2007年 3月1日 入院274日目  Day +49 やっぱりマルクは怖いのだ

 26日に行なった採血の結果で正体不明の菌がみつかる。白木先生も首をかしげながら、なぜそのような菌(本人には名称がわかってるんだろうが、私にはなんという菌なのかわからない)が出たのか不思議がっている。
 「とりあえず、抗菌剤を今日から始めます。それから今日はマルクやります」
 ええ〜〜、今日ですか?随分また急なことで・・・と驚いたが、先生から言わせると予定は昨日だったはず。前回も月末だったので、今回も2月末に行なうつもりが発熱のためにお流れになっていたのだと思う。拒否するわけにはいかないので「わかりました」の返事をした。

 そのマルクについて、ちょうど向かいのベッドの中村さん(60代中盤:残念ながら、この後、病状が悪化し4月10日逝去されました。合掌)と、その話になったのだが、彼は前回のマルクで、なかなか骨髄を取れず、結局は断念したと言う。彼にはマルクがトラウマのように逃げ出したいモノとしてインプットされていたのだが、今日、マルクを告げられて、随分、顔色が悪くなった。自分は未だ経験がないが、彼は通常、胸からのマルクを行なっているのだそうで、それがまた非常に痛いのだと言う。
 我々の間では「先生の顔が迫ってくる胸のマルクよりだったら、背中を向けたスタイルの腰のほうが、まだマシだ」が定説になっている。
 胸から取れなかった中村さんは今回、腰からのマルクを告げられて、それがまた初体験なことから恐怖のイメージがどんどん膨らんでいってるのであった。そこに私が「中村さん、腰のほうがずっと楽ですよ。良かったじゃないですか」と話すと、少しだけ気持ちが前向きになったようだ。

 そんな事があって、いよいよマルクの時刻がやってきた。
 何度やっても始める前は怖い。ベッドに横になり、半ケツ状態で待機していたら、そこに現れたのは白木先生ではなく、中村さんのマルクを失敗したという○○先生ではないか(笑)?一気に不安が増し、体に緊張感が走った。
 「ハイ、じゃぁ、始めます。麻酔・・」
 ドキドキしながら「痛いですか?」「痛くないです」などと問答しながら、マルクは順調に進む。そのうち「はい、終わりで〜す」に唖然としてしまった。見事な手さばきだった。ほとんど苦痛のない、素晴らしいマルク。麻酔の針を抜いて、マルク針を刺したのがわからないほどお見事だった。トレビアァ〜ン!

 このあとマルクの中村さんにも良い報告が出来ると、急いで病室に戻った。
 「中村さん、○○先生の腰マルク、全然、痛くなかったですよ。びっくりしました。さぁ頑張って」
 約20分後、戻ってきた中村さんに感想を聞いた。「ん・・・・」と言ったきりである。痛かったのだろうか?痛みの感じ方は人によっても違うが、中村さんはとりわけ敏感性なんだろうか?
 私が言うほど楽でなかったのは間違いなさそうだ。少し責任を感じた。


 2007年 3月2日 入院275日目  Day +50 加湿器で、咳少し緩和か?
白血球 ヘモグロビン 血小板
8500個 12.1g 9.1万個

↑加湿器
 咳がなかなか止まらない。
 部屋も体の中も乾燥しているのが一因だと言われ、試しに加湿器を使ってみることにした。あまり期待はしていなかったのだが、それまで乾いた空咳だったものが、多少、湿っぽくてタンが切れる咳も混じり始めた。

 体が乾燥している感じは良くわかっていた。特に口の中なんぞは、ひと呼吸するたびに乾いてしまい、舌で唾液をぬってやらないと完全にカラッカラに乾いてしまいそうなほどである。ただ、その唾液がいまいち出が悪いので、結局は乾いてしまって咳も出るようだ。

