あすぱむ徒然草

  龍安寺リポート
 金閣寺から、きぬかけの路を自転車こいで龍安寺へ。
 最初は下り坂で快適だったのだが、途中の立命館大付近で、一部、上り坂になっており、おとなしく下りて押せば良いものを、ギアを軽くして走り続けた。そのせいで、背中にジワァッ〜と汗が。ただ、その後、再び下り坂になったので、気持ち良い風を浴びながら、駐車場に到着。

 金閣寺と違って、受付がひっそりしていることから、ゆっくり観られるなと喜びつつ、鏡容池(きょうようち)を左手に見ながら参道を歩いた。龍安寺垣と呼ばれる竹垣で両側を囲った石段を昇ると、庫裡(入り口)に着いた。靴を脱いで、短い階段を上がると、大きな衝立が目の前にドンときた。「雲關(うんかん)」と書かれたソレは禅の言葉だそうで、下に置かれた説明を読んでみるが「雲門云く関」の事などと書かれており、イマイチ理解できなかった。「雲關」の左手を歩くと、またまた達筆な屏風が2扇。達筆過ぎるのと、解説が難しいのでココでは触れない(笑)。

 先ほど拝観した金閣寺はすべて外からの拝観だったし、皆がバシャバシャ写しているので全く違和感なく自分もシャッターを押していたが、ココはちょっと違う趣があった。あまりにも物静かな雰囲気のために、写真撮影が許されるのかわからず、なかなかシャッターを押せなかった。このあと、拝観の数が増えるに従って、次第にわかってきたのだが、撮影禁止の場合はしっかり表示されているので、ちゃんと見れば大丈夫である。怖がることはない。ただ、ルールを破った場合にどうなるか?は、わからないので注意されたし。ルールは守りましょう。

山 門
石の大佛 「雲關」寺西乾山(てらにしけんざん:漢学者)筆。


 龍安寺の石庭(幅22m、奥行10mほどの敷地)。低い築地塀に囲まれた白砂に、15個の自然石を東から(下の写真で東は左側)7、5、3と配置。一見無造作に置かれたようにも見えるが、しっかり計算されていると言うのだから恐れ入る。
 15個の石は、どちらから眺めても、必ず1個は他の石に隠れて見えないように設計されているのが重要なポイント。東洋では十五夜(満月)にあたる15という数字は「完全」を表すものとしてとらえる思想があり、15に一つ足りない14は「不完全さ」を表す。日本には「物事は完成した時点から崩壊が始まる」との思想があって、建造物をわざと不完全なままにしておくことがあることから、そのような造りをしたのではないかと言われている。奥が深いねぇ〜、まったく。

 他に「虎の子渡しの庭」の別称もあり、その辺はネット上で詳しく解説しているところがあるので、そちらに任せる。

 拝観終了間際にも関わらず、言葉を発することもなくジッと庭に目を釘付けにしている姿を見て、う〜ん、自分はまだこの領域に達していないなぁ〜と深く反省。

1975年にエリザベス女王が日本を公式訪問した際、見学を切望した日本屈指の枯山水の名庭
ミニチュアの石庭
白砂に付いた箒目がまたイイ 白砂は大海を、岩は山をイメージ

 知足(ちそく)のつくばい。つくばいとは茶室に入る前に手や口を清めるための手水を張っておく石のこと。
 写真では見えにくいが天地左右に「五・隹・疋・矢」の四文字が刻まれているが、水を溜めておくための中央の四角い穴を「口」とすれば「吾唯知足」の4つの漢字が浮かび上がる造りになっているのがなかなかユニークである。
 徳川光圀の寄進と伝えられており、一般の拝観者が見せられるコレは残念ながらレプリカ(複製)。本物は非公開の茶室「蔵六庵」に置かれてある・・・らしい。ニセモノと知りながら、写真を紹介するのも気が引けるが、そうゆーこと。
石庭の右手(西側)
知足のつくばい。方丈を間に石庭とは反対側にひっそり、ある 本来はもっと混雑する

 鏡容池。湖面が鏡のように木々を映すことから鏡容池のネーミングになったのか?国の名勝でもある。
 四季を通して、桜や雪柳、カエデなどが池を美しく囲むらしいのだが、今回は紅葉にはまだ早く、時期的には良くなかった。桜の咲く頃はイイらしい。平安時代には、貴族が船を浮かべて遊んだという記録もある。

 なお、水分石(みくまりいし:普通の人間には、とてもそう読めない)とは何か?と調べてみた。龍安寺から貰ったパンフレットには読み方も由来も書かれていない。
 景色にアクセントを付ける意味と、池の水量を測る役目を果たしているのだそうで、08年に行われた池の護岸工事では、水が抜かれたことで、水分石の全貌が明らかになった。写真で姿を見せている部分はほんの3分の1ほどで、結構、高さのある石だとわかると同時に池の深さもありそうだ。池のほとりのあちこちに立て看板があった。近付きすぎて落ちないようにと。確かにその通りだ。

水分石
伏虎島 辨天島(べんてんじま)

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