あすぱむ徒然草

京 都
 今回のテーマは「修学旅行で見た京都、あれから33年、今は何をどう感じる?」である(ちょっと長いか?)。
 片道約1200キロもあれば一気に空路で京都入りしたい。フツーの人はそうするだろう。でも、自分はフツーで無いみたいだ。かと言って異常というほど、おかしくもない。至って、まともなつもりだ。

 時間に縛られることなく自由に車で出発というのが好きだ。運転するのも嫌いじゃない。免許を初めて取った時、頭に思い浮かんだのは「車の中は自分だけのプライベートな空間。これに家財道具でも積めば、全国津々浦々、自由に行けるじゃないか」というものだった。その思いは、今も変わらない。よって、小さなマイホームとも言うべきマイカーで、京都を目指す計画を立てることにした。また、将来、定年を迎えて、フリータイムが出来た時に車で全国を走ってみたい夢があり、その小手調べの意味合いもある。

 計画は一ヶ月半前から練り始め、用意周到に準備してきた。なるべく無駄なく効率的に回れるよう、頭を悩ませたつもりである。グーグルのストリートビューで要所の景色をチェックするなど、たくさん調べた。あまり調べすぎて、もはや行った気分になったのが、やや難点だったほどである。プライバシー面などで問題になっているストリートビューだが、自分にとって強い味方になった。

 計画では初日が京都の北西部、金閣寺と龍安寺、仁和寺(後述しているが、結果的に仁和寺が見られなかった)。

 二日目は長旅の疲れを癒すため、観光バスのツアーを利用して、京都南部の宇治周辺。

 最終日は京都の東西を巡る、少しハードなモノになったが、最後の一踏ん張りと言い聞かせてスケジュールを組んだ。

 青森へ戻る道中は、とても疲労を感じたのは事実だが、素晴らしい思い出が後押しして、無事、辿り着くことが出来た。
 以下にスケジュール表と、それぞれのポイント・リポートをアップしました。




初日(10月24〜25日)のスケジュール
目的地 到着時刻 滞在時間 出発時刻 移動手段 メモ
青森中央IC 21:00 マイカー
北上金ケ崎IC(岩手) 23:50 0:05 23:55 一計を巡らせて一旦出る
安達太良SA(福島) 2:15 0:15 2:30
米山SA(新潟) 4:50 3:40 8:30 仮眠3時間
尼御前SA(石川) 11:00 0:30 11:30
黒丸PA(滋賀) 13:20 0:10 13:30
京都東IC 14:00 --- 14:40
金閣寺 14:40 1:00 15:40 自転車
龍安寺 15:50 0:50 16:40
金閣寺駐車場 16:50 --- 16:50 マイカー
ホテル 17:10
初 日(25日、京都の天気 曇り時々雨。最高気温21.8℃)
 勤務を終え、そのまま、東北自動車道に入り「アラフィフ修学旅行」の幕は切って落とされた。はやる気持ちが、ついついアクセルを踏み過ぎにさせたが、いきなり出鼻をくじかれる。快適に車を走らせていたところ、小坂(秋田県)で、暗やみの中、赤色灯を消灯して走る車両を前方に発見し、自分を取り戻しておとなしい運転を心掛けた。

 出発の24日は日曜日。計画ではETC深夜割引(50%オフ)を利用して走るつもりだったが、運転しながら「おやっ?」と考えた。このまま深夜割引だと京都まで10,900円だが、まだ休日千円割引の適用時間なため、12時直前まで走って、近場のICで一旦、出入りすると安くなるのではないかと考えた。岩手県の北上金ケ崎ICが、その12時直前ポイントとなり実行してみると、合計9,950円(1,000円+8,950円←ETCレーンで表示された金額ではない。頭の中の計算)。950円もお得である。このとっさの機転が利いて豪華な夕食代を捻出できた。ICを「出て、入るだけ」で1,000円近い節約が出来るなんて、我ながら、うまくやったと思った。

 ※後日、友人からの指摘で「休日千円割引」のとんでもない解釈をしているのだとわかった。上記のようなことをしなくても、日曜日に高速道路へ入った時点で千円割引適用となり、火曜日に出ようが水曜日に出ようが、千円だということが判明。よって、今回のケースは1,000円で済むところ、2,000円掛かったことになる。トホホ。とはいえ、9,950円だと思ってたのだから、2,000円は良いほうに思いたい。でもなぁ〜、バカなことしたなぁ〜(笑)。