 夜、ベッド脇に加湿器を置いて寝ることになった。完ぺきではないが、今までとは違った楽な睡眠がとれて加湿器サマサマだった。

 夜、37度半ばの微熱が出る。あまりひどくなく、体が少しポカポカする程度。特に処置せず。


 2007年 3月4日 入院277日目  Day +52 階段トレーニング開始

 筋トレを変えてみた。
 それまではベッドに横になって足の甲にオモリを付けて屈伸するものだったが、果たしてこれが歩く筋肉を鍛えるために適している方法なのか、ちょっとだけ疑問を感じていた。
 歩くための筋肉なら「歩け」ばいいのだ。
 だが、病棟内を点滴スタンドの車輪をガラガラさせて歩いている人を良くみかけるが、10分歩いたぐらいでどれほどの効果があるのか?あまりないだろう。
 いろいろ考えた結果、階段を利用することになった。幸い、階段は非常階段化していて、ほとんどの人はエレベーターを使っており、人が来ることはまずない。階段がどこにあるか知らない患者さえいる。静かな環境で、たった一人、トレーニングできるのは条件としては最高だ。しかも下から外の風が吹き抜け、トレーニングで汗をかいた身に非常に心地よいのがわかった。

 さて、そのトレーニング方法だが、なんちゅーことはない。1段目を使って、上り下りするだけである。点滴スタンドが無ければ、そのまま上がって行きたいところだが…。まず一歩目を右足から始めて70回。上り下りが完了して一回と数える。右の次は左足を一歩目に同じく70回。物凄く単純だが、歩くためのトレーニングとしては最適ではないかと思っている。合計140回ということは10階から11階のビルを上った計算になる。終わると、体中から汗がじわじわと出てくるってことは、結構、鍛えられているという証拠にならないだろうか?今後は70回を80、90…と増やしてみようと思う。

 夕方から夜にかけて、37.5度〜38.2度の熱が出る。アイスノンで冷やしただけで解熱した。


 2007年 3月5日 入院278日目  Day +53 さようなら〜、ヒックマン!
白血球 ヘモグロビン 血小板
12100個 12.7g 11.5万個
 赤は正常値の上限をオーバー

 血液中に菌が見つかった件と、依然として一日に何度か微熱が出る原因がヒックマンにあるのではないかとの疑いを持った白木先生が抜き取る決断をした。普通であればヒックマンを抜くと言うと、退院近しという先生からのメッセージみたいなもの。つまり退院の二週間前辺りに抜くのが、一般的である。自分のようにまだまだ退院がずっと先の者が抜くのは、結構、珍しい事なのではないか?
 どうも今回のヒックマン、何かと面倒を起こしてくれたのが気に入らないらしい。本来の役割は果たしたが(小さな)トラブルも多々あった。移植前には右腕が浮腫を起こしたし、同じく右腕には内出血痕も出たし、右肩の肩凝りはそりゃぁもうひどかった・・・・・が、まぁそのぉ〜、あまりトラブルを取り上げるのはヤメにしよ(笑)。

 よって、処置室において、左胸にCVカテーテルを挿入し、次に右胸のヒックマンカテーテルを抜き、結果をレントゲンで確認するというスケジュールの忙しい午後になった。
 CV挿入時に若干、難儀したが、どうにか開通して、今度はヒックマン。仲間から聞いた話では、皮膚とくっついたカテーテルを剥がす時に気持ち悪いのと、多少、ピリッとくることがあると言われていたので、覚悟をしていたのだが、一度も痛みを感じることなく、終了。ヒックマンの時の麻酔が一番痛かったと思うほど、うまくいった。
 なお、ヒックマンの時、挿入部を見た先生が「ほらぁ、やっぱり化膿してる。これだな、菌の正体は」と独り言を言っていた。

 元を絶ったので、熱が出なくなると思いきや、そう簡単にはいかない。この日の夜は軽く38度の熱が出て、最後の抵抗をしてきた。これ以降、熱は出なくなった。


 2007年 3月7日 入院280日目  Day +55 肺に影
白血球 ヘモグロビン 血小板
10300個 11.3g 11.1万個

 胸部CT撮影を行なった。
 「ほんの小さく、肺に影が写った。これが咳を起こしている可能性はある。もしかしたら先日、血液に混じっていた菌がココに固まっているのかもしれない。今、抗菌剤を入れているので、一週間もすれば消えると思うんだが…」

 2月初旬から苦しめられている咳だが、GVHDなのか、菌によるものなのか、未だにハッキリしない。ただ、加湿器等を使い始めた事で少しずつ咳の状態も変わってきた。最近では、日中はほとんど気にならないが、布団に入ってから、時々、発作的に激しい咳が襲い、起きてしまう。咳は呼吸が苦しいほかに、体を激しく動かされることから体力もかなり消耗させられる。ひどい時は咳が収まると汗びっしょりになり、しばらく身動きできないほどである。


