったとほぼ同時にゴロゴロゴロ〜。雷の被害に遭った方にはまことに申し訳ないが、写真を撮りたくなる光景が何度も繰り広げられた。

当日、担当のナースは、朝の挨拶で
このネームプレートを患者に渡す
 午後からは、なにやら胃袋がキリキリ病み始めた。
 実は午前中から少し痛んでおり、よほど白木先生に伝えようかと思ったんだが、あの悪夢(胃内視鏡検査)が甦り、怖くて言えなかった。
 背筋を伸ばすと病んでくるため、猫背になってしまい、実に格好が悪い。

 しかし黙ってもいられず、ついに告白。
 先生曰く「抗生物質等を投与するため、どうしても胃の粘膜がやられてしまう。なるべく消化の良いモノを食べるようにしてください」
 カメラの話が出なくて、かなりホッとして「ハイ」と返事が出たが、さてさて「消化の良いモノを食せ」といっても、こっちは病院食オンリーの身分。「選びようがないジャン!」とツッコミを入れようとしたが、言わな・・・言えなかった。

 数多い内服薬がある中で更に胃薬「マーズレーン」が追加になった。この薬のほかに、自分で牛乳を買い、朝晩200ccを飲んでもみた。しかし、これらの効果もあまりなく、夜は眠れなくなってしまったので、ナースより眠剤アモバンを出してもらった。この眠剤、効き目バッチシで、あれほどキリキリしてたのをすっかり忘れるぐらい、グッスリ眠らせてくれた。


 2006年 9月10日 入院102日目  怖い注射針の話
白血球 ヘモグロビン 血小板
700個 8.7g 2.3万個

 朝の回診で白木先生が私を見るなり、驚いた様子で
 「どーしたの?」
 いや、どーしたの?と言われてもなぁ〜、ただ単に朝晩が冷え込むようになったので、ツンツルテンの頭にヘッドバンドを巻いただけである。
 「あ〜、ちょっと寒いかな?と思って、つけてみました」
 「なぁ〜んだ、びっくりした。熱でも出たのかと思ったよ」
 早とちりしないでくれぇ〜!

 4人部屋の中で2人が外泊中なため、山田さん(50台前半)と二人きりになった。
 彼は血縁者からの移植が終わり、いわば「一仕事終えた状態」。ベッドが隣りなので移植の時の情報をたくさん聞き出して、仲良くなった。彼も釣りが大好き。ジャンルはちょっと違うが、話は大いに合った。盛り上がっていたところへ、石坂ナースと堂本さんが加わり、今度は注射の話になった。

 山「マルクの針って太いんだよな」
 私「えっ?ホント?怖いから見ないようにしている」
 石「確かに太いですよ。あの針は使い捨てじゃないってこと、知ってた?」
 堂「へぇ〜〜、ホントかよ。じゃぁ、使ったあとはどうしてるの?」
 石「ちゃんと消毒処理をして、刺さりも悪くならないように研いでます(笑:ホンマかいな?)」
 私「ひゃぁ〜、研いでる姿、あんまり見たくないなぁ」
 山「聞いた話だが、先生がそばについてインターンにマルクを指導してた時に、刺した途端に怖がってギブ
   アップしたヤツがいて大慌てしたらしい、その際、針が外れて体に残ったとか…プルプル〜って」
 堂「あっぶねぇ〜なぁ。そんなヤツは医者になって欲しくないわな」
 山「それより、髄注(ずいちゅう)は怖いどぉ〜。なにしろ、めちゃ痛い」
 私「え〜〜、麻酔しないの?」
 石「あら、採血の注射する時、麻酔やりますか?注射ですもん、麻酔なしです」
 山「体を丸められて看護婦に押さえつけられて、背中にブスッとやられるんだぜぇ〜〜、へっへっへ」
 私「ぎゃぁ〜、これ以上、話さないでケロ〜。聞きたくなぁ〜い」

 夜、両手指先がシビレてきた。これはオンコビンの仕業に間違いない。3回目の化学療法に入る時、例のアニメキャラクターみたいな声を出す薬剤師のお姉さんにオンコビンの説明で「まれにシビレの出る患者さんもいます」と言われたっけ。自分は、その“まれ”の人間だったのだと理解した。
 しかし待てよ、ほとんどの人がなるといった「ラステットによる下痢」は、全然平気だった。

 抗ガン剤だと聞いて、それを点滴スタンドにセットしただけで急に吐き気が出る人もいるという。自分は幸いにもそのようなことがなく、ラッキーかなと思っている。


 2006年 9月12日 入院104日目  ドナー登録の長男が“誰か”と適合
窓側のベッドは気分が良いです
 先月末、骨髄バンクにドナー登録した長男の元へ、早速、適合者があった事を伝える通知が来たことを渡辺ナースに話してみた。
 「万が一だけど、お父さんと適合している可能性がないわけでもないよね、今度、白木先生に話してみるね」という。とはいえ、入院の時、先生とは親子で適合する事はまず無いと話し合っていたため、またまたぶり返したように渡辺ナースの口から言ってもらうのも申し訳ない。
 よって、翌13日、自分のほうから先生に言ってみた。

 「息子にドナー適合の通知が来たのですが、先生が患者申請した時にリクエストした『迅速コース』でお願いできないかと、妙に共通点が多くて、ちょっと気持ち悪いんですよね」
 「ん〜〜」

