あすぱむ徒然草

渡月橋
 京都市の桂川にかかる、約200mの橋である。橋脚と橋桁は鉄筋コンクリート製だが、欄干は嵐山の風景にとけ込むよう木造になっている。桜と紅葉の季節は最高である(らしい)。車を京都市営嵐山観光駐車場に停めて、川沿いに自転車で走り、整備された遊歩道を散歩している御年寄りに混じって橋に向った。
現在の橋は1934年(昭和9年)の完成 橋から離れて立つ、アレは何?
橋を渡りきると、中の島公園。最近、催しがあったのか、出店の青いテントが残されたままになっていた



  天龍寺リポート
 渡月橋から天龍寺に向うと、付近にはたくさんの寺院が林立し、どれが天龍寺なのか、少し迷う。法堂と庫裏が見え、広い駐車場を発見し、到着。
 8時半からの拝観にはまだ少し早かったが、受付の方の「どうぞ」に誘われて、中に入った。ココの拝観ポイントは曹源池(そうげんち)庭園と、法堂の天井に描かれた雲龍図だったが、雲龍図特別拝観は10時からでないと入られないため、スケジュールの都合上、断念。

法堂。加山又造作の雲龍図がある 庫裏
中門
受付から見た大方丈 正面からの大方丈

大方丈
 1345年の創建時は、京都五山の第一として栄えたが、その後のたびたびの火災により、当時の建物はことごとく失われた。中世には6度の火災に遭っており、応仁の乱による焼失・再建後、しばらくは安泰であったが、江戸時代の1815年にも焼失、さらに幕末の1864年、蛤御門の変(禁門の変)で大打撃を受け、現在ある伽藍の大部分は明治時代後半以降のものである。大方丈は明治、小方丈は大正、多宝殿は昭和の建築と比較的新しい。

 大方丈の中に上がって拝観している人がいたので、どこから入ったのだろうと見回した。階段があるわけでもなく、よじ登って上がるわけにもいかず、不思議に思っていると、正面に回って別途100円で入れるとわかった。しかし、時間がもう押してきているため、北門へ向かい、竹林の道を目指した。

大方丈の内部拝観には別途100円 正面からの大方丈
静寂が心を和ませる
裏(曹源池側)から見た大方丈 「方丈」の扁額

曹源池庭園。国師が池の泥をあげたとき「曹源一滴」と記した石碑が現れたところから「曹源池」と名付けられた
多宝殿。後醍醐天皇の尊像が祀られている 書院(小方丈)

庭園内は手入れの最中だった
硯石。明治期に初代の雲竜図が書かれた時、修行僧60人がかりがこの硯で墨を摺ったそうで、これを拝むと書画が上達すると言い伝えられている 木の枝で見えにくいが平和観音と愛の泉と蛙。泉は80メートルの地下から湧き出ているとのこと 北門。正面受付に比べるとひっそりしていた。ココを出て、竹林の道へ進む

竹林の道
 北門を出て、西に歩いた。登りが少しきつい。見事な竹林だが、薄暗くて、不気味な感じもする。トロッコ列車の嵐山駅手前で引き返し、坂を下ることにした。野宮神社付近まで下りたところで、若い女性から竹林をバックにシャッターを押して貰いたいとリクエストされた。構図を考えながら、2〜3枚撮って、写り具合を確認してもらい「じゃぁ、今度は縦の写真も撮りましょうか?」と話をしていたら、人力車が走ってきて「一緒の写真、撮りましょうか?」と親切にも声を掛けられた(笑)。

 いやぁ〜、マイッタ、マイッタ。ありがたい申し出だったが、お断りした。
 と、このことを別ページで書いたら、ある人間から「それってカップルに間違われたんじゃなくて、親子に間違われたんじゃないの?」と衝撃的な言葉を言われた。なるほど。真相を確かめるには、人力車の俥夫を見つけて問うしかないが、それは無理。ココは含みを持たせて、カップル誤認ってことにしとこ。




野宮神社
 野宮大黒天は縁結びの神様としても有名で、大黒天にお参りし、その横の「お亀石」をさすれば願いが叶うと言われている。他に学問の神、子授・安産の神、財運・芸能の神がいるのだそうだが、この日は、まだ、それにすがる人が居なくて、ひっそりしていた。
クヌギの丸太を組み合わせた黒木の鳥居 神石「お亀石」をなでながらお祈りすると 一年以内に願い事が成就する
源氏物語に登場するお社 浩宮、秋篠宮も参拝

えびす屋
 何度もすれ違った人力車。嵐山に總本店を置き、他には京都東山、小樽、雷門、鎌倉、奈良、関門、湯布院にも8店舗も展開する会社だと知り、驚いた。俥夫による観光案内と、乗車記念品プレゼントが有り、一区間、約10分(走行距離1km)程度で一人2,000円、二人だと3,000円。他に貸し切りなどのプランもある。

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