 2007年 3月12日 入院285日目  Day +60 ネオーラルが1日20mgに
白血球 ヘモグロビン 血小板
13300個 12.6g 18.7万個
 赤は正常値の上限をオーバー、青は正常値内

 朝9時に通常の採血で試験官11本分、採られる。それから2時間後、もう一つの検査もしたいからというので再採血1本を行なった。先日、某TV番組で採血がイヤだとマジで採らせなかったお笑い芸人なら、ぶっ倒れているだろう。

 今日から免疫抑制剤ネオーラルが1個ずつ減った。朝1個(10mg)、夜1個で計20mg。
 先月末、この時点で高熱が出ているだけに緊張感が走る。ただ、前回と違うのは菌を製造していたヒックマンが無くなったということ。あの時は菌と何かしらのGVHDが複合的に力を合わせて高熱を出させたのではないかという見解だ。果たして、この日は何も起こらなかった。

 病室は平穏だが、窓の外は真冬に戻っていた。前日からの冬型低気圧が大暴れして青森地方は吹雪となり、これが三日間ほど続いたために交通機関も大きくマヒした。


 2007年 3月15日 入院288日目  Day +63 ネオーラルがナシに
白血球 ヘモグロビン 血小板
12500個 12.0g 16.5万個
 データは前日14日のモノ。赤は正常値の上限をオーバー、青は正常値内

 20mgを三日間続けて変化が起こらなかったので、今日からは「ナシ」になった。
 ナシということは、そう、ナシである。免疫抑制剤がナシなのだ。抑制する薬が入らないんだから、何かが起こって当然である。ひゃぁ〜、何が起こるんだろ?怖い〜! でも怖いもの見たさで、ちょっとばかし楽しみでもある。

 さて、以前から不思議に思っていたことがある。患者仲間と話をしていて、必ず出てくる免疫抑制剤の名称がプログラフ。自分が使うネオーラルは誰の口からも出ない。自分だけ仲間外れになったような気分でいたのだが、田中ナースに聞いて納得した。
 ネオーラルは血縁者間移植を行なった患者に使う免疫抑制剤。プログラフは非血縁者間。ネオーラルは10mg単位で大ざっぱなのに比べて、プログラフはもっと細かい単位もあって細かい量の設定をした投薬が可能。GVHDは非血縁者間移植のほうが強く出る傾向があるために、強い効き目のあるプログラフを使う。すべての患者に当てはまるというわけではないが、大体がそんな区別をして使われることが多いのだと言う。

 なぁ〜るほど。


 2007年 3月16〜25日 入院●日目  10日間まとめて
 ネオーラルがナシになってからというもの、医療側の行なうことといえば、何か変化が起こらないかを観察するだけなので、毎日が実に退屈・・・いや、ゆったりした時間が流れる。
 今までのように日付ごとに報告するだけの出来事がないので、まとめさせてもらう。

【16日】
 朝の回診で白木先生が「このままもし何も出てこないのであれば、今月一杯居てもらって、来月からは外来で診る方法もありますね」などというので、4月中旬までじっくり居るつもりだった心に大きな揺れを生じさせた。ただ、白木先生の場合、この話をいつのまにか忘れてしまって患者がガッカリするシーンも何度か見てきたので(笑)、要注意である。

【17日】
 病院の晩飯を久々にストップして、以前から買っておいた電子レンジでチンする牛丼を食べてみた。出来上がった牛丼はホッカホカを通り越して、やけどしそうな熱さ。フーフーしながら口に運ぶと、かすかに牛丼の味がしてきて満足しかけたが、次第に食べやすい熱さまで下がると「?」が。結論として雰囲気を味わえたのは良かったが、おいしいというにはちょっと無理。今度は吉野家の牛丼を食べようっと!と思った。

【18日】
 11月に移植を受けたのち、状態がなかなか良くならず、ずっと個室生活が続いている方の奥さんとお話した。
 無菌室にいた時、既に生命の危険な状態にまで達し、主治医から「無菌室に入っても結構ですから、ダンナさんのそばにいてあげてください」と言われた。覚悟を決めた奥さんはずっとそばで手を握っていたとのハナシに感動する。
 その後、危機を脱して、近ごろでは廊下を歩行訓練している姿を見かけるようになった。時間はかかるかも知れないが、少しずつ回復して退院の日を迎えてもらいたいものである。