 先生の言いたいことはわかっていた。データも何もない状態ではコメントのしようがない。

 ※迅速コースとは、移植を急ぐ患者のために設けられたコースで、標準コースだと半年近くかかる移植を目標値80日に設定して行なうというもの。私が患者申請した時はまさに「迅速コース」で申請した。
 また患者は適合したドナーを5人まで確保することが出来る。この中から更に精密検査して、最も移植条件の良いドナーを最終的に選び、同意を求めていく。


 2006年 9月13日 入院105日目  麻雀ゲームに没頭
時には麻雀もいと楽し
 腰が痛い。寝返りをうつのが辛いほど、痛い。救いなのは起き上がると、何も無かったように痛くなくなることだ。

 たまにはいいかなと、麻雀ゲームをネットからダウンロードしてみる。一時期は、任天堂のファミコンで麻雀ゲームをよくやったもんだが、やがて飽きがきた。それ以来だろうか? 解凍して、早速、遊んでみる。オオォ〜、なかなか手ごわいではないか? あっ、そんな安い手でロンするか? ずるくない?それって。 あぁぁぁ〜〜〜、ハネ満振っちゃったぁ〜〜(泣)

白血球 ヘモグロビン 血小板
1000個 8.7g 3.7万個

 2006年 9月22日 入院114日目  早く外泊させてぇ〜〜
白血球 ヘモグロビン 血小板
1800個 8.1g 3.2万個

今回の外泊では龍飛崎へドライブ
 前日で抗生剤ケイテンと抗菌剤ファンガードをストップし、白血球も上がってきたので外泊の許可が下りる。
 約40日ぶりの外の空気が吸えると思うと、ワクワクする。
 少しでも早く出たいのだが、前回同様、壁が待っていた。

 朝の回診時、ニヤニヤする自分に先生の言った言葉は以下。
 「用心するに越したことはないので、血小板に加えて、赤血球も輸血してから外泊してください」

 ひゃぁ〜、まいったなぁ。ということは、血小板に1時間半かかり、赤血球に3時間だからスムーズにいっても4時間半?病院への輸血バッグ到着が、早くて11時過ぎだから、あらら、5時ごろになっちゃうジャン!ま、しょうがないか?今日は家にまっすぐ帰って、ビールを飲むだけにするか?

 名良橋さんの移植が11月中旬に決定。あ〜、先を越された〜。でも、おめでと。頑張ろうねぇ〜。

 ※笹原君、15日に再入院するが12日間の治療で退院。


 2006年 9月26日 入院118日目  そっちの世界とこっちの世界
 朝食を食べ終えた時、廊下が急にバタバタと慌ただしくなった。普段、笑顔を絶やさないナースが真剣な表情で、ある部屋に入っていく。その部屋とは私のいる部屋のすぐ隣り、移植のために使われる準無菌個室である。

 大掃除でもしない限り、開け放たれることのないドアが全開し、机や椅子などが廊下に搬出され、ドアの前にはついたてで目隠しされた。もう誰もが大変な出来事が起きているとわかり、沈黙が走った。

 医師が二人入り、懸命の心臓マッサージが始まった。壁越しに緊迫したやり取りが聞こえる。グッ、グッ、グッという一定のリズムで繰り返される音が良く聞こえ、まもなく駆けつけた家族の叫び声が加わった。

 「帰ってこい!帰ってこい!」「そっちさ行くな!」「○○○!、こっちさ戻って来い!」

 約1時間。果てしなく続くと思われたマッサージがピタリ止まった時、叫びは大きな嗚咽に変わった。
 情報は乏しいが、まだ若い患者だったらしい。妹が泣いている。母も泣いていた。女の声がこだまする。

 自分の周りには退院する人が溢れ、信頼して治療さえ受けていれば、その仲間になるものだとばかり思ってた。
 でも、現実は違う。生と死の狭間にいて、我々は治療を受けているのだ。どうにも出来ないケースもあるのだと今回の件で頭をガツンとやられた気がした。部屋の皆も大いに動揺した。
 消え往く命をこんな形で目の当たりにするとは思わなかった。


 2006年 9月29日 入院121日目  二週連続外泊

 先週、外泊し、今週も外泊することになった。
 この病気は「治療10日+経過観察30日」といったパターンが多く、このパターンの間が外泊のチャンスとなる。今まさにこの時期であることから、山田さんが「可能かもよ」と、私をそそのかしたのである。
 ただ、直接、先生に言うのも気まずかった。と、そこへ阿保ナースが来たので「阿保さぁ〜ん、今週も出たいんだけど、先生はいいよって言うかな?」と聞いてみた。すると「あ、そう。私のほうから聞いてあげる」と返事。

 そんないきさつがあって、オーケーが出たのだった。白木先生に限らず、血液内科の先生達は外泊を可能な限り積極的に許可するらしい。なにせ8ヶ月近くの長丁場。患者のストレスを蓄積させない良いクスリは「外泊」なのである。
 今回も血小板の輸血が終わり次第という条件付きだが、全く不満はなく、昼の1時には病院の外に出られて満足。

 なお、山田さんが翌30日にめでたく退院となり、あいにくその時にお別れできないのが少し心残りだった。しかし、それもほんの3週間弱で舞い戻ってくるのだから、あまり深く考える必要もなかった(笑)。

白血球 ヘモグロビン 血小板
4200個 9.0g 3.2万個

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