2006年 11月1日 入院154日目  また糸切れ

 朝の回診で、候補者5名の中から1人に絞り込み、その方に最終同意取り付け依頼をしたと、白木先生から報告を受ける。相手は同意してくれるだろうか?神にも祈る気持ちで念ずる。

 CVカテーテルの糸が先月2日以来、また切れる。今回は1ヶ所のみ。処置にあたった間口先生が「どうしよっかなぁ、麻酔うつの?1ヶ所だけだから麻酔、やんなくてもいいんだけどねぇ」という。オイオイオイオイ、麻酔やんないと痛いっしょ?
 「麻酔の注射1回分キューンってのと、麻酔やんないで縫ってチクリ2回分ってのと、どっちがいい?」
 麻酔ナシの恐怖心から答えは紛れもなく「麻酔、お願いします」だった。


 2006年 11月2日 入院155日目  息子に最終同意通知
 息子に最終同意依頼の電話が来た。なんとも微妙なタイミングである。不思議なことに、採取するのは自分が入院している病院ではなく、他市の病院でお願いしたいという。なぜなんだろう?患者とドナーが同じ病院になるのはまずいからと絶対一緒にしないそうだが…。
 また採取時期が年明け早々の1月中旬。これもまた白木先生から伝えられていた私の移植予定時期と非常に近い。なんだか非常に臭くなってきた。
白血球 ヘモグロビン 血小板
2000個 10.3g 5.5万個

 2006年 11月13日 入院166日目  起きた奇跡 新たな局面に
白血球 ヘモグロビン 血小板
3200個 7.9g 2.0万個

 外泊から前夜戻り、点滴を繋ごうとしてトラブル発生。入院以来、何度か詰まりを起こしていたCVカテーテルがついに復旧不能になってしまった。ベテランの渡辺ナース(ベテランとはいえ、まだ非常に若い)の懸命の復旧作業にも関わらずダメで、一夜明けたこの日、CVを外して、しばらくは手首に点滴を繋ぐことになった。

 朝一番で抜くと言われ、少し驚きつつ処置室へ入った。麻酔は無いと言われ、益々、怖い気持ちでいたら、あれっというぐらい簡単に取られてしまい、拍子抜け。自由になったと思ったら、午後には早速、血小板を入れないとならず、手首から繋がれてしまう。これがまた痛い。少し動いただけなのにチクチク来る。ベッドの空いている側に点滴スタンドを置くため、利き腕の右に刺したのも辛い。

 将来の看護師さんを送り出す保健大学に通う学生の実習が始まった。今までにも頻繁に行なわれており、その様子を第三者的に見ていたが、今回は自分に一人の学生を付けたいと依頼があったのでオーケーしてみた。
 保健大の立川先生に伴われてやってきたのは、川崎さんという3年生のお嬢さん。ウチの息子と同じ年齢。1年の時から実習は経験済みだそうだが、初日のせいか表情が少し硬く見えたので、雑談してほぐそうとしてみた。
 私に対しての主な処置は血圧や脈拍、呼吸数などの基本的な測定など。他はナースさんにくっついて歩いて、じかに現場の空気を感じたり、立川先生による授業が院内で行なわれたりする貴重な八日間である。

 夜、息子の最終同意確認が同じ院内の一階外来でカミサン同席のもと、行なわれた。そちらは小暮先生の担当である。カミサンは、夫が骨髄を必要とする病気になってしまったので、息子がドナー登録したが、まさかココまで話が進展するとは思わなかったと言い、冗談でも息子の型と夫の型が合うような事があれば、どれほど嬉しいかを伝えたという。

 それからわずか1時間後、この話が本当になるんだから、世の中わからない。

 夜8時、白木先生がすっ飛んで来た。
 「息子さんがドナーであることがわかりました。よって、バンク経由の移植はヤメにして、今後は血縁者間移植ということで進めていきたいと思います。移植方法も骨髄ではなく末梢血になるかもしれません」

 驚いた。とにかく驚いた。
 兄との4分の1の高確率適合が夢と散り、日本のどこかにいる私と同じHLA型人間探訪の旅に出て歩いた結果、その人は同じ屋根の下に住む息子だったという話を誰が信じるか?