 時々、足を運んで診てくれる小暮先生が、まだ出ないGVHDについて「息子さんの細胞がよほどお父さんと近いんだろうね。我々は6種類(HLA型)を適合の判断にするけど、あなた達の場合、6種類はもちろんのこと、他のいろんなデータもかなり合っていたんだろうね。だからあまり強く出ないのかもしれない」と解説してくれた。でもGVが出ないと困るんですよね〜に「ん〜〜、何か見えないとこで出てんじゃないかな?ふふふ」。

【19日】
 入院以来初めて、血液結果5項目がすべて正常値か、それ以上を記録した。

白血球 赤血球 ヘモグロビン ヘマトクリット 血小板
14200個 4.06万個 14.1g 41.7% 23.6万個
4400〜10600 4.0〜5.4 13.1〜16.8 39.4〜50.4 15.9〜38.1

 非常に気分よくしていたら、血液中にカビが見つかり、シロップ(イトリゾール)を飲むことになった。これがまた後味が悪いのなんの。一口目では「おっ、養命酒みたい」と喜んだが、その後ジワジワと気持ち悪い味が込み上げてくる。このカビ、口中や食道にいるそうで、それをやっつけていると思えば耐えるしかない。30分以上、飲み食いできないのが少し辛い。でも一日朝の一回だけだから我慢、我慢。

【24日】
 お風呂に入るので点滴を一時的に外してもらった。そのまま風呂場ではなく、階段へと向かった。そう、階段トレーニング、パート2を行なうためである。点滴スタンドを引きずってると、階段の昇り降りが不可能、どうしても昇り降りしたければ、この機会にやるしかないのだ。

 私の病棟は8階で上には残り1階しかないので最初は降りるしかない。一歩目を踏み出し、どこまで降りようか考えた。階段数を数えながら降りたが、全く足への負担がなく、当初の4階までというのが消え去り、1階まで降りてしまった。
 一休み後、気合いを入れて昇り階段を一歩ずつ上がった。80段(4階付近)で苦しくなり、休めばいいものをそのままゆっくり一歩、一歩上がった。ようやく8階にたどり着き、全155段を制覇。ヘロヘロである。肩が上下に激しく動く。毎日のトレーニングでは80段ずつ、合計160段を昇降してるのに状態が違う。やっぱ実際の昇り降りはどこかが違うのだろう。心臓の動悸が全く出なくなったのが嬉しい。

【25日】
 
朝起きてみて気がつく。左足のふくらはぎが筋肉痛である。歩くのがちょっと辛いが、筋トレの効果が出たものとして、ご褒美の湿布薬を優しく貼ってあげた。

 回診で先生は言った。
 「来週末は外泊してみて、その後も何もなかったら、再来週は退院しましょか?」
 ん〜〜、耳に心地よい言葉が並ぶ。私は目をキラキラさせながら「はい」と小学生のような返事をした。


 2007年 3月27日 入院300日目  Day +75 ついに300日目達成
 咳の原因を突き止めるため、再び胸部CT撮影を行なうことになった。
 結果を呼吸器科の先生に尋ねると「あちこちにモヤがかかっているんだよね。何かある証拠。前回のCT写真にもあるにはあったが、その時から比べると多くなっている。もっと精密に検査するため内視鏡を入れてみましょう」

 恐れていた肺の内視鏡がついに現実のこととなってしまい元気がなくなる。この内視鏡検査、咳が出ると止まらなくなるらしく、もがき苦しみ咳込む中で検査は行なわれるという地獄のような検査なのだ。経験者の名良橋さんからの情報は非常にタメになると同時に怖い情報を集めていたのだった。

 主治医は咳の原因は二つ考えられるという。一つは真菌やカビ、二つ目はGVHD。はっきりさせるにはその部分の組織を取ってくるのが一番、確実だ。だから内視鏡しかないのだよという感じで話してくる。有無を言わさず、明後日朝から検査することになった。

 なお、菌類だった場合に備えて、前もって手を打っておこうと抗菌剤「ブイフェンド」を夜から投与した。
 予め、先生から「ブイフェンド」は目に来るよと聞かされていた。まもなくしてその副作用がきた。ちょうど見ていたTVがうすい黄色のフィルターでも掛かったような感じに見えるのだ。まぶたが重くなり、若干のだるさが出てきた。そしてまた良いことに呼吸が今までよりスムーズに出来るようになり、うまく眠れそうな予感がしてきた。