 さて、天気予報ではこれから向う京都のほうから下り坂。花巻(岩手県)付近から雨模様になり、以降、京都までの道のりはほとんど雨だった。 0時半、仙台通過。 1時半、福島通過。 4時、新潟通過。

 5時、青森から約700kmの米山SA(新潟県)に到着して仮眠。寝袋に収まって3時間の車中泊。雨音がすんなり眠らせるかと思ったら、イマイチ、寝付けない。車幅が150cmしかなく、足を伸ばして眠れないため、寝心地が悪い。しかも付近のトラックのアイドリング音が気になり、熟睡出来なかった。

 8時、起床。佐渡島を拝むつもりだったが、霧雨が降っていて、全然見えず、ガッカリする。10時、富山通過。

 10時40分、金沢通過。この辺りから初めて走る地域なため、地名を現わす道路標識を見ながら、よくまぁ〜、こんなとこまで来たものだと何度もつぶやく。

 13時、彦根通過。13時20分、黒丸PAで最後の休憩をして、京都入りの準備を整えたのだが、このあと、瀬田東JCTで間違えて京滋バイパスに入ってしまい、1時間のロスタイムが発生。これにより、仁和寺の拝観時間が無くなり、断念しなければならなくなった。

 14時40分、金閣寺駐車場に到着。たくさんの修学旅行生、アジア系、欧米系外国人に囲まれながら、霧雨の降る金閣寺境内に入る。目の前に飛び込んできた鏡湖池と金閣に思わず「ひえぇ〜」と声が出る。詳しくは「金閣寺リポート」で(以下、それぞれのリポート有り)。

 15時50分、金閣寺に車を置いて、積み込んだ折畳み自転車に乗りかえて龍安寺に到着。途中、きぬかけの路を走るが、立命館大学付近の上り坂で少し息切れする。拝観受付を過ぎて、鏡容池を通り、方丈の石庭に辿り着く。先ほどの金閣寺とは違い、30数名の観光客が静かに石庭観賞をしていた。

 17時前、日が落ちて暗くなり始めた中、ヴィアイン京都四条室町を目指す。大通り、小路を走り、20分ほどで到着し、チェックイン。ひと休み後、再び、賑やかな新京極方面へ自転車で出てみる。iPod touchのアプリ「マップ」で現在地を確認しながら、走行するが、時々、大きくズレが生じて驚かせるものの、なかなかイイ。これが、この後の自転車巡りに威力を発揮した。

  金閣寺(鹿苑寺:ろくおんじ)
 1397年、足利義満が山荘北山殿を造営し、義満の死後、遺言通りに義満の法号「鹿苑院殿」から二字を取って「鹿苑寺」と名付けられた。お釈迦様をまつった舎利殿「金閣」が特に有名なため、金閣寺と呼ばれている。臨済宗相国寺派の禅寺。1950年、放火により焼失したが、5年かけて再建された。1994年、世界遺産登録金閣寺のリポートはこちら
  龍安寺(りょうあんじ)
 1450年、徳大寺家の別荘を細川勝元が譲り受けて創建。応仁の乱(1467〜)、寛政の火災(1797)で焼失。有名なのは方丈前の石庭。低い築地塀に囲まれた白砂に15の自然石を東から7、5、3と配置し、別名「七五三の庭」と呼ばれている。どんな角度から見ても全ての石を見ることができないという不思議な庭。世界遺産登録龍安寺のリポートはこちら
  ヴィアイン京都四条室町
 京都市の街中に位置し、利便性が良いことから決めた。「お得な連泊プラン」はシングル朝食付きが2泊で9100円。これに駐車場代2日分で2000円がプラスされるが、トータルで11100円とは、実にリーズナブル。ホテル側の行き届いたサービスを期待するなら話は別だが、リーブ・ミー・アローンを望む自分にとっては、最高のホテルだった。