 2006年 11月15日 入院168日目  CV挿入、無事完了
手首からの点滴は痛いッス
 朝、採血に来た松山ナースが騒いだ。
 「あれぇ〜、布団カバーに血痕が付いてるぅ〜」
 手首に刺した点滴から少しずつ出血していた。前日から、その部分をジッと見ると、ジワァ〜っとにじんできていたので、こうなりそうな事は予測していた。一刻も早く外したいものである。午後にはCVカテーテルの挿入が行なわれるので、それまでの我慢だ。

 ただ、数日前に同室の池谷さんが同じくCV挿入を行なおうとしたが、どうやってもうまく静脈に入らずに断念した経緯を聞かされていた。自分はどうかと、やや不安を感じたが、一発で的中させ、20分ほどで無事終了。血管注射などでも良くあることだが、患者と医者、あるいは看護師の相性みたいなものがあって、うまくいかない時というものは何をやってもダメらしい。

 このあと、1階に下りて、レントゲンを撮り、しっかり静脈に入っているのを確認後、手首に刺していた点滴を外した。はぁ〜、さっぱりした。

 とはいえ、このCV、次回の治療が終わると、いよいよ移植という次のステップに進み、ヒックマンの出番となるため、必要なくなる。もったいない。できることならば、詰まったCVがあと一ヶ月と少し、持ちこたえて欲しかったところ。

白血球 ヘモグロビン 血小板
3300個 8.1g 7.3万個

 2006年 11月16日 入院169日目  移植日が決定

 移植までのスケジュールが白木先生からカミサンとドナーである息子を交えて提示された。

 ・近日中に第5回目の治療を始める
 ・移植は来年の1月12日に末梢血幹細胞移植を行なう。予備日は翌週の19日
 ・ドナーの細胞採取は12月中旬に行い、冷凍保存して移植日まで備える
 ・芽球パーセントがまだ20〜30%と高く、もっと低くしないと再発する危険性があるのでそれを目指す
 ・病型が骨髄異形成症候群(MDS)から急性骨髄性白血病(AML)へ移行した

 移植日が初めて示され、いよいよだなと身が引き締まる思いだ。


 2006年 11月20日 入院173日目  化学療法5回目がスタート
ノバントロン
 今日から5日間の治療がスタートした。
 キロサイド330mg/24時間を5日間、ノバントロン12mg/30分を3日間。

 ノバントロンを見て、驚いた。色が濃い藍色である。ネットで噂には聞いていたが、これほどまでに青いとは思わなかった。これが体に入るってことは、いずれ出るわけだから、その色もさぞ青いのだろうなと思ってたら、少し薄まって、そして尿本来の色との混合色「青みどり色」で出てきた。いやぁ、見事な色だ!あっぱれじゃ!

    
白血球 ヘモグロビン 血小板
3600個 9.2g 3.3万個

 2006年 11月21日 入院174日目  ポンプの音に悩まされる
白血球 ヘモグロビン 血小板
2600個 8.5g 3.8万個

 キロサイドに使う輸注ポンプがいつもと違うタイプのモノが来た。見た感じでは、旧型のようだ。内臓バッテリーの残量表示が無く、いきなり「容量低下」のランプが点いてブザーがブーブー鳴るため、実に使い勝手が悪い。

輸注ポンプ
 そんなところへ、ポンプが発する音で睡眠不足になってしまった。みんなが寝静まった夜、このポンプは屋根から雨水がしたたり落ちるようなトントントントンという音を一定のリズムを保ちながら出すのだ。
 室内がシーンとしている中、ポンプ音だけが鳴り響く。気にしないで眠ろうとしたが、ダメだった。焦れば焦るほど、眠れない。羊の数もたくさん数え過ぎて、頭が変になりそうだった。

 午前1時半、ついにナースステーションに助けを求めた。
 「眠剤ください」
 「あれ?どうしました?こんな時間に」と館中ナース
 「かくかくしかじか・・・★□●∴」
 「この時間から飲むと明日の午前中はボォーッとなりますよ。6時には採血で起こされるし、いいの?」
 「いいんです、是非、ください」

 アモバン7.5が手に入った。ベッドに戻ってゴクリと飲んだ瞬間、コテンとなった。もっと早く飲めば良かった。この日以降、キロサイド終了の日までアモバンのお世話になったのは言うまでもない。神経質なA型とも、もう少しすればおさらばだ。Oになればアモバンも必要なくなるかな?

 ※堂本さん、退院。


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