 消灯となり、まだ9時ではあるがだるさがあったので床に入った。ベッドライトを消して、まぶたを閉じた時・・・不思議な現象が起こった。青白い輪がアトランダムにまぶたの中をいくつも動き回っている。それが徐々に明るさを増すもんだから、眩しいったらありゃしない。手の平を目の上に乗せても同じ。
 目を開けると真っ暗である。つまり目を開けたほうが暗くて、目を閉じると眩しいのだ。
 これを除けば、咳が出そうな感じがせず、すぐにでも眠りたかった。でも2時間ほど眠らせてくれなかった。朝までは久しぶりに良く寝た感じがして目覚めが良かった。


 2007年 3月29日 入院302日目  Day +77 恐々受けた肺内視鏡検査
 肺内視鏡検査の日である。
 朝は絶食。「ハルシオン」というどこかで聞いたことのあるような薬を飲まされる。意識もうろうになるらしいが、あまり感じなかった。思ったより早く9時半に呼ばれ、車イスに乗って1階の内視鏡室へ。
 自分が通されたのは3つあるストレッチャーのうちの右端。後からお客さんが隣に来たことから少なくとも彼らの一番手だと自覚。ただ椅子に座った患者がいるので、多分、その人が最初のようだ。自分の位置からはカーテンなどが引かれてるため一切見えない。そんな中、最初の患者の処置が始まった。

 ゲホゲホゲホ、グエッグエッ、ゴッフォゴッフォ・・・・激しい咳が始まった。まるで呼吸する時間がないほど咳込んでて、(見られないので)聞くからに苦しそうだ。
 そういえば前日の呼吸器科の先生との話で「まず始めにノドに麻酔を数回流し込むのだが、これが実にマズイ味。グルメの人にはたまらないと思うが、しばらく我慢してもらわなければならない。この時に咳が出るとうまく麻酔が効かなくなってしまって、後に控えた内視鏡も辛くなります」と言ってたっけ、

 最初の患者は咳をしたまま、隣りのカメラ室に移動し、続けて内視鏡を入れられた。ひと言で言うと、地獄の叫びのような咳がずっと鳴り響いた。少し疑問に思うのは、このようなシーンを頭に植え付けられて、他の患者が冷静でいられない。スペースの関係で別室にするわけにいかなかったのだろうか?例えは悪いが死刑執行の順番待ちをしてるようなものである(笑)。

 さて、自分の名前が呼ばれ椅子に腰掛けた。まず看護婦からドロッとしたシロップを渡され、口の中でゆすいで飲み込んだ後、余りは手渡された紙袋に吐き出すように言われる。噂のマズサがわからない。結果的にこの味覚音痴が幸いした感もある。続いて肩に注射。痛いですよと言われたが、全然感じなかった。
 ここで先生の登場である。耳鼻科受診の時のように正対し、更に奥のほうへノズルは麻酔をかけていく。熊手のように先端が5本くらいに分かれてて、私の舌を邪魔しないよう捕まえられて、シュシュ!今度は反対側をシュシュ!
 おやっ?咳が出ないぞ!調子いいジャン。
 しまいには自分の手で舌を捕まえるように言われ、シュシュ。このようにして無事、麻酔が終了した。
 先生、曰く「よくやった。十分、麻酔がかかったから内視鏡は楽だよ」

 診察台へ仰向けに寝かされる。目にはガーゼのようなモノで目隠しされ、まもなくマウスピースがあてがわれる。
 早速、内視鏡が挿入されたが胃カメラの時のような苦しさはない。肺の中をさまよう感じも全くない。ほとんど苦痛を感じることなく、検査は無事終了。自分のあとに控えた患者は一番手と二番手との大きな違いをどんな気持ちでいたのだろうか?

 部屋に戻ると麻酔が切れるまでの2時間、飲食禁止。予め、昼食もストップしておき、ちょうど面会に来るという息子に吉野家の牛丼を注文しておいた。以前であれば特盛りでもペロリと平らげたのに、今日は並でさえ見ただけで「わっ、多い感じ」。でもおいしく残すことなく最後まで食べた。

 と、まもなくして急きょマルクのお誘いが。いやはや忙しい一日だ。でも急だったのが、すごく精神的には良かったみたいで、やりますか〜、やりましょ〜、ブスッ!ってな感じで、あっという間に済んだような気がした。


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