 今回の旅、実は10月の三連休(9〜11日)を予定していたのだが、メチャクチャ高い宿泊料と、なかなか客室が予約できず断念。高速道路の休日千円割引に魅力を感じたものの、それで浮いた高速代に喜んだのもつかの間、高い宿泊料で消えるどころか、かえって高く付くとあっては全く意味が無い。一人旅にはココが一番。




第二日(10月26日)
目的地 到着時刻 滞在時間 出発時刻 移動手段 メモ
ホテル 7:40 自転車
東本願寺 8:00 0:35 8:35
西本願寺 8:45 0:35 9:20
京都駅駐輪場 9:25 --- --- 徒歩 自転車を置いて烏丸口へ
京都駅烏丸口 9:30 --- 9:40 観光バス 醍醐寺と宇治浪漫ツアー
勧修寺 10:10 0:30 10:25
醍醐寺 10:35 0:40 11:15
平等院 11:40 1:50 13:30 平等院拝観後、各自、フリータイム。
宇治上神社
宇治神社
三室戸寺 13:40 0:30 14:10
黄檗山萬福寺 14:20 0:40 15:00
京都駅烏丸口 15:25 --- 15:30 自転車
東寺 15:40 1:00 16:40
京都タワー 16:50 1:10 18:00
ホテル 18:20
第二日(天気 晴れ一時小雨。最高気温18.9℃)
 二日目は京都定期観光バスのツアーを申し込んだ。出発が9時40分と遅いので、東本願寺と西本願寺を朝のうちに拝観したあと、自転車を京都駅駐輪場に預けて、バスに乗り込んだ。

 京都駅烏丸口と八条口の二ヶ所で乗客(合計で22名)を拾って「醍醐寺と宇治浪漫(約6時間半)」のツアーが開始。前日の雨は上がり、傘の心配はない。ただ、この秋一番の寒気が日本列島にやってきたことで京都は初木枯らしが吹き荒れた。一方、青森では、ココ京都よりも一つ先の季節到来となり、平野部で初雪を観測していた。

 平等院と宇治川の景観には非常に満足。1時間50分のフリータイムが設定されたが、じっくり見て歩きすぎて、集合時刻ギリギリになってしまい、バスに乗ったと同時に出発したので、冷や汗をかいた。

 15時半、予定よりも約30分早くツアーが終了したので、東寺へ自転車で走る(バスガイドの説明によると道路の渋滞等を考慮してツアー時間を約6時間半の設定にしているという)。

 16時50分、京都タワー展望台に昇る。この二日間で巡ったポイントと明日最終日に巡るポイントをチャックしているうちに日が暮れて、きれいな夜景になる。もっと暗くなるまで居たかったが、そろそろ足が限界に近付きつつあった。

  東本願寺(ひがしほんがんじ)
 真宗大谷派の本山。1602年、徳川家康より烏丸六条の土地が寄進され誕生。天明の大火をはじめ、4度の火災にあい、現在の建物は明治になってからの再建。境内のほぼ中央に位置する御影堂には親鸞聖人の御真影を安置され、世界最大級の木造建築物である。東本願寺のリポートはこちら
  西本願寺(にしほんがんじ)
 浄土真宗本願寺派の本山。1591年、豊臣秀吉の寺地寄進により、現在の地に移った。御影堂をはじめ、阿弥陀堂、唐門、書院など国宝、重要文化財に指定された建物が並ぶ。世界遺産登録西本願寺のリポートはこちら
  勧修寺(かじゅうじ)
 900年、醍醐天皇が創建(896年以前とする説もある)。1470年に兵火で焼失したが、江戸時代徳川家と皇室の援助で再興された。庭は勧修寺氷池園と呼ばれ「氷室の池」を中心に造園されている。平安時代には1月2日にここに張った氷を宮中に献上してその厚さによって五穀豊穣を占ったと言われている。勧修寺&醍醐寺リポートはこちら
  醍醐寺三宝院(だいごじさんぼういん)
 1115年の創建。豊臣秀吉による「醍醐の花見」の行われた地としても知られる。醍醐山に200万坪以上の広大な境内をもつ寺院である。今回のツアーでは拝観時間が40分しか無く、金堂、五重塔に足を運ぶことができなかった。世界遺産登録。応仁の乱で焼失。勧修寺&醍醐寺リポートはこちら
  平等院と宇治上神社、宇治神社、宇治川散策
 1052年、父、藤原道長の別荘だったものを藤原頼通が仏寺に改め、平等院とした。
 宇治上神社本殿は1060年頃のものとされ、日本最古の神社建築。創建年が近い平等院との深い関連性が考えられている。すぐ近くに宇治神社があり、明治維新前は両方を合わせて宇治離宮明神、八幡社と呼ばれ、宇治神社を下社・若宮とするのに対して、宇治上神社は上社・本宮と呼ばれている。平等院鳳凰堂と宇治上神社が世界遺産登録平等院と宇治川周辺リポートはこちら
  三室戸寺(みむろとじ)
 創建は770〜780年といわれ、花の寺の呼び名にふさわしく、庭園ではツツジ、アジサイ、ハス、紅葉と四季を通じて楽しめる・・・そうだが、今回はあまり奇麗な花が見られなかった。同行した御年配の方には昇り階段がかなりきつかったようである。三室戸寺&黄檗山萬福寺リポートはこちら
  黄檗山萬福寺(おうばくさんまんぷくじ)
 中国福建省から渡来した隠元(インゲン豆は、この名が由来)が徳川家綱の尊崇を得て、1661年に創建。日本の一般的な寺院建築とは異なり、中国の明時代末期頃の様式でつくられ、材料も南方産のチーク材が使われている。三室戸寺&黄檗山萬福寺リポートはこちら
  東寺(とうじ)
 796年、創建。「教王護国寺」とも呼ばれる。823年、真言宗の宗祖である弘法大師空海が嵯峨天皇から東寺を賜り、この時から国家鎮護の寺院であるとともに、真言密教の根本道場となった。何度も戦乱に巻き込まれ伽藍の大半を失ったが、時の権力者によって、その都度再建された。世界遺産登録東寺のリポートはこちら
  京都タワー
 高さ131m(建設当時の京都市の人口が131万人だったため。2010年現在、147万5000人)。1964年竣工。よく、ろうそくに見立てられるが、設計者の意図は、京都市内の町家の瓦葺きを波に見立て、海のない京都の街を照らす灯台をイメージしている。京都タワーのリポートはこちら



第三日(10月27〜28日)
目的地 到着時刻 滞在時間 出発時刻 移動手段 メモ
ホテル 7:40 マイカー
嵐山観光駐車場 8:10 --- 8:10 自転車
渡月橋 8:05 0:15 8:20
天龍寺 8:25 0:40 9:05
野宮神社 9:05 0:10 9:15
嵐山観光駐車場 9:35 --- 9:40 マイカー
梶井町パーキング 10:10 --- 10:10 自転車
銀閣寺 10:40 0:45 11:25
南禅寺 11:50 1:00 12:50
平安神宮 13:00 0:30 13:30
清水寺 14:40 1:00 15:40
三十三間堂 16:10 0:50 17:00 京都の旅、終了
梶井町パーキング 17:30 0:05 17:35 マイカー 渋滞のため京都東ICまで50分
京都東IC 18:20 --- 18:20
多賀SA(滋賀) 19:00 1:20 20:20
有磯海SA(富山) 23:00 0:30 23:30
黒崎PA(新潟) 1:45 3:45 5:30 仮眠3時間半
国見SA(福島) 8:15 0:40 8:55
北上金ケ崎PA(岩手) 11:00 0:10 11:10
小坂PA(秋田) 12:40 0:05 12:45
青森中央IC 13:25 --- 13:25
自宅 13:30
第三日(天気 曇り一時小雨、のち晴れ。最高気温16℃)
 いよいよ最終日。今日は観光を終えたあと、帰路につかないといけないため、タフな一日になる。
 早々とホテルの朝食を取り、名残惜しむ間もなくチェックアウト。四条通りをひたすら西に走ると桂川にぶつかった。途中から小雨が降り出し心配になったが、まもなく雨も上がり、晴れ間が広がった。
嵐山観光駐車場に車を置き、自転車で渡月橋を渡ってみる。景色に見とれていた時、対面から走ってきた人力車にしばし目が釘付けになった。えびす屋グループというらしい。なかなかのイケメンが揃っており、女性に人気と思われる(ちなみに女性の俥夫もいる。相当、きついだろう)。後日、調べてみたら、全国チェーンだということで驚いた。興味のある方は「えびす屋」のホームページをどうぞ。

 天龍寺に入り、曹源池庭園を観賞ののち、北口から出て、竹林の道を歩む。これだけの竹林は青森では見られない。そもそも竹林が無いので実に新鮮だ。水戸の偕楽園の竹林も見事だったがココも素晴らしい。前方から来た一人の若い女性に竹林をバックに写真を撮って欲しいとリクエストされ、カメラを構えていたら、人力車の俥夫に「お二人の写真、撮りましょうか?」と申し出られ、苦笑。この年になってカップルと間違われるとは、実に光栄である。縁結びの神様が居るという野宮神社をお参りして、嵐山観光が終了。

 再び、市内に戻り、梶井町パーキングに車を置いて、自転車で銀閣寺を目指した。鴨川を渡り、百万遍交差点辺りまで快調だったが、京都大学付近からスピードダウン。上り坂が、ややきつい。まだまだスケジュールが残っているので、パワーを使い果たすわけにもいかず、慎重にペダルをこいだ。机上の計算では15分で着く予定だったが、2倍かかってようやく銀閣寺観光駐車場(市営)に到着。金閣寺同様、たくさんの修学旅行生や外国人に混じって拝観。

 南禅寺を目指すに、哲学の道を経由するのはどうかと思ったが、あまりにも狭くて自転車だと琵琶湖疎水に落ちそうなのでヤメにして、無難に鹿ケ谷通り経由で向った。iPod touchのアプリ「マップ」は今日も活躍である。

 銀閣寺の標高が高かったため、ほとんど下り坂。快適この上ない。iPod touchが示す南禅寺付近で、ココはどこかな?と現在地をチェックすると、目と鼻の先に石川五右衛門で有名な「三門」がドカンと身構えており、思わずズッコケル。お目当ての狩野深幽筆「水呑みの虎」が名古屋城特別展に出張中で残念ながら遭えなかった。

 南禅寺からわずか10分。目に鮮やかな朱色の大鳥居が現れた。平安神宮。100年越の歴史があるというのに、他があまりにも長いキャリアを誇るだけに、ちょっとかすんでしまいそうだが、それでも素晴らしい。朱色と白の側壁に緑の屋根、天気も良くなったために地面の白砂などが、あまりにもまぶしくてドライアイにはキツイ(笑)。

 知恩院と八坂神社前を通過し、東大路通りを南下すると、人の賑わいが更に激しくなった。高い人気の清水寺がすぐそこだった。銀閣寺以上の上り坂。きつい勾配と、狭い道幅、人や車の往来が激しいので自転車を乗るわけにはいかない。しっかしよくもまぁ〜、この細い道を大型観光バスが通るもんだ。清水坂観光駐車場に自転車を置き、更に上まで歩く。
 朱塗りが鮮やかな仁王門が出迎えてくれた。階段を利用して修学旅行生が集合写真を撮っている。30年前、自分もそこに立ったことを思い出した。当初、清水寺はパスして、東寺や東西本願寺を見る予定だったが、二日目のスケジュールで消化したため、清水寺が復活した。

 いよいよ最後のポイント、三十三間堂。清水と違って静かな空気の中で長い本堂を見て歩く。最も手前に配置する二十八部衆像それぞれの表情に溜め息連発。さらに雷神・風神、千手観音ら、数多い像に圧倒され、すっかり魂を抜き取られてしまった(ヘナヘナ〜)。

 三日間の京都探訪の旅が終わり、ちょっと寂しい気分。
 徐々に薄暗くなる中、梶井町パーキングまで鴨川沿いのサイクリングコースをゆっくり走った。ほとりに立つ割烹の提灯に明かりがつき、鴨川に反射するのが美しい。風情のある景色に目を奪われながら、フェンスの無いコースから外れて鴨川に落っこちないよう、ペダルをこいだ。

 天気は南から迫る台風14号の影響で下り坂だった。京都は明日から雨になるらしい。一方、青森は昨日までの雪景色がひと休みして回復に向っているという。今回の旅、初日こそ京都までの往路で雨にたたられたが、二日目以降は無難な天気だったので、とても良かった。往路はどんな感動が、この先、待っているかとワクワクしながらハンドルを握っていたが、復路は、なぁ〜んの楽しみもなくひたすら距離を短くするためだけに車を走らせたのは、言うまでもない。

 確かに疲れる旅ではあったが、正気に戻った今、再び計画してもいいかな?と思うほど、回復している(笑)。ジジツ、今回で回り切れなかったポイントがあるのと、次回、訪問するならば、駆け足巡りでなく、一つの寺院にたっぷり時間を掛けて見て歩くのがイイなぁ〜と、今、考えている。

  渡月橋(とげつきょう)
 834〜848年に架橋したのが始まりとされるが、現在の位置には後年に角倉了以が架けたとされる。現在の橋は1934年完成。橋脚と橋桁は鉄筋だが、欄干部分は嵐山の風景にとけ込むよう木造となっていることから、車が欄干に衝突した際に欄干を破損して川底に落下したり、捨てられた煙草の火によって欄干が燃える事故も発生している。渡月橋&天龍寺&野宮神社のリポートはこちら
  天龍寺(てんりゅうじ)
 1345年、足利尊氏により創建。室町時代を代表する禅寺の一つだが、何度も兵火にあい、伽藍のほとんどが明治時代に再建されたもの。創建時の面影をとどめる曹源池を中心とする方丈庭園が最大のみどころ。法堂天井の雲龍図が有名だが、時間の都合で見られなかった。世界遺産登録渡月橋&天龍寺&野宮神社のリポートはこちら
  野宮神社(ののみやじんじゃ)
 野宮とは伊勢神宮に使える未婚の皇女が精進潔斎(肉食を断ち、行いを慎んで身を清めること)のためにこもった場所。縁結びの神様、子宝安産の神様として知られている。光源氏が訪問した嵯峨野の聖地。皇太子や秋篠宮も過去に参拝。渡月橋&天龍寺&野宮神社のリポートはこちら
  銀閣寺(慈照寺:じしょうじ)
 1490年、足利義政により創建。金閣寺には金箔が貼り付けられているのに対し、銀閣寺に銀箔は使用されていない。銀箔を貼れなかったのは悪い財政事情説や、義政の他界で中止説、光の加減で銀色に見えたから、など諸説あるが、そもそも銀箔を貼るつもりだったのかも不明。世界遺産登録銀閣寺のリポートはこちら
  南禅寺(なんぜんじ)
 1291年、亀山上皇により創建。二度の火災と応仁の乱の市街戦で伽藍をことごとく焼失してからは再建も思うにまかせなかったが、江戸時代になってから復興が進んだ。歌舞伎で石川五右衛門が「絶景かな絶景かな……」という名科白を廻す「南禅寺三門」と、明治維新後に建設された「水路閣」、狩野探幽筆の襖絵「水呑の虎」が有名である。南禅寺のリポートはこちら
  平安神宮(へいあんじんぐう)
 1895年(明治28年)、平安遷都1100年を記念して創建された神社。桓武天皇と孝明天皇を祀る。
1976年、新左翼活動家の放火により、本殿・内拝殿など9棟が炎上、焼失した。文化財指定を受けていなかったため、国からの補助金が見込めなかったが、全国からの募金により3年後に再建された。平安神宮のリポートはこちら
  清水寺(きよみずでら)
 778年、延鎮により創建。年間400万人を超える観光客が訪れる京都屈指の人気スポット。仁王門、西門、三重塔を見ながら階段を登ると拝観受付のある轟門があり、さらに進むと最大の目玉「清水の舞台」がある。1995年から始まった漢検協会主催の、その年の世相を漢字一字で表現する「今年の漢字」が発表されることでも有名。世界遺産登録清水寺のリポートはこちら
  三十三間堂(さんじゅうさんげんどう)
 1165年、後白河上皇が平清盛に命じて完成。創建当時は五重塔なども建っていたが、1249年の火災で焼失した。1266年に現在「三十三間堂」と称される本堂のみが再建されている。千手観音座像&立像、風神・雷神像、二十八部衆立像などが有名。江戸時代の「通し矢」にちなむ大的大会は全国から2000人が参加して1月中旬に行なわれ、新成人の晴れ着姿での競技は京都の風物詩になっている。三十三間堂のリポートはこちら

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